Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

桜楓会 Ohfukai Society

セーヌ川を下る旅 (3)

2024.07.26 02:50

次は、バイユーという街で11世紀の「タペストリー」(と呼ばれているが実は刺繍)を見物。1066年のノルマン公のイギリス征服の話が58のシーンとなって、幅50センチ、長さは何と70メートルの麻布に施された刺繍である。それが所々で曲がるガラス張りの壁に掲げてあって見事である。千年も昔の女性たちが長い月日をかけてウールの糸で刺繍したのだ。ノルマン公ウィリアムがイギリス王ハロルドに戦勝し、その後イギリスはノルマン系になったのだから、ここノルマンディーでは記念すべき出来事には違いない。イギリスの女性達がノルマン公に贈ったといわれるこの作品がなぜフランスにあるのかは不明だが、それを英仏が争わずに今に伝えられているのは嬉しい。シーンその物は中世独特の稚拙とも思われる作風だが詳細が実に細かく刺繍されている上に、人物も馬も生き生きとしている。飛び交う矢にはスピード感がある。英仏間の交渉のシーンなどもあり、戦いばかりを扱っているわけではない。メインのシーンの上下の細長い部分には様々な動物があって、農夫も一度現れる。見ていて楽しい「タペストリー」で、この旅のハイライトの一つである。

バイユーのタペストリー(ごく一部) 写真撮影はご法度なので、買った小冊子から撮影

ノルマンディーでもう一つ忘れられないのは、第二次大戦中のノルマンディー上陸作戦の場である。大多数がアメリカ人旅行者で、そのうちのたった三人のカナダ国籍の私達のために、アメリカ軍の上陸したオマハビーチ見学の後に、予定を変えてジューノービーチに連れて行ってくれたのはありがたかった。大西洋はイギリス海峡に面して右から左に見渡す限り続くビーチを見下ろす丘にはドイツ軍が設置したバンカー(掩蔽壕)があちこちに残されていて、空洞に置かれた大砲は錆びている。その大砲の列に向かって突撃した連合軍(イギリス、カナダ、アメリカ、その他の国の軍隊)に多数の犠牲者が出たことは当然で、カナダ兵の戦死者の広範囲の墓地には墓標が立ち並んでいる。カナダ兵士の墓標は一つ一つにメープルリーフ、兵士ナンバー、軍階、兵士の名前、部隊名、戦死の日と年齢が刻まれて、その下に十字架と夫々違った慰霊の言葉が読み取れる。白の十字架だけのアメリカ兵士の墓標に比べて、カナダの戦死者の墓標は丁寧だという印象を受けた。アメリカ兵の墓地の批判をしているのではない。立ち並ぶ彼らの十字架には、同じく犠牲者に対する敬意と哀悼の念を感じる。墓地近くの記念の建物の壁に高々と掲げられた作戦地図ではカナダは赤でなく緑色のメープルリーフで代表されている。そうだ。あの頃のカナダはまだ独立国ではなかったのだ。ここで命を落としたカナダ人を想い感無量だった。今年は“D-Day”と呼ばれるあのノルマンディー上陸から80年記念の年である。今私の立っているこの場で式典があるのかも知れない。(8月号に続く)