Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

チェリオのサン・グレゴリオ・マーニョ教会 San Gregorio Magno al Celio

2021.02.25 11:12

チェリオの丘の裾野にある教会。初めは聖アンドレアに捧げられた教会だったが、11世紀にはローマ教皇グレゴリウス1世S.Gregorio)にも捧げられた。

私の関連ユーチューブ動画



★大教皇グレゴリウス (サン・グレゴリオ・マーニョ)

チェリオの丘の裾野の土地を所有していたローマの有力政治家の貴族アニーチャ家(Famiglia Anicia、ANICII)のジョルダーノとシルヴィア(後に2人とも聖人化)の子として、540年頃にグレゴリウス1世が生まれた。中世初期教会において重要な歴史を持つローマ教皇である。

父の亡くした時、 彼はまだ若くしてローマのプラエフェクトゥス(長官)となったが、575年にチェリオの丘の邸宅を提供し、聖サンタンドレアに捧げられたベネディクトゥス会の修道院を建設し、 修道士となった。その後、教皇大使となりコスタンティノーポリへ。

ローマに戻りペラギウス2世(Papa Pelagio II)の秘書になり、ペラギウスが亡き後、590年にローマ教皇に。その時に、この教会はグレゴリウス1世の名が付けられ大教皇グレゴリウス教会となった。

グレゴリウスは604年に亡くなり、修道院は廃れた。8世紀にグレゴリウス2世(Papa Gregorio II)が修道院と現在の教会を再建。1130年に法王ホノリウス2世の後継者に、グレゴリオパパレスキ枢機卿、法王イノセント2世の名で選出。8世紀にベデディクトゥス会からギリシャ修道会へ渡り、またベネディクトゥス会へ戻り、そして1573年にカマルドリ修道会へ。

↓ 詳しくはブログへ


ファサード

1633年に枢機卿シピオーネ・カッファレッリ-ボルゲーゼ(Scipione Caffarelli-Borghese)が、ファサードと長い階段、回廊のある前庭をジョヴァン・バッティスタ・ソリア(Giovan Battista Soria)に設計依頼。ローマにおける1600年代の好例。

ジャコモデッラ・ポルタのサンルイージ・デイ・フランチェージ教会のファサードに似る。

ファサードに 修復された年月日が書かれており、外側の様式は付け柱からなる3つの部分に別れている。

入り口上の鷲とドラゴンは、カッファレッリ-ボルゲーゼ家の象徴。


前庭

16世紀の2つ目の三角のファサード、ティンパヌム。前庭のポルティコ。1つ目のファサード裏には大きな窓とバルコニー。2つ並ぶ円柱は古代のもの。

内側の様式も3つの付け柱で、大きな3つの窓には大理石の手すりがある。

1633年に回廊の側面がつけられ、教会内の墓を移設。著名人の墓標が並ぶのが興味深い。Sir Edward Carneの墓、1561年、最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚のために送られた、ヘンリー8世 (イングランド王)の高官の墓など。

これらのお墓の中には、かつてアゴスティーノ・キジの恋人インペリアのルネサンス時代のものだった墓標もある。1世紀後にサンタマリア・マッジョーレ大聖堂の司教座聖堂参事会員レリオ・グイディッチョーニ(Lelio Guidiccioni)のと取り替えられた。

教会メイン入り口上の木製天井。

ロマネスク様式の鐘楼は12世紀のもの。


教会内部

聖堂内の改装は、1725年にジュゼッペ・アントニオ・ソラティーニ(Giuseppe Antonio Soratini)が、1725~1734年の間に、フランチェスコ・フェッラーリ(Francesco Ferrari)が内装を修復。

三廊式のバジリカ式で十字平面になっている

角柱に並んで様々な素材と時代の16の古代の円柱(11本の花崗岩、2本のグレーの大理石bigio、3本の大理石cipollino)で支えられ、フランチェスコ・フェッラーリのバロック様式の漆喰装飾がされている。

天井

天井中央には1727年のフレスコ画プラチド・コスタンツィ(Placido Costanzi)作の『サン・グレゴリオ・マーニョの勝利( Trionfo di S.Gregorio Magno)』現在はシートで保護されているので見えにくい。

コズマーティ様式の床

13世紀のコズマ・ディ・ヤコポ( Cosma di Jacopo)作だが、1700年代に敷設。

主祭壇

15世紀の主祭壇、 アントニオ・バレストラ( Antonio Balestra)作『聖母とサン・タンドレアとグレゴリウス( Madonna con i Santi Andrea e Gregorio)』


右陣

聖グレゴリウス礼拝堂  Cappella di S.Gregorio

グレゴリウスが描かれた絵画と、15世紀の 浮き彫り彫刻が施された祭壇『聖グレゴリウスの30のミサ( Trenta Messe di S.Gregorio)』

紀元前1世紀の大理石の椅子には、グレゴリオ・マーニョの浮き彫り彫刻。

紀元前のこの神聖化された神とグレゴリオは同一視されていたと思われる。

このチャペルの近くに小さな部屋があり、 ここでグレゴリウスは休憩してた。16世紀の聖具室と教会オリジナルの床が見られる。

だまし絵のような壁画の装飾。

右の廊  カマルドリ会の薬局

修道院の施設には、素敵な中庭(キオストロ)がある。


左陣
サンティッシモ・サクラメント礼拝堂 Cappella del SS.Sacramento

内陣左の祭壇には、 A.De Rohdonの『王座の聖母と聖人(Madonna in trono e Santi)』

奥の左の赤いカーテン内

★ カルロ・マデルノ作

サルヴィアーティ礼拝堂

フランチェスコ・ダ・ヴォルテッラ( Francesco da Volterra)設計で、カルロ・マデルノ(Carlo Maderno)が1600年に完成させた。

1469年作のアンドレア・ブレーニョ(Andrea Bregno)主祭壇の大理石。

★ 大天使ミカエル

教皇の元へ大天使ミカエルが現れ、ペストの流行が終焉。その記念と感謝のため、教皇はミカエルの像を、今のサンタンジェロ城がある場所へ設置したという伝説がある。

サンタンジェロ城の建設前の、教皇たちの霊廟が描かれている。

サルヴィアーティ礼拝堂のアトリウム

教皇に話しかける聖母の伝説( Vergine che, secondo la leggenda, parlò a San Gregorio)があり、聖母と教皇が描かれている。

壁画

(未確認の霊廟)


教会側廊左右に3つづつ祭壇があり、 絵画が興味深い。 

F.Imperiali作『サン・ロムアルドの死  Morte di S.Romualdo』

カマルドリ会のサン・ロムアルドが描かれている。

F.Mancini作『 S.Pier Damiani riceve una disciplina da Alessandro II』

G.Parker作『 Santa Silvia presenta il figlio a S.Benedetto』

写真撮り忘れの三点


★ オラトリオ

教会外、向かって左には、17世紀初頭に再建された3つの小礼拝堂がある。

サンタ・バルバラ礼拝堂には、聖グレゴリウスが最後の晩餐に12人の貧しい人をもてなした時、天使が紛れ込んでいたという伝説の食卓がある。

右のサンタ・シルヴィア礼拝堂は、教皇の母に捧げられている。

中央のサンタンドレア礼拝堂には、1608年のドメニキーノグイド・レーニのフレスコ画がある。


写真集

公園、教会の駐車場への階段



Padri Camaldolesi

住所 : Piazza di San Gregorio al Celio, 1

時間 : 9.00~13.00、  15.30~19.00



ブログ

2018.12.25


2016.05.01


参考

修道院公式HP

Wikipedia

Roma Segreta


MiBAC

Viaggi di Raffaella