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Glänta/グレンタ

ヨガRYT200④ できることを精一杯

2024.07.19 09:49

6月下旬からRYT200の1回目の集中講座があった。9:00~18:00まで連続5日間のヨガ漬け。これまでは毎週1回5時間をコツコツと続ける日々であったので、マイペースにこれまでの日常生活に馴染ませていくことができたが、この5日間はヨガ以外は体力的にも何もできず、どっぷりとヨガにつかった。


はじまる前に、「ママはこの5日間はなにもできなくなるからよろしくね!」と宣言していた通り、家事は最低限のことしかこなせず、子ども達のケアもほぼゼロに。家族からは半ば諦めかけられ、文句を言われながらも母がいない状態をこなしてくれた。


この集中講座では午前中3時間をアーサナをとり続けるというプラクティスがあった。これが思いのほか、きつかった。最初の2日目までが特にきつく、終わるとほぼ放心状態。周りをみるとみな同じような表情であった。ランチをはさみ、午後はアーサナの一つ一つを深掘りしていくグループワークや哲学の講義を行う。3日目、ただ必死についていく。何かを考える余裕はなく、ただただ行うことしかできなかった。それでも5日目はやってきて、集中講座は終わった。体は疲れ果てているはずなのに、久しぶりに感じる爽快感。これまで、「参加者同士」であったみなさんとも、この時間を共有してぐっと距離が縮まった。


いま、講座4カ月間のうち1.5カ月が経過している。アーサナへの理解は、知識としてはだいぶ蓄積されてきた。しかし、頭では理解しているその知識を実際に身体で体験しようとすると、なかなか思うように体が動かない。もどかしい。自分の弱点が痛いほどよくわかる…。


「それを続けていけば、必ず”体験”がやってきます」との先生の言葉を信じて、先のことは考えずに今はただ、今の自分ができることを精一杯やるのみと自分に言い聞かせている。そもそも、それしかできないと感じている。


学んでいるヨガ哲学の中で、ニヤマ(やるべきこと)のひとつに「イーシュヴァラプラニダーナ」という言葉がでてくる。神への献身・祈りと訳されることの多いこの言葉、まだ私の中ではぼんやりとしている。しかし、ヨガでは全ての人やものの中に、神(神性)は宿っていると考えられており、あらゆる出来事はこの「神」に委ねられているのだという。ここでいう「神」というのは、神様だけでなく自然や太陽といった大いなる存在そのものをいっている。大切なことは、結果を心配することではなく、「今に心を尽くすこと」であり、その結果は「神」が決めることであるのだから、なるようにしかならないということ。そのことを理解していること。


そう考えると、増々、いま自分がやるべきことが何なのか?といったことが、はっきりと浮かび上がってくる。やれることをやろう。