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観光列車“ただみSATONO”号 乗車記 2024年 夏

2024.07.26 13:16

観光列車「SATONO」号が、初めてJR只見線に乗り入れた。臨時に運行された団体専用列車“ただみSATONO”に乗り、会津若松駅から只見駅に向かった。

 

「SATONO」号は、福島・宮城・山形の南東北3県での運行を予定して導入された観光列車。*下掲出処:(左)福島民報 2022年11月25日付け紙面 / (右)東日本旅客鉄道㈱「東北の文化・自然・人に出会う旅へ「SATONO」がデビューします」(2022年11月24日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221124_s01.pdf

もともとは2010年12月の東北新幹線延伸(八戸~新青森)に合わせて、津軽半島や下北半島への観光列車として導入された観光列車「リゾートあすなろ」号(HB-E300系)で、「SATONO」号は、2編成が改修されたうちのひとつ。もうひとつは、岩手・青森の北東北2県を走る「ひなび」号(2023年12月23日運行開始)となった。*参考:拙著「【参考】観光列車「ひなび」乗車記 2024年 冬」(2024年1月6日)

 

そして「SATONO」号は、昨年12月24日まで運行されていた観光列車「フルーティアふくしま」の後継車の扱いで、「あいづSATONO」(郡山⇋喜多方)として今年4月6日に土日祝日運行という形でデビューした。*参考:東日本旅客鉄道㈱「のってたのしい列車」SATONO(さとの) 

*上掲出処:(左)東日本旅客鉄道㈱東北本部「「あいづSATONO」の運行を開始します」(2024年2月15日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2023/sendai/20240215_s01.pdf / (右)福島民報 2024年4月7日付紙面

*下掲出処:「SATONO」号の車内に置かれていた「あいづSATONO」限定のパンフレット「SATONOであいばせ 磐越西線の旅」

  

この「SATONO」号が、早くも只見線に乗り入れることになった。㈱JR東日本びゅうツーリズム&セールスの団体専用列車としてだが、「あいづSATONO」の運行日を避けた平日(7月26日、8月23日)にそれぞれ4種のツアーが用意された。*下掲出処:㈱JR東日本びゅうツーリズム&セールス( https://www.jre-vts.com/ )の“観光列車「SATONO」奥会津・只見の絶景の旅”関連Webページを筆者にて加工

私は会津若松~只見間に乗車するだけの「観光列車「SATONO」で行く! 奥会津・只見絶景の旅 片道プラン」に先月上旬に申込んだ。

予約は、『初めて「SATONO」に乗るなら...』と決めていたグリーン車の座席を申込み、無事に取る事ができた。そして、先週18日にJR東日本びゅうツーリズム&セールスから「出発のご案内」が郵送されてきた。

 

福島県を含む東北地方南部は梅雨明けしておらず、天候が心配だったが、会津と奥会津地方の天気予報は曇りで、雨が降っても1㎜ほどというものだった。『青空の下に広がる...』とはならないかもしれなかったが、運行開始まもない観光列車の座席に座りながら、大きな車窓から見える田園や里山の風景はどんなものになるだろう、と大きく期待し“ただみSATONO”の旅に臨んだ。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県・東日本旅客鉄道株式会社 仙台支社:「只見線全線運転再開について」(PDF)(2022年5月18日)

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -只見線の夏- / -観光列車-

 

 


 

 

今朝、磐越西線の列車に乗って会津若松に移動した。天気予報は終日曇りだったが、郡山駅舎上空には小さく青空が見え、薄陽が差していた。

郡山駅は発着駅ということもあり、構内に「あいづSATONO」の大きな看板が掲げられている。

 

改札を通り、1番線ホームに停車中の磐越西線の列車に乗り込んだ。

8:29、会津若松行きの列車が郡山を出発。

 

中山峠を越えて会津地方に入ると、上空の雲の色は濃くなった。猪苗代を過ぎ車窓に正対し「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)を見るが、上半分が雲に覆われていた。

 

9:41、会津若松に到着。駅舎上空の一部には青空が広がり、ここでも薄陽が差していた。会津地方の天気予報も曇りだったが、車窓から見える景色に陽光が注ぐかもしれないと期待した。

 

改札の脇には、袴姿の「ぽぽべぇ」ボードが立ち、「あいづSATONO」関連の展示がなされていた。*「ぽぽべぇ」はJR東日本会津若松エリアプロジェクトのオリジナルキャラクター

そして、その前の広いスペースでは机が置かれ、ツアーの受付が行われていた。

受付では、ツアー用の乗車票(切符)と硬券の記念乗車証が手渡された。

 

受け取った乗車票を手に有人改札を通り、ホームに向かった。改札正面の只見線の発車標には、ツアーということで列車に名は付けられず団体専用列車と表示されていた。ただ私は、“ただみSATONO”と呼ぶことにした。

 

“ただみSATONO”は、2-3番線ホームに既に入線していた。跨線橋から、2両編成のその姿を見下ろした。 

只見線の主ホームになっている4-5番線ホームに降りて、“ただみSATONO”を側面から眺めた。2号車の青系色と1号車の緑系色のカラーリングがよく見えた。

(引用)
・青のカラーリングは、清らかで雄大な川の流れや広い空を表した水色や、深い海をイメージした濃い青色を使用することで、東北地方の清らかで豊かな水や、透き通った空気を表現。
・緑のカラーリングは、草木の芽吹く様子を表した若葉色や、深い山々をイメージした濃い緑色を使用することで、東北地方の緑豊かな山々や田・畑の実りを表現。 
*出処:東日本旅客鉄道㈱「東北の文化・自然・人に出会う旅へ「SATONO」がデビューします」(2022年11月24日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221124_s01.pdf

 

2-3番線ホームに移動し、“ただみSATONO”の両端を見た。今回、“ただみSATONO”は2号車(青系色)が先頭車両になっていた。

2号車には「SATONO」号の名を表現するロゴマークが記されていた。

(引用)
「SATONO(さとの)」
車窓から眺める、郷(さと)の景色。降り立った瞬間の、郷(さと)の香り。 郷(さと)の人・食・文化、ここで出会う一つひとつが、まるで ふるさとのように懐かしくて温かい。ゆっくりと、のんびりと、 東北の豊かな風土を味わいながら列車旅を楽しんでいただきたい。 という想いを込めて「SATONO」と名付けました。
*出処:東日本旅客鉄道㈱「東北の文化・自然・人に出会う旅へ「SATONO」がデビューします」(2022年11月24日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221124_s01.pdf

 

 

列車に乗り込み、既に車内には数人の客の姿があったが、両方の車両を見て回った。配席や調度品は「ひなび」号と同じだったが、カラーリングが違っていた。

まずは、今回私が座席予約した1号車。

グリーン車で2×2BOX、1×1BOX、1BOXの3種固定席が配置され、定員は25名になっている。

運転台を背にグリーン車内を見てみた。座席とテーブルが白基調で、BOX席の囲いが深い青色で明るく華やかな雰囲気だった。天井の3箇所には液晶ディスプレイが設置され、運転台に置かれたカメラが映し出す前面展望を映すようになっていた。

「ひなび」号の、青色座席+黒色囲いに、濃いワインレッドの木目調のテーブルやパーテーションという落ち着いた組み合わせとは大きく違っていた。

 

2×2BOX席。

1×1BOX席。テーブルは広く、相席でも、2人分の弁当を広げても余裕があった。

 

そして、車窓に正対し、一人旅を満喫できる1BOX席。

今回の“ただみ SATONO”では、早戸駅や「第八只見川橋梁」付近のビューポイントで景色を正面に見る事ができるので、最高の座席だった。

私は、この席に座れることを期待していたが、3席しかないということもあり予約は取れず、1×1BOX席で、相席となってしまった。

 

座席は白に近いベージュだったが、通路側に緑・青・橙の3色ラインが引かれ、アクセントになっていた。また、青色の囲いはしっかり作られていて背もたれにもなり、深く座ると適度に閉ざされた空間を作り出してくれた。

ただ、座席のクッション性はほとんどなく、今回の2時間38分という乗車時間を考えると、少々心配になった。

 

グリーン車の前部にある共有スペースには、2種のソファーと運転台に正対したベンチが1種置かれていた。

そして、この共有スペースの棚には、会津の民芸品である“赤べこ”と起き上がり小法師が、同じカラーリングのセットで置かれていた。*参考:(一財)会津若松観光ビューロー「会津若松 教育旅行ナビ」起き上がり小法師絵付け体験 

“赤べこ”は、定番の赤と白地に赤線がセットで、そして緑と青(SATONO色)のセットだったが、SATONO色の“赤べこ”は他の場所にも置かれていた。

ちなみに、このSATONO色“赤べこ”は、只見線会津柳津駅構内にある「やないづ張り子工房Hitarito」の作品らしいが、今回の乗客の中には『これが欲しい。どこで手に入りますか?』とスタッフに尋ねられる方も居た。
 

グリーン車の後部には、スタッフが弁当などの荷出しする広いスペースがあり、その壁には会津木綿の暖簾が掛けられていた。*参考:株式会社はらっぱ「会津木綿について

   

続いて、2号車の様子。

2号車は回転式リクライニングシートが配され、車両後部には車椅子使用者用シート(1席)と1人掛けシートになっている。

荷棚が座席上部に設置されていることから、グリーン車ほどの開放感は無かったが、明るい雰囲気は同じだった。また全ての座席が、通路から一段高い場所に置かれ、大きな車窓からの眺望を楽しめるようになっていた。 

リクライニングシートの色合いはベージュ基調で、明るさの中にも品を感じるデザインだった。

「ひなび」号のシートはオレンジ基調で、車内の雰囲気は大きく違うように感じた。

 

最後にデッキ部。

「ひなび」号と同様、適度な光量で清潔感があった。洗面台が独立し大きな鏡があるのは観光列車には欠かせない設備と思ったが、

男性に“呑み鉄”が多い中、小用の便器が独立しているのはありがたかった。

   

車内を一通り見て回り、駅舎内の売店に向おうとホームと歩き出すと、前方に、こちらに向かってくる赤い物体が見えた。

「ぽぽべぇ」だった。スタッフに手を引かれ、ゆっくりと歩いていた。

近付くと、「ぽぽべぇ」は手を振ってくれた。愛らしい様態と愛嬌ある動きに、好感度がさらに上昇した。

  

買い物を済ませホームに戻ると、駅スタッフが集まり“ただみSATONO”の見送り準備が進められていた。

「ぽぽべぇ」は、1号車から2号車にかけて小旗を振りながらトコトコと歩いていた。

 

  

10:15、只見行き“ただみSATONO”が会津若松を出発。ホームでは法被を羽織ったスタッフが小旗を振り、横断幕を広げ見送ってくれた。

もちろん、「ぽぽべぇ」も小旗と手を振っていた。

   

“ただみSATONO”は快速運転のため市街地にある七日町を通過し、西若松では時間調整の停車をした後に阿賀川(大川)を渡った。上流側に聳える「大戸岳」(1,415.9m、同36座)の山塊は上部が雲に覆われるなど、ほとんど見えなかった。

渡河後、会津本郷を通過直後に会津若松市から会津美里町に入り、会津平野の田園を快調に進んだ。そして、会津高田を通り過ぎると“高田 大カーブ”で進路を西から北に変えた。

左の車窓から西部山地を見ると、会津総鎮守・伊佐須美神社の最終山岳遷座地と云われている「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)の稜線が見えた。*参考:「伊佐須美神社」御由緒・歴史 

  

“ただみSATONO”は時折ディーゼルエンジンを軽く蒸かしながら、快調に広大な田園の間を駆け、根岸新鶴を通過していった。開放的で明るい車内から見える会津平野の田園は、いつもとは違うものに見えた。

そして、借景のように外の景色を切り取ってくれる、大きくクリーニングされ透明な車窓に顔を向けると心地よかった。車内の照明や内装がもたらすホスピタリティと合わせ、観光列車がもたらす大きな効果を実感した。

ただ、天井備え付けのディスプレイには前面展望が表示されていたが、外の風景の良さを伝えるだけの画質ではなかった。只見線に観光列車を導入し、このように前面展望を表示させるのであれば、画質と画面の大きさは良く考えなければならないと思った。

 

グリーン車前部のフリースペースに移動。両側の窓が各座席の2枚分の大きなもので、開放感があるということで、ずっと居たくなるような場所だった。

  

会津坂下町に入り若宮を過ぎ、右車窓から「磐梯山」方面を眺めた。山は半分ほどが雲に隠れていたが、その上空には入道雲のような塊が立ち昇っていた。

   

定期列車では大半の列車が交換を行う会津坂下を通過し、“ただみSATONO”は会津平野と奥会津を“界”となる七折峠に向かった。

ディーゼルエンジンの音が響き出力を上げた列車は、右に大きく曲がり“七折越え”を始めた。

 

登坂途中、塔寺手前で木々の間から会津平野を眺めた。

 

“七折越え”を終えて会津坂本を通過し、奥会津の入口の町・柳津町に入った“ただみSATONO”は、初めての停車駅となる会津柳津に到着。客の乗降は無かったが、多くの方々がホームに繰り出し、大きな横断幕を広げ出迎え、そして見送ってくれた。

  

郷戸手前の“Myビューポイント”では、奥会津地域の只見線沿線では珍しい広々とした田園越しに「飯谷山」(783m、同86座)がよく見えた。 

 

 

“ただみSATONO”は滝谷を通過直後に、“只見線八橋”の会津若松側の前座を務める滝谷川橋梁を渡り、三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

 

そして、会津桧原を通過後に桧の原トンネル内で減速し、只見線内で最も有名な鉄橋となった「第一只見川橋梁」を“観光徐行”しながら渡り始めた。

橋梁に乗るとさらにゆっくりと走行したため、両車窓から景色を見る事ができた。

まず、下流側を眺めた。驚くことに、只見川の上にはうっすらと川霧が出ていて、川面は水鏡になっていた。川霧は朝に発生する確率が高く、また梅雨時は只見川は泥色になっていることが多いため、この川霧と濃緑の水鏡を臨時列車である“ただみSATONO”の車内から見られるとは思っていなかった。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

下流側、蛇行部手前の川霧は不均等だったが、その不均等さが水鏡を覆い良い光景だった。

 

上流側も川霧と、空模様まで映し込んだ水鏡が見られた。

川霧は狭隘な駒啼瀬に、只見川の流れに倣うように、均等に水面を覆っていて美しかった。

 

上流側、右岸上部の送電鉄塔の下には「第一只見川橋梁ビューポイント」があるが、カメラをズームにして見ると、最上部Dポイントとその下方にあるCポイントには、鉄橋を渡る“ただみSATONO”に向けてカメラを向ける方々が確認できた。


名入トンネルを抜け、会津西方を通過直後には再びスピードを落として「第二只見川橋梁」を渡った。上流側の正面には「三坂山」(831.9m、同82座)が見えた。

また、ここでも川霧が出ていた。水鏡を上品に覆うように漂っていた。

下流側、只見川がスゥーっと延びる川面にも水鏡が現れ、川霧が漂っていた。

駒啼瀬に向かって狭隘になる場所には、濃い川霧が見られた。

ここでも“観光徐行”があり、「第一」同様に乗客の大半が立ち上がり、双方の車窓から只見川の様子に見入ったり、カメラやスマホのシャッターを切っていた。

 

 

渡河後しばらくすると、「みやしたアーチ3橋(兄)弟」の“長男”大谷川橋梁を渡りながら、県道の“次男”宮下橋を見下ろした。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) URL: https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5


“ただみSATONO”は会津宮下に停車。駅舎前のホームには横断幕を持った関係者が、手を振り出迎え、見送ってくれた。緑の法被を着た男性は会津柳津駅のホームにも立っていた方で、列車が観光徐行で速度を落とした運転をしていたため、自動車移動でも間に合ったのだろうと思った。

 

会津宮下を出ると東北電力㈱宮下発電所の背後に続いて宮下ダムの脇を駆けた。

  

そして、“ただみSATONO”は「第三只見川橋梁」を“観光徐行”しながら、ゆっくりと渡った。下流側には、うっすらと川霧が見えた。*只見川は宮下ダム湖

 

上流側は、陽光の関係か、川面の水鏡に映り込む周りの景色がはっきりしていて、川霧は蛇行部から左岸に現れていた。

 

早戸を通過直後に、只見川を覆う川霧の中に二艘の和舟が浮かび、船頭が列車に向かって手を振っていた。 

今回のツアーにはこの観光和舟に乗船するコースもあり、気温や湿度、風の気象条件に大きな変化が無ければ川霧は消える事なく、客は“霧幻峡”と呼ばれているこの光景を楽しめるだろうと思った。 


 

“ただみSATONO”は金山町に入り、左に緩やかに曲がり、国道252号線と只見川を見下ろしながら細越拱橋を渡った。


ここから、ツアー客に配られた弁当を食べる事にした。弁当は、福島県古殿町出身の野崎洋光氏(「分とく山」総料理長)が監修し、会津若松市内の「割烹 田季野」が作った「奥会津わっぱべんとう 結」。昨年トロッコ列車「風っこ」号の旅以来、食べるのは二度目だ。

開けてみると、弁当の内容は前回と同じだった。

おかずから食べ始めた。地酒を呑みながらつまみたかったが、今日は夕方に会津若松市内の居酒屋「盃爛処」で吞む事になっているので、一つ一つを味わいながらゆっくりと食べた。酒無しでも、もちろん旨かった!

おかずの内容
・笹巻てんぷら ・わらび玉子焼き ・みょうが甘酢漬け
・会津焼き ・アスパラベーコン ・しめじ炒り煮
・鬼ぐるみ味噌 ・ぜんまい煮 印元 ・肉団子
・椎茸かぼちゃコロッケ ・うち豆のかき揚げ

 

 

会津水沼を過ぎ、下路式トラスの「第四只見川橋梁」を渡った。“観光徐行”はされたが、上弦トラスの鋼材から只見川を眺めることもあってか、減速はのこの前の3つの橋に比べさほど減速されなかったという印象だった。 

川面は、上流に東北電力㈱上田発電所・ダムが近く、放流されているようで流紋が現れ、水鏡は出ておらず川霧も見られなかった。

 

渡河後に国道252号線と交差し、しばらくすると上田ダム湖が木々の間から見えた。左岸の山裾には、剥き出しの岩肌が見られた。雪食地形だ。*参考:国土交通省北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所「雪崩によって作られる地形~奥只見」/ 国土地理院「氷河・周氷河作用による地形」アバランチシュート 

  

 

会津中川を過ぎて、大志集落の背後を駆け抜けると、只見川右岸の縁をなぞるように右に大きく曲がった。ここで右車窓から振り返り、只見川に突き出た大志集落を眺めた。*只見川は東北電力㈱上田発電所・上田ダムのダム湖

水面は珍しく大きく波打ち、水鏡は出ておらず、川霧も見られなかった。それでも、「岳山」(941.7m)山塊を背後に、見ごたえのある光景だった。*参考:福島県生活環境部自然保護課 ふくしまグリーン復興構想「大志集落俯瞰とかねやまふれあい広場からの大志集落」URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/w4/fgr/outline/


 

11:58、“ただみSATONO”は会津川口に停車。向かい側には会津若松行きの列車(12時29分発)が待機していた。 

そして、目の前の只見川の上流側には川霧が見られた。

 

向いに停車中の会津若松行きは、キハ110+キハE120形の2両編成だった。現在、只見線の主要車両になっているキハE120形と並ぶ「SATONO」号を眺め、只見線に観光列車は欠かせないと実感するとともに、今後は正式に「ただみSATONO」として只見線を定期運行して欲しいと思った。

12:04、会津川口を出ると、“ただみSATONO”は、「平成23年7月新潟・福島豪雨」被害を経て2022年10月1日に約11年振りに運転再開した区間に入った。

只見川を見ると、上田ダム湖の浚渫工事の関係者と思われる方を乗せたモーターボートが現れ、総舵手以外の方が手を振ってくれていた。*参考:東北電力㈱「平成23年7月新潟・福島豪雨」只見川・阿賀野川における対応について(PDF)(平成24年5月30日)

 

列車は1kmほど、うっすらと川霧に覆われた只見川の縁を駆けた。

そして、一時只見川と離れ、西谷信号場跡の広い空き地を抜けた後、スピードを落として「第五只見川橋梁」を渡った。左車窓から見える上流側の蛇行部分は幅広く、周囲を映し込む大きな水鏡を幻想的な川霧が覆い、なかなか見ごたえのある光景になっていた。*只見川は上田ダムのダム湖  

右岸の正面の県道252号線の路肩には、多くの“撮る人”が居て、カメラのレンズを“ただみSATONO”に向けていた。全員男性で、ほとんどが中高年と思われる方々だった。

 

渡河後、右車窓から上空を見上げると、夏空が見えた。曇り予報の中、このように青空と陽光に出会い嬉しくなった。 

 

 

本名を通過してまもなく、「平成23年7月新潟・福島豪雨」で主要の上路式桁が破断・流失し、下路式トラスに一新された「第六只見川橋梁」を“観光徐行”しながら渡った。上流側の東北電力㈱本名発電所・ダムは全てのゲートを開放し豪快に放流していた。

  

渡河後に本名トンネルを抜けると、只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過した。只見川の両岸にはケーブルエレクション工法の鉄塔が建ち、「平成23年7月新潟・福島豪雨」で被害を受けた旧湯倉橋の撤去工事が進められていた。

 

会津越川会津横田を通過し、“ただみSATONO”は、「第六」と同じく復旧工事で一新された「第七只見川橋梁」を渡った。

下流側、大塩温泉共同浴場がある付近には、川霧が漂っていた。日中に、この「第七」橋から川霧を見たのは初めてで、今日は“川霧の当たり日”で、幸運だったと思った。*只見川は本名ダム湖

 

会津大塩を通過してまもなく、新田踏切付近にはJR東日本の車両が停車し、2人の職員が手を振ってくれていた。

奥会津地域に入り、只見線とほぼ平行する国道252号線では、このJR東日本のコーポレートカラー(グリーン)が入った車両が時折見られた。只見線初の「SATONO」号の営業運転ということで、不測の事態に備え伴走していたのだろうと思った。

 

 

滝トンネルを抜け只見町に入った。ここでは只見川に川霧は見られなかった。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖 

  

会津塩沢を通過すると、“ただみSATONO”は「第八只見川橋梁」を渡り始めた。ここで先頭車両のフリースペースに移動し、前面展望を眺めた。

只見川の左岸縁に沿って架かかり、会津若松発の下り列車にとって“只見線八橋”の大トリとなる「第八」橋を、“観光徐行”しながら左に大きく曲がりながら進んだ。ここでも川霧は見られなかったが、大きな車窓から雄大な景色をゆっくりと見られた。*只見川は電源開発㈱滝発電所・ダムのダム湖

上流側の中央部を見ると、浚渫船が見えた。

「平成23年7月新潟・福島豪雨」後の被害検証で問題視された只見川(ダム湖)の堆砂を地道に取り除く浚渫作業は、只見線の保全にも大きく関わっている。私にとっては見慣れた光景になったが、只見線の車窓からこの作業を目にした観光客が、ダムと共存する奥会津地域により深い関心を持って欲しいと思った。*参考:国土交通省 水管理・国土保全局 「全国のダムの堆砂状況」 https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/dam/taisa/index.html / 「主な堆砂対策」(PDF) URL: https://www.mlit.go.jp/river/dam/taisa/taisa3.pdf

 

 

会津蒲生を経て、八木沢地区の背後を駆けると、左車窓から只見川越しに只見四名山「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座)の稜線が見えた。*参考:(一社)東北観光推進機構「只見四名山

そして、“ただみSATONO”は只見線最長の「叶津川橋梁」(372m)を渡った。 

 橋の只見方の袂にある「叶津川橋梁ビューポイント」には、7人の“撮る人”の姿があった。

 

渡河の途中で上流側に目を向けると、只見四名山「浅草岳」(1,585.4m、同29座)の山頂が見えた。

 

「叶津川橋梁」を渡りきる直前で見下ろすと、こちらにカメラを向ける“撮る人”がいた。「SATONO」号が初めて只見線で営業運転をするということで、多くの“撮る人”が沿線で見られたが、期待通りの写真が撮れたのだろうかと思った。

 

渡橋後、左車窓から只見四名山「蒲生岳」(828m、同83座)が、“会津のマッターホルン”に相応しい鋭角な山容を見せていた。 

 

  

11:48、“ただみSATONO”は、定刻よりわずかに早く、終点の只見に到着。

駅舎に近い旧貨物ホームには子どもから大人まで多くの方がいて、横断幕を広げシャボン玉を飛ばし、“ただみSATONO”を出迎えてくれていた。

 

“ただみSATONO”は会津若松駅への折返し運転は無く、これから回送されるため、全ての客が降りてホームから長い連絡道に下りて、駅舎に向かっていった。

私も一通り写真を撮り終えると、列の後ろについて駅舎に向かった。

 

そして駅頭に出ると、駐車場には大型の観光バスが停車し、“ただみSATONO”から降りた客の一部が乗り込んでいた。

観光地巡りが付いた日帰りコースを選んだ方々で、「ただみ・ブナと川のミュージアム」(只見町)、「大塩天然炭酸場」(金山町)、「霧幻峡の渡し」(三島町)などを訪れ、そのまま観光バスで会津若松駅に戻る予定になっていた。


観光バスが出発し、他の乗客が駅周辺の観光や駅前の只見線広場などに向かうと、駅頭は静かになった。駅舎の壁に立て掛けられている“只見線全線運転再開カウントボード”は664(日)を表示していた

この駅頭から少し北に向かい、シャボン玉を飛ばすなどして出迎えてくれた方々が立っていた旧貨物ホームに移動し、只見四名山「要害山」(705m、同91座)を背景に“ただみSATONO”を眺めた。

“ただみSATONO”の旅が終わった。期待に違わぬ乗り心地と車内のホスピタリティに満足できた旅になり、只見線には専用の観光列車が欠かせないとの思いを強くした。

グリーン車の椅子は少し硬かったが、約2時間30分の乗車で苦痛に感じるものではなく、大きく綺麗な車窓や明るい車内などホスピタリティが勝り、快適に過ごすことができた。ディーゼルハイブリットの駆動方式の他、車体が定期運行車両(キハE120形、キハ110)より長いためか、走行は安定していたことも心地良さにつながったとも感じた。

唯一、気になったのは会津平野を走行中に連結部分から聞こえ続けていた音。七折峠を越えて奥会津地域に入ってからは気にならなくなったので、路盤の違いではないかと思ったが、その音を抑えられていれば、満点に近い乗り心地だった。 

観光列車「SATONO」号は、来月(8月23日(金))にもほぼ同じ内容で運行されるが、それ以外は土日祝日に「あいづSATONO」として郡山~喜多方間を走るスケジュールになっている。つまり、平日は空いているので、まずは、只見線が最も観光力を発揮する秋の紅葉シーズンに、正式に「ただみSATONO」として平日運行させ、“観光鉄道「山の只見線」”の周知・定着に一役買って欲しいと思った。

 

只見線の観光列車については、第2期の「只見線利活用計画」で具体的に導入することが示された。

ただし、福島県が大株主である第三セクターの会津鉄道㈱と共有する方向で調達に向けた活動をしてゆくという。これは、会津鉄道が保有する観光列車「お座トロ展望列車」が更新期を迎えているためで、只見線に定期運行される“専用”観光列車ではない事になる。福島県が調達を主導するということで致し方ないが、この“共有”観光列車を緒にして、高い乗車率を保つなどの実績を積み上げ、次は只見線が手本とする“海の観光鉄道”五能線で3編成が運行されている「リゾートしらかみ」のように、JR東日本が只見線“専用”観光列車を導入するようになれば、と私は思っている。*参考:拙著「【参考】観光列車「リゾートしらかみ」乗車記 2020年 夏」(2020年8月10日)

*下掲記事:福島民報 2024年5月18日付け第1面 *関連記事以外は、筆者にてボカシ加工


 

この後、会津若松行きの普通列車の発車時刻まで時間があるので、只見駅から回送運転される「SATONO」号を撮影するために「叶津川橋梁」に移動し、下流側の「浅草岳」が見えるポイントで準備をして待った。

 

ほどなく、只見駅方面か警笛が聞こえ、「SATONO」号が姿を現し「叶津川橋梁」を渡り始めた。 

「SATONO」号が叶津川上に進み、『浅草岳を背景に写真が撮れる』と思った瞬間、列車が「浅草岳」を隠してしまった。撮影場所が悪かったようだった。

そして、“ただみSATONO”は会津若松方面に向かって過ぎ去っていった。

この列車は、明日「あいづSATONO」として郡山~喜多方間で運行されるため、おそらく郡山に向かうのだろうが、回送運転はもったいないと思った。

例えば、回送運転分を沿線の只見町や金山町が買い上げ、地元の方々を招待し会津若松まで体験乗車をしてもらう。こうすることで、只見線を支える地元の方々の“観光鉄道「山の只見線」”への理解や、観光列車の必要性が深まり、“Myレール”意識がより浸透するのではないかと思った。

また、「只見線利活用計画」を中心なって進めている福島県がツアー会社の強力を得て、乗るだけの団体専用列車として、“只見線復旧復興基金”寄付金付き指定券を発売し、運行させることも考えられる。

 

福島県や沿線自治体は、これからもツアーを企画するであろうJR東日本びゅうツーリズム&セールスと協定を結び、今回のように回送運転されることなく有用活用される方策を考え実行して欲しい、と過ぎ去る「SATONO」号を眺めながら思った。

  

  

(了)

 

 

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*参考:

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。 

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、宜しくお願い申し上げます。