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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

ショパンと友情

2018.12.28 09:25

ドレスデンでは演奏中に婦人たちがダイヤモンド以上に輝く編針で競って編み物をする姿に

驚いていたショパンであった。

当時、ヨーロッパでは編み物は上流階級の貴婦人のたしなみであった。

ドレスデンの1週間の滞在では大きな収穫がなかったショパンであったが、イタリア人の親切な音楽家の伝でイタリア行きの希望を持てたショパンは次への訪問地へ向かったのであった。

ショパンはウィーンへ向かう前にプラハに立ち寄った。

ショパンは、ドイツのピアニストでオルガニストであり作曲家のアウグスト・クレン

ゲル(1783年ドレスデン生まれ)にプラハで出会う。

クレンゲルは既にサンクトペテルブルクやパリで成功を収めてドレスデンに帰って来ていた。

ショパンはクレンゲルに自分のピアノ協奏曲を聴いてもらった。

すると、クレンゲルはショパンの曲はジョン・フィールド(1782年アイルランド生まれでサ

ンクトペテルブルクで作曲の勉強をした)の曲に似ていると言った。

そして、ショパンの演奏の打鍵が他にない珍しい奏法であることをクレンゲルは褒めた。

そして、親切なクレンゲルは作曲家のフランチェスコ・モラッキと宮廷劇場長のヴォルフ・

アドルフ・アウグスト・フォン・リッティハウに会いに行き、ショパン青年の演奏会を開い

てあげてもらえないかと頼みに行ってくれたのであった。

クレンゲルはそのことをショパンのためではないとショパンを気遣い、それは自分の故郷の

ドレスデンのためだとショパンに言った。

しかしながら、クレンゲルの努力の甲斐なく、あいにくどこの劇場もオペラの上演で塞がっ

ていた。

この出来事で、ショパンはクレンゲルの事がすっかり気に入り、クレンゲルの人情に30年前

からの友のような気がすると繊細なショパンは恩を感じた。

そして、クレンゲルのような自分の音楽を理解してくれたうえ人情もある人と人生で出会う

ことは滅多にないであろうとショパン青年は思った。

クレンゲルはショパンの協奏曲の楽譜を貸してほしいと言った。そのあとの事だ、

ショパンはクレンゲルに連れられてドレスデンのポーランド人の侯爵夫人に会ったり、

ロシア使節団の関係者のパーティーなどにも連れていかれた。そして、

ザクセン王宮の女官(公妃に仕えていた女官でポーランド人を招くことで知られていた)に

クレンメルの計らいで宮殿へ招かれ、ザクセン王の令嬢と亡きアウグスト1世のご息女たち

の前でショパンは演奏を披露したのであった。

そこでもショパンはご息女や令嬢たちにイタリア行きを薦められたのであった。

ショパンにとって、プラハはクレンゲルの人柄が身に染みる旅となった。