大勢の正しさ、少数の正しさ
昨日は、おにぎりの話しで、意外にもフェイスブックで盛り上がり、色んな人の意見を聞くことができました。
なるほどと思える意見もあり、勉強になりました。
結構、昔から、そういう考えを持った人はいたみたいですね。
今の子供達だけではないというのもわかりました。
認識をあらためました。
子供の頃は、固形の物なら下に落ちても、結構平気で食べたりして下痢をしたことはなかったので、人が握ったおにぎりで、どうこういうことはないだろうと思っていましたが、そうではないということですね。
良い勉強になりましたが、これも人によってかなり感じ方が違うということですね。
大多数での正しさと、少数での正しさというのは、思想や意見が違うのと同様に、健康に関しても、かなり大きな違いがあるなと実感します。
今は、衛生面が発達したので、清潔にするということが当たり前になり、それによって、こういう話題にもなるんだなと思います。
ただ、大多数の正しさは、必ずしも全ての人の正しさにはなりません。あくまでも平均値です。
衛生面を良くしよう。環境を良くしようとすることは、誰もが認める良いことだとは思いますが、それによって、アレルギー疾患が増えたというのは、やはり事実なように思います。
ワクチンの問題でもそうですが、私が反対派というより、人によっては、それを完全な異物と捉えて、健康被害を起こしてしまう人が中にはいる。
それを見極められないのなら、本当の意味で安全とは言えない。という立場です。
副作用のところにもちゃんと書かれていますしね。決して100%安全なものとは思いがたいというのは事実です。
大多数の人は、ワクチン打っても直ぐに調子が悪くなることはありませんが、インフルエンザワクチンのように毎年投与することへの疑問は拭いきれません。
やはり、ホントに良いのかなと思わずにはいられません。
他のワクチンについても、人によっては感受性が高いとやはり何らかの副作用がでて、それが人生に大きな影響を与えてしまう可能性も否定できません。
因果関係がハッキリしないという理由で否定してしまうのは大多数の意見です。大多数の意見を押しつけることで、その人個人が健康被害にあっても無視するようでは医学の衰退になると私は思っています。
なぜそうなる人が一人でもいるのか?
それは、やっぱり確実に証明していって欲しいなと思います。科学が発展したというのなら、そのような例外もキチンと調べて欲しいと思っています。
しかし、大事な問題は、少数派の為には、研究費が出ない。研究して成果があがったとしても、利益にならなければなりません。そういう現実があります。
この前の「氷の上が何故滑るのか」という問題と同じように、そんな日常的なことが、今頃わかったというのと同じです。
そんな研究しても、得るものがあまりないからという理由で研究費もでない訳です。
だから、真に論理的だとは言い切れないのが、今の科学です。
それに気づかずに、何となく信じていたということが、科学の中には沢山あるということです。
そして、その何となくしかわかっていない科学的根拠だけが正しいと言う理論は、あまり正常な理論ではないとも言えます。
私は、それは一種の科学教だと思っています。
ある方が、科学的根拠というのは、めっちゃ荒いドットの絵しか見えないのと同じと言いました。
凄い的確!!
確かにそうですね。
荒いドットの絵は見えるけど、詳細な絵は、絵として認めない。
みたいな感覚の人がいるのは間違いありません。
大抵は、一般の人には説明できない。
一般の人は、科学は、緻密なものと思いがちですが、荒いドットの絵と同じで、真実からは、かなりの抜けがある訳です。
そして、それが大多数の意見になっているということが問題なのです。
もちろん荒いドットの絵が、間違っている訳ではありません。
ピンポイントでは間違ってない。
しかし、それは、イメージしているような真実ではない。
ということなんだろうと思います。
だからこそ科学を補うのは、人間の感性しか今のところないということです。
感性を磨かなければ、と思うのはそういう理由からです。
たぶん、これから先も同じだと私は思います。なぜなら科学は利益と共に発展があり、必要なことにしか研究されにくいという現実があるからです。
しかし、だからと言って科学を否定している訳ではありませんからね。
逆にもっともっと頑張って欲しいなと思っています。途方もない時間がかかるとは思いますが・・・。