ラーウィーニアの赤面
T. E. Jenkins, Antiquity Now: The Classical World in the Contemporary American Imagination (Cambridge, 2015)のなかにある、ル=グウィンの『ラーウィーニア』にかんする議論(pp. 184-191)を読んだ。
そこで知ったのは、ル=グウィンが『ラーウィーニア』を書くにさいし注目したのは、ウェルギリウス『アエネーイス』で描かれるラーウィーニアの「赤面」(英:blush)である、ということだ(p. 186)。問題のウェルギリウスの表現は以下のとおり。
この母[=アマータ]の声を聞き、ラーウィーニアは涙を火照る頬いっぱいにした。と、火のように深い赤みがさして、熱くなった顔中に広がった(plurimus ignem / subiecit rubor et calefacta per ora cucurrit)。それはあたかも、血のような紅でインド産の象牙に染めを施したときか、あるいは、白い百合に混じってたくさんの薔薇が紅く映えるときのよう。乙女はそのような顔の色を見せていた。(第12歌64~69行、岡・高橋訳を一部改変)
ラーウィーニアは、母親アマータによるトゥルヌスへの(戦場へ行くなという)説得の言葉を耳にして、赤面した。Jenkinsは、ラーウィーニアの内面がうかがい知れるのは『アエネーイス』中でこの場面のみ、と述べている(p. 185)。これは正しいかもしれない。
必ずしもはっきりしないのは、ラーウィーニアの赤面の理由である。どのような心理的作用が働いて彼女は赤面したのか?この問題にかんしては多くの議論があるようなので、調査する必要がある。ただ僕がこのこと以上に興味をもっているのは、ル=グウィンによる上記場面の書き換えである。引用してみる。
Hearing her [Amata's] begging, I [Lavinia] blushed with shame till tears filled my own eyes. I felt the red blood color my face, my neck and breast and body. I could not move or speak. (Lavinia, 159)
考えるべきことは多そうだ。
【参考文献】
Thomas E. Jenkins, Antiquity Now: The Classical World in the Contemporary American Imagination (Cambridge, 2015).
Ursula K. Le Guin, Lavinia (Boston, 2008).
岡道男・高橋宏幸(訳)『ウェルギリウス アエネーイス』京都大学学術出版会、2001年。