『朝はあけたり』演出ノート
昨年(2023年)12月25日にMBCラジオ(南日本放送)で放送された、『朝はあけたり』が2023年度のギャラクシー賞(ラジオ部門・選奨)を受賞しました。
放送人には特に名誉な賞で、演出を担当した私も大変嬉しく思っています。
『朝はあけたり』は奄美諸島の日本復帰とMBC開局の、ともに70周年を記念した特別番組です。
主人公は70年前、奄美の日本復帰の祝典を全国放送するため、名瀬(当時)の街に潜り込んだ(?)ラジオ南日本(MBCの前身)の二人の社員。
当時の奄美はアメリカの統治下でした。渡航にはパスポートが必要です。ところがラジオ南日本は開局してまだ2ヶ月。パスポートは間に合いません。そこで二人は…!?
ラジオ南日本の社員を演じたのは恵俊彰さん(アナウンサー 岩橋役)と迫田孝也さん(技術課長 古川役)。恵さんも迫田さんも、脚本を入念に読み込んでくださり、収録ではどのシーンも一発OK。流石でした。
そして、元ちとせさんの語りと音楽が、ドラマのリズムと奄美の空気を作ってくれました。お三方とも鹿児島県出身です。
当時を知る方はご高齢です。脚本の飯田健三郎(高校の同級生)君が往時を語り継ぐ方々から聞き取りし、ニュース映像、新聞書籍等を入念に調べ、脚本に仕上げました。
奄美への取材では旧知の安田壮平さんも訪ねました。私より一回り以上若い現奄美市長です。日本復帰時の名瀬市長(1952-1954)だった詩人の泉芳朗さんからの伝統かもしれません。安田さんも行政手腕は当然ですが、文学的にも優れた感性をお持ちでした。脚本の中には彼の言葉をそのまま引用したところもあり、元ちとせさんの穏やかな声で語られています。
さて、『朝はあけたり』はポッドキャスト等でお聴きになれるMBCの商品です。ネタバレを避けるためドラマの本筋についてはこのくらいにして、以下、演出にあたっての覚書など。
MBCは亡父が47年間も勤めた放送局です。幼い頃に聴いたMBCの社歌を未だに口ずさめる私は、岡田プロデューサーの当時の音源を使って欲しいとのリクエストに我が記憶にある音を散りばめてお応えしました。(MBCのライブラリーは、まるでタイムマシーンでした)
さらに、当時の畠中季隆社長の肉声も記憶していましたので、有馬局長を演じた久世恭弘さんには、畠中さんの口調を伝えて役作りをお願いしました。地方で民放を設立するという大仕事を成し遂げたぼっけもん(鹿児島弁で大胆な人の意)が久世さんの芝居で蘇りました。
技術課長古川と、奄美への渡航を心配するその妻とのやり取りはどうしても作りたかったシーンです。
小学年の頃でした。テレビには台風現場からレポートする父(報道記者時代)の姿。それを心配そうに見つめる母。奇跡的に救出されましたが、家族ぐるみでお付き合いのあったカメラマンが土石流で生き埋めになったこともありましたから無理もありません。
このドラマが、ジャーナリストの在り方を問い直す良い機会になればとMBCの報道幹部。全国の報道マンへのエールの意も込めました。
奄美の苦悩と報道マンの心意気を描いた初稿ができたところで、MBCの中野社長との懇談の機会がありました。そこでスポンサーあっての民放であることを再認識。当時の化粧品会社のCMを入れ込むことで、ドラマはよりリアルに。同時にジャーナリズムと広告と芸術のバランスを取ることも今回の演出の役目だと自らに言い聞かせました。
センセーショナルにデフォルメしても良かったのですが、史実に基づき、奄美の人々の平和主義・現実主義を描きましたので、思ったよりおとなしいドラマになったことは否めません。かと言って、再現ドラマを作ったつもりはないのです。
また、当初は鹿児島地域とラジコのみでの放送予定でしたが、ラジオドラマは貴重なコンテンツになりうるとの中野社長の鶴の一声。ポッドキャスト版で全国に広く長くお聴きいただけることになりました。
それを受け、鹿児島県外の方々にも解りやすいよう、鹿児島弁や奄美弁は緩やかなものを選んでいます。
MBCさんが、私のやりやすいよう配慮くださったのも有り難いことでした。とめ貴志さんなど、私の事務所の気心の知れた俳優をキャスティングできましたし、初めてご一緒した種子田博邦さんも音響効果・編集・音楽と八面六臂の大活躍でした。東京のスタジオとMBCとでバラバラに収録しましたので、音質を揃えるのには苦労しました。
予算、そして人材、機材と、多くの制約がある日本のすんくじら(鹿児島弁ですみっこ)の放送局のラジオのプログラムが、在京キー局の華やかな番組に伍してギャラクシー賞を受賞したことは、地方の放送人・演劇人の大きな励みになりました。全ての皆様に衷心より感謝です。