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一号館一○一教室

トルストイ著『イワン・イリイチの死』

2024.07.29 13:44

死の恐怖と対峙した
文豪が突きつけてくるものは


595時限目◎本



堀間ロクなな


 夜中にふと目が覚めて、死の恐怖に襲われることがある。いつか必ず虚無の闇に呑み込まれてしまうという、切実な感覚が湧きあがってきて胸苦しくなるのだ。先だってもそんな発作が起きたときに、たまたま愛犬(オスのチワワ・13歳)が足元で寝ていたので手さぐりで背中を撫でさすってみたら、ほんの少し気持ちが落ち着いたのは、およそ死の恐怖とは無縁らしい小さな生命の息づかいに癒されたせいかもしれない。



 レフ・トルストイの『イワン・イリイチの死』(1886年)を読むと、このロシアの大文豪もまた、こうした死の恐怖に取り憑かれていたことが生々しく伝わってくる。



 ペテルブルクで裁判所の判事をつとめる平凡な中年男、イワン・イリイチ・ゴロヴィンは、自宅の客間でみずからカーテンのつけ替え作業中、梯子を踏み外して脇腹をしたたかに打ちつけた。しかし、すぐに痛みも和らいだので気に留めないで過ごしていたところ、口のなかで妙な味がしたり、腹部に違和感を覚えたりするようになって……。医師の診察を受けると盲腸や腎臓に損傷があると説明したきり口をつぐみ、まわりの家族や友人・知人たちも平静を装ってこれまでどおり振る舞っていたものの、イワン・イリイチは鏡に映るわが身が日に日にやつれていくのを眺めるにおよんで、深夜のベッドでひとり煩悶しないではいられなくなる。



 「問題は、盲腸でもなければ、腎臓でもない、生に、そして……死にあるのだ。そうだ、生はあった、そして今は去ろうとしている、去りつつあるのだ。しかもおれは、それをとめることができない。そうだ、なんで自分をあざむくことがあろう?〔中略〕おれはいなくなる、するとあとはどうなるんだろう? なんにもありゃしない。じゃ、おれはいなくなって、いったいどこへ行くんだ? すると、やっぱり死か? いや、おれは死ぬのはいやだ」(中村白葉訳)



 これらの自問自答は、わたしがときに寝床で思いめぐらすものとぴったり重なりあう。そう、まさに問題は不慮の病気などではなく、おのれの先行きには死という虚無の闇が待ちかまえているという自覚にあるのだ。その閾をいったん跨いでしまったら、もはや立ち返ることはできない。そんなイワン・イリイチにせめてもの慰めを与えてくれたのは、愛犬ならぬ、料理番の百姓ゲラーシムだった。この善良な若者だけが死をまっすぐ見つめ、胸中の苦悩を吐きだすのを受け止めてくれたからだ。こうして、最後には全身の激痛に苛まれながら、いまわのときを迎えて、かれはあらためて「死はどこにいるのだ?」と問いかけ、死の代わりに光を目にして、「なんという喜びだ!」と口にして息を引き取った……。



 果たして、トルストイはこの結末に死の恐怖を乗り越えるための道筋を見出したのだろうか。確かに、この作品を執筆した前後から、独自のキリスト教理解にもとづく信仰へと回心して膨大な宗教的論文を著しはじめるとともに、百姓ゲラーシムにつらなる素朴な民衆を主役とする物語が続々と生みだされていった。しかし、その根底には依然としてどす黒い死の恐怖がまとわりついていたようだ。



 井筒俊彦著『ロシア的人間』(1953年)は、トルストイを論じたチャプターで『イワン・イリイチの死』を書いてから8年後の1894年、65歳に達したかれの言葉を紹介している。手元の全集には該当個所が見当たらなかったので孫引きさせてもらおう。



 「年をとるとは何を意味するか。年を取るとは髪が落ち、歯が抜け、皺が出来、口から吐く息が臭くなることだ。一切が終る前にすら、全てが恐ろしい、いまわしいものになるのだ。べたべたに塗りつけた臙脂(べに)、白粉(おしろい)、そして汗と悪臭と醜い姿、そういうものがはっきり意識されるようになる。私が今までに奉仕して来たものは一体どこに行ってしまったのか。美はどこにあるのか。美こそ一切なのに、もうそれがない。何もない。生がない。〔中略〕今日でなくとも、明日にも自分に病気と死が襲いかかって来るかも知れぬ。そうなれば腐臭と蛆虫の外に何も残らないのだ」



 まったく、なんという絶望の深さ。この文章を読むかぎり、イワン・イリイチが深夜のベッドで凝視した虚無の闇から一歩も出ていないように見受けられる。『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』といった文学史上に聳え立つ傑作を送りだし、当時、世界じゅうから尊敬を集めていた稀代の文学者であり、人類の教師と呼ぶべき偉大な思想家でもあったトルストイの言葉は、かくしてはるかな時空を隔て、わたしに抜き差しならない命題を突きつけてくるようなのだ。金輪際、死の恐怖から逃れることはできやしない、と――。