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善立寺ホームページ 5分間法話 R⑭ R.6,7.24日更新

2024.07.24 07:34

善立寺ホームページにアクセスしていただきましてありがとうございます。私ごとで恐縮ですが、健康を損ね、また身辺に予期せぬできごとが生じまして、更新が遅れています。お詫び申しあげます。

今回は、令和2年にホームページを開設した最初の原稿について、再配信の要望が多く寄せられていますので、再編集をしてお届けします。内容は「ギブ・アンド・ギブ」という言葉についての思いです。

20014年(平成16)の7月の当初のことです。行きつけの書店で立ち読みをしていたとき、『おかげさまで生きる』という背表紙の本に目が留まりました。一見して仏教書ではないかと思いましたが、一般書籍の棚で見つけて、興味を惹かれて棚から本を手にしました。すると、表紙には救急集中治療部とプリントされた医務衣姿の医師が座っていて医務室も写っていました。帯紙には「死を心配する必要はない」「人はなぜ生きるのか」 と、書籍の内容をアピールする一文が記るされていて、目次を目にして即購入しました。 帰宅後わき見もせずに読んで深夜に読了しました。心に残る言葉がいっぱいありました。著者は東京大学医学部救急医学分野教授の矢作直樹(やはぎなおき)氏です。

 最も心に残った言葉を次に記します。

 「人生はギブ・アンド・キブ 惜しみなく与え続けると、全く別のところから ギフトが届く」  添え文 「しがらみを捨てて自分を解放すると、孤独感が薄れて他者とのつながりが太くなり、人生そのものが豊かになる。」

 「惜しみなく与え続ける」―この言葉は仏教の教えそのものです。「仏教」とは、「仏の教え」です。別の読み方をすると、この私が「仏に成れる教え」です。お釈迦さまや阿弥陀様の教えを信じ、その教えに導かれると、私が「仏様に成れる教え」です。

仏教は「慈悲」の宗教だといわれますが、矢作先生の上記の言葉は「慈悲」を端的に示したことばであると感銘を覚えました。

 「ギブ・アンド・ギブ」ですよ。「惜しみなく与え続ける」

「ギブ・アンド・テイク」ではありませんよ。

 私が中学生になったとき、はじめて英語の授業を受けました。最初に覚えた英文の一文がギブ・アンド・テイクでした。爾来、私の日常生活の中で「ギブ・アンド・テイク」は、不可欠的な要素となっていました。社会生活を送る上でも、友人・知人の間柄の中でも、良好な人間関係を築いていくには、貰ったらお返しをするという、いわば、持ちつ持たれつ、ギブ・アンド・ティクの心が欠けると、礼儀知らず、世間知らず、無知な人とだと言われかねず、人間関係は悪化するものです。形ある贈り物にしても、励ましや慰めなど形のない精神的な、見返りを期待しない無償の行為であっても、心のどこかで、相手からのお返しを期待していて、お返しがないと、「‥…してあげているのに」

「‥…のに」「……のに」と、清浄な行為のどこかでも相応な見返りを期待している濁りの心が沸いてくるものです。

 矢作先生のことばにあって、「ギブ・アンド・ティク」という語について調べてみました。日本は島国で、経済的に豊かな国として成長するには、外国との釣り合いのとれた輸出入の取引が必要であって、そこから生まれた言葉であったことも知りました。

 しかし、私たちには、見返りを期待しないで、知っている人に接しても、見知らぬ人に対しても喜びや励まし、いたわりや慰めをしてさしあげるという清浄な心を持ち合わせています。仏教が大切にしている「布施」の「布」の「布」は、「広く」「多くの人」にという意味です。「施」は、「喜捨」という意味の語です。わかりやすく申しますと、「私が持っているものをわが身から切り離して、人に喜んでさしあげる」という言葉です。「あげたのに」ではなく、「貰っていただいてありがとうございます」の心を持つことが「ギブ・アンド・ギブ」の神髄であろうと思っていま。「惜しみなく与え続ける」という心、行為は至難なことですが、「受け取っていただいてありがとうございます」思う感謝の心をもちさえすれば、自然と「‥…のに」の心は消えるのではないでしょうか。

 矢作先生の言葉「惜しみなく与え続けると、全く別のところからギフトが届く」を目にして、「目からウロコ」の境地の心境になりました。

「全く別のところから」という言葉を皆さんはどうお感じになられるでしょうか。しばらくお考えになってみてください。

私は、実に示唆に富んだ名言であると感じています。「与えた相手」からではありません。「全く別のところ」と表しておられます。「別の人」ではあません。換言すると、「予期しない人」ではありません。「予期しないところ」から贈り物が届くと示しておられるのです。「ところ」とは、どんな「ところ」から、どんな贈り物が届くのでしょうか。みなさん、どうかじっくりお考えになってみてください。

 数十年も前に目にしたある少女たちの詩集から一編の詩を紹介します。日常、たびたび復唱している詩です。

 「目の見えない人に」― 作者不詳 詩集『赤いチョーク』より

  目の見えない人に あたしの目をあげたい 

でも あたしの目は いろいろな悪事を見てきた目

 口のきけない人に あたしの口をあげたい 

でも あたしの口は 人の悪口を言ってきた口

 耳のきこえない人に あたしの耳をあげたい

 でも あたしの耳は いろいろな人の陰口をきいてきた耳

  手の不自由な人に あたしの手をあげたい

  でも あたしの手は 何人もの人をなぐった手

 足の不自由な人に あたしの足をあげたい

 でも あたしの足は 何人もの人を蹴った足

 こんなあたしの体でよければ 体の不自由なひとにあげたい

 惜しみなく与え続けると、どこから、どんなギフトが私に届くのでしょうか。矢作先生は、添え文の中で「人生そのものが豊かになる」と示しておられます。

 次回は、10 月初旬に更新予定です。危険な暑さの日々が続いています。コロナ感染も拡大しています。くれぐれもご留意いただいてお過ごしください。