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渡緬記者長井健司氏の墓

2024.07.19 10:55

ミャンマーの民主化運動と言えば、1988年の8888民主化運動が有名ですが、2007年のサフラン革命においては、愛媛県今治市出身の長井記者がヤンゴンで取材中に軍の兵士によって射殺され、その後、長い年月を経て、カメラが遺族の手元に返還されたというニュースは記憶になお新しいものがあります。2024年1月、約7年ぶりとなった帰省時に、同じ愛媛県東予地方出身である長井記者の墓を訪ねてみました。

当日は晴天であり、空気は瀬戸内海の対岸までよく見渡せるほど澄んでいました。先に、四国八十八箇所霊場第五十四番札所延命寺を訪れ、市営墓地への道順を教えていただきました。折角ですので、寺の境内を廻ってみると、中国大陸系百済帰化渡来人の子孫であり、飛鳥時代から奈良時代にかけて、社会事業等の分野において功績のあった行基菩薩の報恩供養塔がありました。市営墓地にやって来ると、敷地面積が相当に広く、現場で何人かに尋ねてみたところ、皆さん、あまりご存じないようで、それでも最終的に辿り着くことができました。

長井記者が亡くなられた2007年9月と言えば、私は一時期、歯を磨くにも寝転がる必要があるほどに体調を崩していた大手化学プラントを辞め、今治市の対岸に位置する広島県福山市に転居してまだ間もない頃でした。当時は、体調不良により、考える余裕はあまりありませんでしたが、福山を選んだ理由については、やはり、日本の平和運動の総本山である広島になおこだわりがあったことが一つとして挙げられると思います。翌年2008年5月、久々に船に乗って旅行に訪れた上海で、滞在予定が残り二日となったときに、時間が余ったので、人材会社を覗いてみると、急に仕事が決まり、帰り着いた神戸港にて四川大地震の一報に接し、ビザを取得して、翌6月から上海で働き始めました。暫くしてから、週末に現地の会計学校に通い始め、その後、改革開放の初期から現在も存続している上海魯迅公園日本語コーナーに参加するようになると、当然ながら、2007年長井記者の一件や地震発生から一年後に訪れた四川省阿壩州汶川県の復興状況、2009年コーカン八八事件、そして、国務院温家宝総理を筆頭に政治体制改革が叫ばれていたという時代背景もあり、限定的であるとはいえ、輝いて見えた隣国ミャンマーの民主化進展状況等に言及したこともございました。

思い返せば、上海に渡る少し前の2008年当時、福山にて映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を鑑賞する機会があり、中国社会はまさにあの時代にあると言及したこともありましたが、急激な変化を特徴とする中国社会は、高度経済成長期が過ぎ去り、すでに転換点に達したようです。2022年の上海ロックダウン明け以降、弊社も基本的にゼロ収入に近い状態になっています。2023年10月の1027作戦以降、ミャンマー情勢もまた転換点に達したようです。いずれにせよ、市民の暮らしはなかなか大変ですね。隣国ミャンマーに平和が一刻も早く訪れることを願っています。

最後に付け加えると、実は、中国でも有名な歌手で僧侶の薬師寺寛邦氏ゆかりの海禅寺が市営墓地の近くにあるようですが、今回、運転を担当した母の機嫌が途中からまたよくなくて、訪れることができず、残念でした。特に用事がなければ、やはり帰省しない方がよいようです。