聖なる思し召し
写真①
写真②
写真③
写真④
写真⑤
写真⑥
写真⑦
写真⑧
写真⑨
いろいろと思い出に残るクリスマスはある。
NYだったり、パサディナであったり、モントリオールだったり、ニューポート・ビーチだったり…。
もっとも印象的なクリスマスの一つがサンタフェのものだった。1994年もしくは5年。LAからアーバカーキーまで飛んで、車を借りて高地へ1時間ほど登る。富士山の五合目くらいの高度にその街はある。もっと先に行くとスキーのメッカ「タオス」になる。
pinterestから引っ張ってきた写真を足がかりに描写してみる。
【写真①】
サンタフェの教会。西洋人として最初にこの地に足を踏み入れたのはスペイン人の宣教師で、その彼がここを教会としたという。大きなハモンドオルガンがあり、この音が冷え切った夜空の街全体に響く。その音に誘われて、クリスマス・ミサに参加してきた。
道や屋根に転々としている灯りは「ファロリートス」という「行灯」のようなもの。(写真⑤がアップ)これもメキシコから入ってきたもの。
これが街の道という道に置かれている。もちろん、建物の軒という軒にも。
【写真②】
サンタフェという土地はヴィクトリ王朝のイギリス文化とメキシコ風味のスペイン文化とプエブロ・インディアンの文化が混じっているの刺激的。これをまとめて「サンタフェ・スタイル」というが、このドアも彼らが大好きなターコイス・ブルーのそのスタイル。そこにクリスマス・リース。
【写真③】
トウガラシ(とてもでかい)を束ねて軒下に吊るしてあるのをよく見かける。クリスマス・リースの変化球かとも思ったが、世界基準的に〝魔除け〟のようだ。
【写真④】
この建物は「コンテンポラリー・プエブロ」と呼ばれるもので、「プエブロ」はインディアンの言語で、「家」とか「部落」を意味する。インディアンの家を模してデザインしたもの。
行灯を置くのに都合がいい。
【写真⑤】
サンタフェよりまだ標高が上がったところにある「ブエブロ居留地」。日干し煉瓦で作る伝統的なプエブロ様式。大きな集合住宅である。ただ内部に階段がなく、外から梯子で上り下りするのが面白い。
【写真⑥】
紙の中型のショッピングバックのようなものに(そのものかもしれない……)底面に砂を敷き、そこへ安っぽいブリキのロウソク立てにローソクを刺し、点火。その厚手の紙を通してぼんやりとした光。闇夜にはこれで十分で、心を和ませる。
【写真⑦】
サンタフェって不思議な街で、街中の店の半数がアート・ギャラリー(アート関連の店)。全米の美術品の取引が多いのはNYそしてLA、そしてなんと3位がこのサンタフェだという。
この写真は100%アート・ギャラリーの通り「キャニオン・ロード」だと思う。
なんだか、クリスマス・キャロルを歌いながらみんなでぞろぞろと行進する風習があるらしく、冷えた体をこのような焚き火で温め、また行進する。
【写真⑧】
「コンテンポラリー・プエブロ」住宅の内部。暖炉は必然のように中央にどん!とある。壁のテラコッタと一緒になって、このぼってりとした感じが、それだけで暖かい。
「複雑系」の研究で有名な「サンタフェ研究所」に勤めているドクターの家でクリスマス・ティーを頂いたが、こんな感じでそっくり。
【写真⑨】
近くのNambe部落の銀製品のクラフト。Nambeというブランドで全米的に人気がある。
このあたりに住んでいたインディアンたちは、初めからこんな高地に住んでいたわけではなく、血の匂いの好きなイギリスの食いっぱぐれとの戦争や争いが苦手で、それを避けてこんなところまで来てしまったのだとも聞いた。スペイン人の末裔のメキシコ人の領土になったこともある。アメリカとメキシコとの戦争で、メキシコが負けて最終的にはアメリカ領土になった。
それにしても、アメリカでインディアンのテイストがこれほど残っている地は他ではそれほどないと思う。
クリスマスでなくともいい。一度は訪れていい不思議で魅力的な街です。