「初夏が歓喜の歌を唄う」言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(三十九)
金色を帯びた虹色の輝きを放つコガネムシが、絶好調を迎えつつあるワイルドローズの花に潜りこんでいます。
獲物を念頭に置いたジョロウグモがせっせと糸を吐き出しながら、ほぼ限界の大きさの罠を仕掛けています。大小さまざま、色とりどりの蝶が、副次的な効果のために庭の引き立て役も務めています。
気の早いトンボが羽虫を狙って集まってきています。
初夏の昼下がりがきらきらしています。
そしてこの庭の製作者たる私は、独断のきらいがある幻術者を気取って、感情の赴くがままに陶酔と恍惚を貪っています。
幸福がここにあふれ返っています。天国とはまさにここなのです。
自然の摂理がもたらす心地よい秩序が青空の彼方へ消散してゆきます。
理性が冴え返る時間は無用です。
すでにして私と妻とタイハクオウムのバロン君は永遠を把握した気分に浸っており、三者のささやかな睦み合いが頂点に達しかけています。
心も魂もまるごと陽光に任せきって、精神の防壁を悉く投げ出しているこのひと時がたまりません。
無用の長物たる人生設計などは惜しげもなく捨て去りました。
春鳥に入れ替わりつつある夏鳥が集まって清談に時を過ごしています。
パトスは後退したところへエトスが割りこんできました。
まださほど熱くはない風が、論点を外れた議論を展開して人生の哲理なんぞを説いています。
夜には派閥間の暗闘が絶えないカエルたちも、今は絶対的実在から離れて、葉陰にじっとうずくまっています。
いい日です。杞憂のかけらも見あたりません。精神の破産など思いも寄りません。たまにはこんな日もあっていいでしょう。
庭の外へ一歩出るや、嘘偽りの塊が灰汁色の世間を暗示して止みません。絶対的実在なるものの片影すら認められないありさまです。
それでいいのです。この世は夢です。三次元のホログラムなのです。
ですから、軽々に見逃してきた真理のたぐいを惜しんでいけません。
始まったばかりの七月が歓喜の歌を控えめに唄っています。
「意思の疎通を欠かさないでくれ」と万物が頼んでいます。
「絶対的実在なんぞを信じないでほしい」と濃い紫色のクレマチスが願っています。