「人生の鉱脈に当てる」
今年も残すところあと一週間余りとなりました。
年が明けると2019年、元号が変わります。そしてその翌年は東京オリンピックが開かれる2020年。
1965年に生まれた私が子どもの頃に感じた2000年、それはSF小説に書かれたハイテクノロジーな未来。それは形が異なれども現実の姿になって表れている・・
1982年12月に大友克洋氏が描いた『AKIRA』。
”世界大戦後の荒廃した巨大都市で暮らす若者達が、自分たちの生きる道を探す物語。その舞台となるが、新しい東京の街、その名も<ネオ東京>。”
舞台は2019年の東京。何と2020年に東京オリンピックが開かれるという設定は、見事に現在と重なります。
今夜放送されるNHKスペシャル「東京リボーン」第1集。現在東京で進む大改造の裏側に迫る、2020年まで続く6本シリーズの大型番組だそう。詳しくはこちら
(写真参照:Amazon)
先日ふと目にした夏目漱石が1914年(大正三年)に学習院で行った講演記録「私の個人主義」。東大で英文学を学んだ漱石が、卒業後教師になるものの自分が何をしたらいいのかが見当つかず、日々懊悩したこと。英国留学中も煩悶の状態が続く中、ある日ロンドンの下宿で、文学とは何なのかという概念を根本的に自分でつくり上げる以外に自分を救う道はないのだとようやく悟り、「自己本位」の四文字に辿り着いたのだといいます。
漱石はその時の心情を次のように語っています。
『鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたやうな気がした』(「漱石全集第十六巻」岩波書店)
私たち人間の一人ひとりは生き方・働き方において「自分とは何か」「自分のこれからのいく末は」を見つめ直す時があります。冒頭で上げたように世の中が大きく変容すれども、毎日を生きる一人の人間として自分の生を終える日までを充実させたいとの思いは、昔も今も変わらないもの。
日々をよりよく生きていきたいという共通の願いに対し、漱石が悟ったように「自己本位」をしっかりと掴むことができるようにしたいものです。五十歳の半ばに近づいた私は、その気持ちで、持続可能な社会を共創することを目指して、SDGsや森林を活かす仕事をより推進していきます。