243. シュラスコ@歌舞伎町 -2024.7.20
昨日 7/20 (土) のお昼は、仲間たちとシュラスコを楽しみました
お肉をたべよう、でもいつもの焼き肉とは趣向を変えて...という感じで
(写真は隣のブースで、誰かがくるのかなーって思っていましたが、午後3時すぎたら、ふつうにお店スタッフの、まかないのお食事スペースでした、時間制でも追い出すことはなく、ホント良いお店でした)
大昔に海外出張中の仕事のランチで、アルゼンチン出身のかたがシュラスコのお店に日本からの出張者の面々をつれて行ってくれました
それはジャカルタでの出来事でした
そのかたはインドネシアに駐在していて、ここではこのお店がいちばん美味しいから、ということで
シュラスコは、日本でいうとお味噌汁のようなものです、言ってました
え?このお肉料理がお味噌汁?
最初は意味がわからなかったのですが、話をきくと
要は、"お袋の味" ということでした
各家庭で、焼き加減が違う
好みのお肉の部位も違う
自分の家のシュラスコのスタイルがある
だからそのシュラスコを囲んで、あー家に帰ってきたんだって思う南米の家庭料理
美味しく、たくさんいただいてしまいました
お店の場所は、歌舞伎町タワーでした
新宿は今はめったに来ないのです
東口で少し買い物をしてからいきました
駅前から、歌舞伎町の方向に、お目当てのタワーがみえています
おどろおどろしい
途中、歌舞伎町の路地で、行けそうでいけない変な感じになって、少し迷ってしまいました
ときおり見えるタワーの先端を目印に💦
着きました
タワーからは、反対側のシネコンにあるゴジラ看板がよく見えます
お店には会員制の施設が併設され、席からガラス越しにプールがみえました
ラグジュアリー
歌舞伎町の帝王が遊びにくるのでしょうか
お肉でおなかいっぱいにして
2次会はおなじビルの下の階のにぎやかなお店
ステージパフォーマンスがありました
がんになって機能を失って、どう職場復帰するのか
非常に重いテーマでした
その重さと真逆にあるかのような
パンとサーカス
わたしは8ヶ月の休職のあと、復帰して
その頃
お昼にはもう疲れてしまいます
誰とも話したくない
なので時間を外して、工場の社食で一人でランチ
でも話しかけてくる人がいて(他部署の微妙に知っている感じのかた、そういうひとに限って職位は上めのかただったり)
”落ち込んでも良い、とことんまで落ち込んで良い
でも、ずっと落ち込んでは、いけない
自分の弟は車椅子で、苦学して大学でて、いま教師をしている
どこかで前を向かないと”
いや、わたしいま仕事こなすので精一杯
社交は無理です
前は自然に誰かと一緒にお昼を食べていた
もう今は、気をつかいたくないので(気をつかわれたくもないので)
昼メシくらい、一人でゆっくり食わせて下さい
食べるのが遅くなったんです
言いたいけど、言わない
"ありがとうございます。弟さんご立派ですね。わたしは、まだ復帰して日が浅くてみなさんに迷惑をかけていますが、頑張ります。"
という感じで返答
マイクロストレス...7年くらい経つのに忘れられないものです
そのかたの弟さんは、たくさんのご苦労があって乗り越えて教職を勤められている
凄いと思います
でも人それぞれだと思います
ご本人は苦労と思っていないかもしれない
罹患した時にいた会社は、罹患後丸2年を無事に過ぎた頃、区切りをつけて辞めました
べつに、ひとりランチのときに声をかけられるのが嫌だったからではありません(笑)
とてもよくしてもらったので、当時の会社や職場には申し訳なかった
でも病気になる前のわたしと、なった後のわたしとで、周りもギャップを感じていたことがわかった
自分もそうだけど
変わらず、は難しい
もう変わってしまったのです
転籍できたのは幸運でした
そこでは今の私からはじまることができました
それは努力の結果ではなかったです
もちろん普段の努力は重要です
でも最後の最後の運の良さは、なるようにしかならないという諦め、その言葉が良くなければ、割り切り、から来ていると思いました
完璧を求めない
楽しいパフォーマンスを食後になかまたちと眺めながら、美味しいジンバックを片手に、そんなことも少し思い出しました
少年野球の練習では、
練習でできないことは本番でもできない
だから、できるように練習するんだよって言っていました
社会での生活も同じだと思います
普段、行動していないこと考えていないことは、本番でも動けないし思いつかない
働くのはそれだけでもたいへんなこと
でも日々の積み重ねの延長からしか、未来はこないので、たとえ仕事が楽しくなくても、そのなかに少しでも楽しみをみつけて働くしかないのかなって
暑い日がつづきます
どうぞご自愛ください
P.S. 先日の入谷のアサガオ祭り(7/7)の朝顔が、今朝も彩ってくれました