【神田 小路】筋違外広小路
2018.12.27 14:51
小路名:筋違外広小路
読み方:すじかいそとひろこうじ Sujikai-Soto-hirokōji
区分:小路
成立:江戸期
廃止:不明
現町名:千代田区外神田一丁目
概要:筋違御門から見附橋を渡って、上野広小路(現・中央通り)に向かうまでの道。「筋違」とは、日本橋から本郷に通じる中山道と、江戸城から寛永寺に至る将軍家の御成道が斜めに交差していたことによる。
『「御府内備考」に「御成(おなり)道、筋違外広小路の東より上野広小路に至る道をいう」とあります。筋違は筋違御門のあった所で、現在の昌平橋の下流五十メートルの所あたりに見附橋が架かっていました。御成道の名は将軍が上野の寛永寺に墓参のため、江戸城から神田橋(神田御門)を通り、この道を通っていったからです。見附内の広場は八つ小路といって江戸で最も賑やかな場所で明治時代まで続きました。八つ小路といわれたのは、筋違、昌平橋、駿河台、小川町、連雀町、日本橋通り、小柳町(須田町)、柳原の各口に通じていたからだといわれています。また御成道の道筋には武家屋敷は多くありました。江戸時代筋違の橋の北詰めに高砂屋という料理屋があり庭の松が評判であったといいます。明治時代には御成道の京屋の大時計は人の眼をひいたようです。また太々餅で売り出した有名な店もありました。 昭和五十一年三月 千代田区』
道は残っていない。道筋は見附橋北詰(千代田合同庁舎 外神田一丁目1番6号)からデニーズの入るメインステージ秋葉原駅前(外神田一丁目3番4号)を貫き、小暮ビル(外神田一丁目11番6号)の西側辺りで神田明神通りにぶつかる。
撮影場所:筋違外広小路