家系存続=「相続」を考える以前のこと
先般NHKの番組で、アマゾンの未開民族「イゾラド」について放映していました。
8月の放映の再放送の様でした。
片言だけの様な言語で、文字はおろか、原始そのままの民族。
その最後らしきひとりの男についてでした。
彼が最後のその民族の人間。
その民族が死滅してしまうと言う事。
他の文明との接触があっても、知ろうともしない。
世界の中からすれば、研究対象だけの民族かもしれないのですが、一つの民族が絶えてしまうと言う事実。
今までも歴史上では、新文明により栄えた文明も滅亡したり、民族その物も絶えてしまったりもしていますが、21世紀ともあろう時代に、消えゆく民族と言うのは、世界の一事象としてとらえるだけに終わりません。
海水により、島が、埋没し、いづれ消えゆくと言う小さな国もあります。
また、「イースター島」も同じです。同じ民族間同士で喧嘩して、島にあった木々も取りつくし、食べる物もなくなり、最後には人食いもしたと言います。
これを各家庭に置き換えるならば、同じ事が想像されます。
昨今「おひとりさま」が多いのですが、高齢化社会でもあります。
お一人様の高齢者が多くなるばかり。そこには、女性の社会進出も手伝っています。
結婚ではなく、自分の生き方を模索しながら生きる、故に、晩婚か未婚。男も未婚社会。
女性の場合、離婚しても、子どもが居れば、自分の次世代は継いでくれます。
男親でも、次いでくれる子がいれば、その「家系」は存続します。
侍時代でも「お家存続」は重大事でした。決して「お家断絶」などと言う事のないように勤めてきました。
人の基本パターンは多くが「誕生➡就学➡就労・結婚➡子供と家族生活➡子供への継続➡終わりの道をたどります。
それが続く限り、家系は存続します。意識しなくても、それが普通の生活・普通の幸福として当然の人生と受け取ります。平和な社会であるからこそ、そう考えます。
しかし、その路線を、踏み外すと自分の人生は自分の人生の為だけで終わります。
勿論、自分の道を自分で決めて歩くので幸せな生き方と言えるでしょうが、「家系存続」を考えない生き方はイゾラドの様な「絶える」と言う事ではないかと言う事です。
きつい言い方をすれば、世の中、人の数は計り知れないほどいますから、あなたの家系が絶えても問題にもなりません。あなたが生きた証とまで言わなくても、普通に生きると言う事の大切さを考えることの重要性を知る必要があります。
NHKの「ボーと生きてんじゃねえよ~」です。