経験者にインタビューその5
初代全校オペレッタ指導者である、杉本通子先生にインタビューさせていただきました!
「なぜオペレッタが始まったのか?」
これはよく聞かれるそうですが、昭和57年度からの2年間、伊久美小学校が、文部省・島田教育委員会から、へき地教育研究校として指定されたことがきっかけだったそうです。
「表現力をつけましょう」ということで、1年目は国語を入り口に、地元のいいところや民話などを「見つけっこ」をして作文し、朗読して発表するという「朗読集会」をしたそうですが、それをもっと広げよう!ということで、音楽ができる先生が求められ、通子先生が伊久美小学校にやってきました。
やがて研究の成果として研究発表会が開かれたのですが、公開授業や竹馬の行進・演技などと共に、オペレッタも発表されました。昭和58年、まさに伊久美小オペレッタ元年です。
▼研究発表会の様子が掲載された朝日新聞(1983.11.30掲載)
「試行錯誤の連続」
研究発表会でオペレッタを発表する、ということになり、その指導を任され、プレッシャーで自律神経失調症になってしまったという通子先生。しかし発表の日は待ってくれません。ついに「やるしかない!」と覚悟を決めた通子先生。元々市民劇場を毎月鑑賞していたり、ご家族が英語劇の経験があったりと、演劇には馴染み深かったのはもちろん、オペレッタの最高傑作と言われる、シュトラウス2世のオペレッタ『こうもり』を鑑賞しに行って参考にしたり、試行錯誤を重ねていきました。
どういうふうに作るか、見栄えするにはどうしたらいいか、難しくしないためにはどうしたらいいか・・・
子供達も一生懸命やってくれたと言います。グランドを挟んでの発声練習。どんな表現したい?どうしたい?と子供たちに問いかけ、子供たちが「楽しい!」と思う気持ちを大切に、作品を作っていきました。
とにかく無我夢中だった、と通子先生は振り返ります。
「ついに『ひのき峠のおじぞうさん』が完成」
そうして出来上がった伊久美小オペレッタの第一回目の演目は「ひのき峠のおじぞうさん」。
資料を見せていただきました。
伊久美の名所「ひのき峠」にいるお地蔵さんが舞台中央に立ち並び、伊久美の四季折々が綴られていく物語。季節ごとに、お茶摘みや、川に泳ぐ魚たちや、寒さに震える動物や、元気な子供たちなどが立ち現れては過ぎ去っていく構成で、お地蔵さんだけは峠に立ってずっとみんなを見守っています。そして最後は全員登場してのフィナーレ。
これは盛り上がりそう!!と想像しただけで鳥肌が立ちました。
まさに第一回目に相応しい素晴らしい構成。試行錯誤の末に生まれた、情熱の結晶のような舞台だと思いました。
客席の反応もとても良かったとのこと。みんな驚いたと思います。
「忘れがたいもの」
杉本通子先生にとって、オペレッタ作りの経験は、忘れがたいものとなったそうです。当時の資料も大切にとっておられました。
通子先生は昭和58年から60年までの3年間、子供たちとオペレッタを作りました。その後も、ずっとオペレッタ作りは続き、伊久美小の代名詞となるまでになりました。通子先生と子供たち、そこから先の先生方と子供たち、それぞれにいろんなオペレッタの思い出が溢れていることでしょう。あらためてなんて豊かなことなんだろうと思いました。
閉校記念誌「ぼだいさん」にも、オペレッタのことがそこかしこに出てきます。卒業生たちの名前を一人一人、懐かしそうに読み上げる通子先生。時間がその当時に戻ったようでした。
通子先生、たくさん貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました!