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紅梅や真つ暗な夜に手をかざし  西村麒麟

2024.07.24 12:29

https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/17210 【「紅梅」の基礎知識】より

吉海 直人(日本語日本文学科 特任教授)

「梅」については、『古典歳時記』の「日本人と「梅」」で述べました。そこでは「梅」が奈良時代に日本へ渡来したとしています。必然的に、それより古い『古事記』・『日本書紀』・『風土記』に「梅」は登場していません。『万葉集』においても、第三期以降にしか詠じられていないので、文献的にも奈良時代以降でほぼ間違いありません。

ただし漢詩の世界では、もう少し早く登場しています。『懐風藻』の葛野王の「春日翫鶯梅」題と、紀朝臣麻呂の「階梅闘素蝶」を含む漢詩に、「梅」が詠まれているからです。葛野王は大友皇子の子で、706年に亡くなっています。もう一人の紀朝臣麻呂も705年没なので、この漢詩は奈良時代以前に詠まれたことがわかります。もっとも、実際に「梅」を見て作ったのかどうかは疑問です。中国の漢詩を踏まえて詠むことも珍しくないからです。

これが「梅」の文化史の出発点です。もはやこれ以上付け加えることはないと思っていたのですが、平安時代の文学の基礎知識として、「紅梅」の伝来が抜けていることに気付きました。そこであらためて、「紅梅」について詳しくまとめてみました。当然ですが、「紅梅」の対として「白梅」があります(紅白)。「白梅」の方は「しらうめ」「はくばい」といいますが、「紅梅」は「こうばい」だけで「あかうめ」とはいわないようです。そもそも奈良時代に伝来したのは「白梅」一種でした。だからわざわざ「白梅」といわず、「梅」で済ませていました。その後に「紅梅」が入ってきたことで、両者を区別する必要が生じ、初めて「紅梅」「白梅」と称されるようになったというわけです。

「紅梅」の文献上の初出は、『続日本後紀』承和15年(848年)正月21日条で、

上御仁寿殿。内宴如常。殿前紅梅。便入詩題。

云々とあります。また『経国集』の紀長江の詩題にも「賜看紅梅探得争字応令一首」とありました。さらに『三代実録』貞観16年(871年)8月24日条に、

大風雨。折樹發屋。紫宸殿前桜。東宮紅梅。侍従局大梨等樹木有名皆吹倒。

とあることから、仁明天皇の頃には、仁寿殿だけでなく東宮御所にも紅梅が植えられていたようです。なお紀長江の詩には「二月寒除春欲暖」ともあって、「紅梅」は遅咲きで、春を告げる「白梅」が開花した後、遅れて咲いているように読めます。その伝統が俳句の季語にも反映しており、今もやや遅れて咲く梅というイメージが付与されています。

ただし漢詩の世界では、『経国集』に平城天皇在東宮の詩に「桃乱」とあることから、それが「紅梅」のことを指すとされています。同じく『経国集』の小野岑守の詩に「窓前将斂素。簾下未鎖紅」とあり、ここでは「素」(白梅)と「紅」(紅梅)が対句になっています。同様に和気広世の詩も「凌寒朱早発。競暖素初飛」と朱と素が対句になっているので、桓武天皇の時代には既に紅白の「梅」が邸の庭に植えられていたとされています。やはり漢詩の方が和歌より先行していました。

一方、和歌においては「白梅」「紅梅」とは詠まれていません。音読みは漢文的で和歌には似合わないと思われていたのでしょう。だから「紅梅」が日本に入ってきても、歌ではただ「梅」としか詠まれず、どれが「紅梅」を詠んだ歌なのかわかりにくかったのです。早い話、『古今集』に「紅梅」という語は使われていないので、『古今集』ではまだ「紅梅」はなかったと見る説もあります。

それが次の『後撰集』になると、3首の詞書に「紅梅」が書かれています(『古今六帖』にも「紅梅」の歌が4首あります)。それは藤原兼輔歌の「前栽に紅梅を植えて、又の春おそく咲きければ」(17番)、凡河内躬恒歌の「紅梅の花を見て」(44番)、紀貫之歌の「兼輔朝臣のねやのまへに紅梅を植て侍りけるを、三とせばかりののち花さきなどしけるを」(46番)です。すべて詞書であり、『後撰集』でも和歌に「紅梅」は詠まれていません。次の『拾遺集』になってようやく「紅梅」が、

鶯のす作る枝を折りつればこうばいかでか産まむとすらん(354番)

と詠まれていますが、これは物名(子をばいかで)ですから、美的な歌語として確立したとはいえそうもありません。

ここで注目したいのは、作者の貫之・躬恒・兼輔が『古今集』撰者時代の歌人だということです。ということは、彼らが詠んだ「紅梅」の歌が『古今集』に撰入される可能性はあったわけです。それについては、公任撰『和漢朗詠集』がヒントになります。『和漢朗詠集』では「梅」とは別に「紅梅」の項が立てられており、そこに2首の和歌が掲載されているからです。そのうちの1首は『古今集』所収の紀友則の、

君ならで誰にか見せん梅の花色をも香をも知る人ぞ知る(38番)

歌で、もう1首は花山院の歌です。

前に『古今集』に紅梅を詠んだ歌はないといいました。では公任は、何故友則歌を「紅梅」と認定したのでしょうか。それは歌に「色をも香をも」とあるからでした。「香」だけであれば普通の「梅」(白梅)ですが、「色」とあったらやはり「紅梅」を意識していると見たくなります。そうなると、貫之も『古今集』に、

色も香も昔の色に匂へども植ゑけむ人の影ぞこひしき(851番)

と詠んでいるし、友則には他に、

色も香も同じ昔に咲くらめど年ふる人ぞあらたまりける(57番)

もあります。ややこしいことに、これは「桜を」詠んだ歌でした。しかし「桜」を「色も香も」と詠むのであれば、「紅梅」もそれに当てはまるのではないでしょうか。

しかも友則は『古今集』上覧前に亡くなっているので、生前に「紅梅」を詠んでいたことになります。ということで私は、『古今集』ではまだ「紅梅」に対する美意識が整っていなかったものの、撰者たちは「紅梅」を先取りして歌に詠んでいたと見ています(「梅」については漢詩を含めて紀氏の関与がありそうです)。その「紅梅」は、『枕草子』でようやく「梅は、濃きも薄きも紅梅」と称賛され、また『源氏物語』では紫の上が格別大切にしています。平安中期には、和歌よりも散文で「紅梅」の美意識が高まっていたようです。


https://www.hanaimo.com/hanaokuri/2022/03/3%E6%9C%88/%E6%98%A5%E3%81%AE%E5%A4%9C%E3%81%AE%E9%97%87%E3%81%AF%E3%81%82%E3%82%84%E3%81%AA%E3%81%97-%E6%A2%85%E3%81%AE%E8%8A%B1-%E8%89%B2%E3%81%93%E3%81%9D%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%AD-%E9%A6%99%E3%82%84 【花以想の記|Hanaimo(はないも) 3月】より

春の夜の闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる『古今和歌集』春歌上 凡河内躬恒本来、闇とはあらゆるものをすっぽりと隠すもの。だが春の夜の闇はどうも筋の通らないことをしている。なぜなら梅の花の色は、闇の中では見えなくなってしまうけれど、その芳しい香りだけは、こうも隠しようもないのだから。まさにまさに夜の梅、みあげて嬉しく立ちつくし、思わず見せたくなりました。今日もいちりんあなたにどうぞ。ウメ 花言葉「忍耐」


https://ameblo.jp/cornerstone1289/entry-12244669450.html 【梅】より

立春とくれば、梅。

須磨離宮公園内の梅林を覗いてみた。

山陽電車の「東須磨」駅で下車、東門(植物園)から入り、帰りは正門へ出て「月見山」駅から阪神梅田行の特急に乗車、新開地駅で阪急梅田行の特急に乗り換え。

筑紫紅という品種らしい。伊丹の梅園では見かけなかった。(伊丹の梅園は全木伐採された。)

早咲き種なのか? 紅梅にしては地味な感じ。

梅園は全体としてはちらほら段階。ただし桜と違って梅園は多品種が混植されているので、5分咲きになっているものもある。

紅梅は紅梅として灯るころ 阿部みどり女 『微風』

紅梅も絵空事なり平次の碑 行方克己 知音        紅梅や仏の額に縦のひび 伊藤通明

鯉水をうつて寂たり紅梅花 三好達治           白梅になき仏心を紅梅に 森 澄雄

紅梅の紅の通へる幹ならん 高浜虚子       夕ぐれの紅梅を見に戻りゆく 鈴木六林男

般若寺の紅梅簷を深うしぬ 山口草堂        厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣       紅梅の空は蘇芳や実朝忌 久米三汀         紅梅の寺金色の仏ます 本宮 鬼首

紅梅やいましばらくは夕景色 ながさく清江

墓ばかり見て紅梅のさかりかな(吉良) 細川加賀 『生身魂』

紅梅やきらきらと声とほりぬけ 細川加賀 『生身魂』

紅梅や子をおもひつつ粥に塩 細川加賀 『傷痕』

紅梅も白梅も金ふちどりぬ 原裕 『王城句帖』  紅梅や母の文箱に父の文 原裕 『出雲』

紅梅のあと白梅の散る軽さ 原裕 『青垣』 紅梅の咲き白梅をはるけくす 野澤節子 『存身』

壽の字は紅梅の蕊のさま 野澤節子 『鳳蝶』

剪りて置く紅梅一枝片袖めく 野澤節子 『鳳蝶』

紅梅や研がれて刃物火の匂ひ 殿村菟絲子 『菟絲』

紅梅は尼白梅は老文士(北鎌倉) 殿村菟絲子 『菟絲』

紅梅や泣くまえの朱を顔に溜め 田川飛旅子 『植樹祭』

紅梅やすさまじき老手鏡に 田川飛旅子 『外套』

紅梅の幹に通ふは神の血か 田川飛旅子 『外套』

紅梅や空濃くなりし昼の坂 柴田白葉女 『月の笛』

紅梅は執をたのみの花ざかり 齋藤玄 『無畔』  薄氷より紅梅までの髪靡き 齋藤玄 『玄』

紅梅にかの日かのことよみがへる 上村占魚 『萩山』

紅梅の*しもとを箸や宮大工 飴山實 『次の花』

紅梅やをちこちに波たかぶれる 飴山實 『辛酉小雪』

紅梅の小窓にたてば見ゆるといふ 阿部みどり女 『石蕗』

紅梅や晴曇交々暇な身に 阿部みどり女 『石蕗』

釜のふた紅梅は枝張りにけり 大木あまり 火球 紅梅や土の埃の立つところ 大木あまり 火球

薪割りの終りは激す紅梅に 大木あまり 火のいろに

紅梅や病臥に果つる二十代 古賀まり子    紅梅に牛つながれて泪ぐむ 森 澄雄

紅梅の夢白梅のこころざし 大串 章      紅梅や枝々は空奪ひあひ 鷹羽狩行

紅梅と故人のごとく対しけり 富安風生    紅梅の紅の通へる幹ならん 高浜虚子

ぱつぱつと紅梅老樹花咲けり 飯田蛇笏   紅梅にはつきりと雨あがりたる 星野立子

紅梅や古き都の土の色 蕪 村         紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ 芭 蕉

紅梅のたそがれ星座ととのはず 渡辺水巴   梅の中に紅梅咲くや上根岸 正岡子規

芯高く紅梅の花ひとつひらく 橋本多佳子   伊豆の海や紅梅の上に波ながれ 水原秋桜子

紅梅を近江に見たり義仲忌 森 澄雄      紅梅や誰となく先うながして 晏梛みや子

紅梅の上目づかひに咲いてをり 今本まり    収骨の刀自の温みや淡紅梅 鈴木フミ子

紅梅の盛り過ぎしと言へど艶 井上喬風   紅梅や撫で牛にある日のぬくみ 児島ひろ子

紅梅や二人連れとは老いること 荒井民子   紅梅の一枝に憑かれ来し歩み 福永みち子

紅梅の花の数ほど恋をせし 平間真木子    紅梅へ舞ひつつ消えむ幕もがな 岩坂満寿枝

紅梅の枝垂るる母の生家かな 花田由子    固まりて咲く紅梅の恐ろしき 松下道臣

紅梅を男坂から眺めたる 古屋 勇       蕾見てをり紅梅か白梅か 鈴木須美生

紅梅や声の出てくる恋みくじ 藤田 昭     白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太

紅梅へ顔寄す この世捨てきれず 守田梛子夫

私が主任選者を継承した句会の前任者であるが、この句は記憶していなかった。椰子夫スタイルが出ている句である。