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「宇田川源流」【日本万歳!】 日本は清潔という理由と日本人の美意識

2024.07.28 22:00

「宇田川源流」【日本万歳!】 日本は清潔という理由と日本人の美意識


 毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人のすばらしさや、日本人を称賛している記事などを見つけ、その内容を皆さんに紹介し、そのうえで、皆さんの毎日の行動に、日本人としての誇りを持っていただくということを目的にして、記事の連載を行っている。

 日本人のすばらしさというのはいったい何であろうかということを考えたことがあるだろうか。実際に、様々なところがあげられると思うであろう。「規律の正しさ」や「まじめさ」「勤勉さ」などから「やさしさ」なども挙げられる。もちろんこのようなことを書くと、「そうはない」という例を挙げて反論する人がいるが、逆に、わざわざ希少な例を挙げて反論しなければならないほど、そのような特性がしっかりと日本人の中に根付いているということになるのではないか。ここに書いたような中で「箸にも棒にも掛からぬ」というような特性を挙げているとすれば、そのような例を挙げるまでもなく、特性の中にはないというようなことになり、多くの人から反論が来るに違いないのであるが、そのようなことにはなっていないのである。

 さて、そのような特性もあるが、あえて今回は「清潔さ」ということと「日本人の同じレベルである」というようなことを挙げてみたいと思う。

 日本人のすばらしさの中に「清潔さ」を入れることは特にそうではないというように思う人も少なくないのかもしれない。しかし、本当に日本は海外のどの都市に比べても清潔であるという気がする。もちろん清潔であるということは「水がきれい」ということもあるし「きれい好き」という性質もあるのではないかという気がしないでもない。しかし、そのような特性が、同時に「同じような価値観を持っている日本人が多い」ということがあげられるのではないか。

その日本人の生活差は、海外からどのように見られているのか。その中の一つの例が出てきたので、その内容を見てみよう。

「日本はごみがなく、とても清潔」 日本の光景を母国と比較 スウェーデン人男性が驚いたワケ

 外国人観光客が日本を訪れる目的はさまざまで、“あれもこれも”とアンテナを広く張って日本を満喫している旅行客がたくさんいます。スウェーデンからやってきたITスペシャリストの男性も、初めての日本に心を躍らせていました。街の美観や利便性の高いサービス、治安の良さに母国との違いを感じたそうです。いったい、どんなところに驚いたのでしょうか。

 ◇ ◇ ◇

 「日本食を食べる」ことも大きな目的

 男友達と共にスウェーデンからやってきた男性は、今回が初めての日本訪問です。日本に来ると、母国とのギャップを感じたといいます。

「日本はごみがなく、とても清潔で、人々もフレンドリー。食べ物もとてもおいしいです。私たちの国とは異なる文化がありますが、親しみやすさはとても魅力的です」

 日本人の意識の高さに目を丸くし、感心していました。

 一方で、日本の第一印象は「暑い、高い、たくさんの人」とコメント。北欧スウェーデンの夏の平均気温は15~20度前後であるため、日本の猛暑に苦戦し、混雑する観光地や公共交通機関の圧倒されることもあるようです。

 観光している中で、スウェーデンと日本の都市景観の違いは、文化や生活様式の違いを感じる良い機会でもあります。スウェーデンの広々とした自然環境や開放的な都市景観とは対照的。日本の都市部の高層ビルを目にすると「スウェーデンにはこんなに高いビルはありません」と驚きをあらわにしていました。

 旅と言えば、やっぱりグルメ。「日本食を食べる」ことも醍醐味(だいごみ)です。スウェーデンでも寿司屋はあるようですが、「新しいものを試したい」と興味津々でした。

 また、生活のアイテムとして楽しめるものを購入したいというのも、日本旅行の目的の1つです。

「スノードームや扇風機、盆栽。まだ買っていないけど、買いたいと思います!」

 盆栽といった和の文化だけでなく、日本が誇る家電製品にも注目をしているのですね。

 このように、スウェーデンからの観光客が日本を楽しんでいる姿は、日本人にとっても新たな視点を提供してくれる貴重な体験談となっています。これからの滞在先でも、日本の魅力をたくさん見つけてほしいですね。

Hint-Pot編集部/クロスメディアチーム

7/16(火) 14:07配信Hint-Pot

https://news.yahoo.co.jp/articles/b04c16afac0ee7ba3a9c9c80c19846e6f392160f

 ちょうど先週から、パリオリンピックが開幕している。毎回、オリンピックやワールドカップなどで話題になっているのであるが、日本人のサポーターや観客は、基本的に次にそこに座る人のために、つまり、全く見ず知らずの次の人が心地よくその場を使えるように、自分の周辺を掃除してゆく。それがある意味で不通になっている。ショッピングセンターのフードコートなどを見ていても、外国人が使った後と、日本人が使った後は、全く机の上が異なるので、すぐにその内容がよくわかることになる。特にアジア系の人々は、日本人とが意見が似ているが、そのようなところは全く異なるので、その違いは簡単にわかる。

さて、日本人はなぜそんなに清潔好きなのであろうか。

日本の神々は、基本的には非常にきれい好きである。伊勢神宮などで供え物をするときは必ず五十鈴川で洗ってから備える。我々も、神社で参拝の前には必ず手水場で手を洗うはずである。日本人の神様の感覚は、日本人そのものの中にも神と同等の力があると考えられており、その神様の力を持っていながら、人間として生活している間に、様々な穢れがついてしまって本来の力を出せないというような感じになっている。だから多くの日本人が、神に祈る前に、神社でのお賽銭をごみを捨てるように投げる。あれは、自分の穢れを世の中で最も穢いとされる「金」に自分の穢れをつけて捨てるのである。その穢れを神社は集積をし、そしてそれを浄化する。穢れがなくなった我々は「分相応な」結果を残すことができる。逆に言えば、不運な失敗はなく、自分も知らない自分の本来の力を出すことができるのである。人間は、自分の力をいつも低めに見積もっているので、本来の力は実はそれ以上の力を持っていることが少なくないのだ。そのようなことで「力を発揮させてくれる」野が日本の神である。当然に「天下を取りたい」「楽して稼ぎたい」などの実力とは関係のない望みは、神社などではうまくゆくはずがない。

さて、そのようなことは、古い家にどの家にも神棚があるように、日本人の場合はどの家にもどこにも神がいる。八百万の神々というのであるから、毎日の生活の中にどこでもいる。つまり、神社に行ったときだけではなく、普段から神々に生活を見られているということになる。その神々の力を必要とする場合にいつも清潔に保っておく必要があるのだ。日本の場合は、ごみも「ごみとして捨てられること、処分されることをつかさどる神」となっておりまた、トイレなども「清潔にトイレを使い、人間を健康に保つこと」というこ途をつかさどる神がいるということになる。

その神々と人間の関係が、まさに清潔に保つ生活ということになるのではないか。

外国人は単純に趣味か何かで日本は清潔なのであろうというように思っているのかもしれない。しかし、そこには神々と日本人の関係がありそして、その神々とともに暮らす日本人の生活がそこにあるのである。そのこともしっかりと外国人に学んでもらいたいものである。