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桜楓会 Ohfukai Society

死への怖れと超克(ちょうこく) ジンクスと第九 「第九」初演200年④

2024.07.26 02:55

先月、バンクーバー交響楽団(VSO)のコンサートで、マーラーの交響曲「大地の歌」を聴きました。この曲は、2020年の同楽団のプログラムにも入っていたのですが、コロナによるパンデミックで、その年のコンサートの多くが中止になったため、これも聴くことができないままでした。そして、4年が過ぎた今回、やっと生の音で聴くことができた次第です。コロナ禍の時期は、社会生活の復元に悲観的な意見が飛び交っていましたので、今回、この曲を聴きながら、時間というものの持つ偉大な力に深く思いを馳せることとなりました。

「大地の歌」は、破棄された習作を除けば、マーラーが書いた9番目の交響曲です。しかし、彼はこの曲に第9番という番号は付けず、ただ「大地の歌」とだけ名付けて発表しました。それは「第九を書くと死んでしまう」というジンクスを怖れたからです。この曲を書き上げた後、自分の身に何も異変が起きなかったことを喜んだ彼は、ある友人に「神をまいてやった」と漏らしたそうです。すっかり気をよくした彼は、その後、新たに書いた交響曲に堂々と第9番のナンバリングをします。しかし、次の「第10番」にとりかかり、ピアノスコア(曲の骨組み)まで完成したものの、病に倒れ急死してしまいます。第10番は未完成のまま残されました。かくして、第九ジンクスは、さらに信憑性をもって語られることとなりました。

この第九ジンクスは、マーラーより36歳上の友人であるブルックナーに端を発します。生年が第九初演の1824年の彼は、生涯に交響曲を9つ残しました。(それ以前の習作2つには、第0番と第00番という番号が付いています。)彼の交響曲は、曲の開始の仕方や、息の長いフレーズが続くアダージョなど、ベートーヴェンの第九から大きな影響を受けていますが、9番目の交響曲がニ短調で始まる点も同じです。この点について、彼が「私が9番目の交響曲をニ短調で書いたことを世間の人々は、きっとベートーヴェンの亜流と言うだろう。」という意味のことを述べていることからも、本人がベートーヴェン(の第九)を意識していたことがよく分かります。そうやって、渾身(こんしん)の力を込めて書いた9番目の交響曲ですが、最後の第4楽章を書き上げることなく、彼は天に召されます。さらにボヘミア(チェコ)のドヴォルザークも、交響曲を9つ書いて亡くなっています。(第9番が有名な「新世界より」) こうしたところから「交響曲を9つ書くと死んでしまう」という第九ジンクスが形成されたのでした。

マーラーの人生は、幼いころから死ととともにありました。彼には多くの兄弟がいましたが、そのほとんどが幼少で亡くなっています。子どもの頃、彼は友人たちと棺桶に入って眠る遺体の真似をして遊んでいましたが、それは彼が何度も目撃した兄弟の葬式の記憶によるものでした。また、将来の夢を聞かれたとき、「殉教者になりたい」と答えたり、夜、鉄道のレールに頭を置いて横たわり、自殺者の心理を知ろうとしたりしています。青年時代には、音楽家を目指す弟が自殺していますが、それは彼に深い傷を残しています。音楽家として大成したマーラーが、後に20世紀を代表する指揮者となるオットー・クレンペラーという青年に出逢った時、自分と同じユダヤ系だということ以外に、彼のファーストネームが亡くなった弟と同じだったため、特に目をかけてかわいがりました。

https://youtu.be/lWVJbMHY5i4  マーラー「大地の歌」全曲  オットー・クレンペラー指揮 日本語訳付き
彼の作品には死についての思いが様々な形で書きこまれています。若い頃の第2交響曲「復活」では、死とその超克が描かれていますが、晩年の「大地の歌」や第9交響曲には、彼が生涯かけて苦闘した死への最終結論的な想念が聴かれるとよく言われます。特に大地の歌の「この世が一場の夢にすぎないのならば、努力も苦労も何の甲斐があろうか。それよりも、終日酒を飲んで暮らすのだ。」といったフレーズに、言葉を超えた喪失感や無常観が漂っています。
20世紀に入っても第九ジンクスは健在で、イギリスのヴォーン・ウィリアムズも交響曲を9つ書いて亡くなりました。しかし、その前にソ連のショスタコーヴィチが交響曲第10番を発表していますので、呪いの力も半減したかもしれません。ジンクスを打ち破った彼は、生涯に15の交響曲を書いて天寿を全うしました。その第14番「死者の歌」は、男声と女声の独唱を含む編成や死をテーマにしている点などに「大地の歌」との類似性があり、それが最後の交響曲の一つ前に書かれている点にも興味深い符合があります。ちなみに彼の第9番は、ベートーヴェンと肩を並べるような壮大な曲を期待した周囲の思惑を裏切って、軽妙な音楽となっています。それは、彼なりのジンクスへの抵抗だったのかもしれません。  https://youtu.be/YfZ3PGLD2YA   ショスタコーヴィチ 交響曲第9番