夕暮れに、なお光あり
https://www.kirishin.com/2020/01/10/40035/ 【新連載【夕暮れに、なお光あり】 夕日の豊かさ 渡辺正男 】より
キリスト者として「老い」を生きるとは? 高齢者の実存に寄り添いつつ、老いを生きる醍醐味、良く生きるための秘訣を熟練の牧師たちに聖句と共につづっていただく新連載がスタート。月替わりで6人の執筆者にご寄稿いただきます。
塔和子さんの詩「夕映え」の冒頭に、こうあります。「私の人生は 朝も過ぎ昼も過ぎ 夕日のいまだ照っているような」と。私の現状をよく語ってくれているように思えます。
引退してから、かなりの年数になります。しかし、その暮らしにいまだに慣れきれなくて、人生の午後も遅い夕暮れ時をどう受け止め、どう生きるのか、いつも問われているような思いです。
私の最後の任地は、千葉県館山の南房教会でした。よく海辺に出て太平洋に沈む夕日を楽しみました。
「海坂」という美しい古語があります。「うなさか」と読みます。作家の藤沢周平が、「海辺に立って一望の海を眺めると、水平線はゆるやかな孤を描く。そのあるかなきかのゆるやかな傾斜孤を海坂と呼ぶ」と記しています。館山で見た海坂に沈む夕日は忘れられません。
夕日には、朝日にはない不思議な魅力があります。「日本一の夕日」と銘打った名所が各地にありますね。夕日の魅力は何なのでしょう。
吉田健一の『旅の時間』を読んでいて、こんな文章に出会いました。「夕日っていうのは寂しいんじゃなくて豊かなものなんですね。それがくるまでの一日の光が夕方の光に籠っていて朝も昼もあった後の夕方なんだ」
夕日には、朝の光も昼の光もこもっている。夕日の豊かさは、それまでの一日の光が籠っている故なのだ、と言います。確かにそうですね。これは、歳を重ねてきた私たちの人生の歩みにも言えことではないでしょうか。
引退後の今の日々は、人生の夕暮れ時ですけれど、でも朝も昼もあった後の夕暮れですね。
この夕暮れの時間には、若い時の恥多い日々も、壮年の時の務めに追われた日々も、みな含まれていると言わねばなりません。
その、これまでの歩みのすべてが、恥多きこと悔い多きことも含めてすべてが、主なる神の赦しの中に、「よし」として受け容れられている。その主の赦しの恵みをかみしめる時間として、今の時を与えられているのではないか、私はそう思っています。
病院通いも増しています。気力も体力も衰えてきました。少しずつ、主なる神にお返しするのでしょう。
でも、人生の夕方は、夕日が豊かであるように、これまで以上に主の恵みを味わいかみしめる時なのですね。
「夕べになっても光がある」(ゼカリヤ書14:7)
わたなべ・まさお 1937年甲府市生まれ。国際基督教大学中退。農村伝道神学校、南インド合同神学大学卒業。プリンストン神学校修了。農村伝道神学校教師、日本基督教団玉川教会函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年引退。以来、ハンセン病療養所多磨全生園の秋津教会と引退牧師夫妻のホーム「にじのいえ信愛荘」の礼拝説教を定期的に担当している。著書に『新たな旅立ちに向かう』『祈り――こころを高くあげよう』(いずれも日本キリスト教団出版局)、『老いて聖書に聴く』(キリスト新聞社)、『旅装を整える――渡辺正男説教集』(私家版)ほか。
https://www.kirishin.com/2022/02/28/53026/ 【【夕暮れに、なお光あり】 賛美歌のある人生 川﨑正明 】より
2月10日で85歳になった。最近は「記憶の旅」と称して、過去の思い出を手繰りながら自分の人生を振り返ることが多くなった。13歳(中学1年)の時に、同級の女子生徒に「紙芝見においで」と誘われて、信者さんの家の2階座敷で行われていた教会学校に行き、3年後(高校2年)に受洗した。その日から今年で信仰生活70年を迎えるが、賛美歌をめぐるいろいろな思い出がある。
教会学校に行き始めたころ、クリスマス祝会で好きな賛美歌を独唱することになり「十字架の血にきよめぬれば……」という当時の「讃美歌」529番(1931年版、1954年版=515番)を歌った。すると途中から、先生と友だちが次々と立って一緒に歌い始めた。私は感極まって、涙しながら歌い続けた。賛美歌を歌う喜びを初めて経験した。
その後の牧師、キリスト教学校宗教主事、幼稚園園長の45年間は、いつも賛美歌のある人生だった。宗教主事時代は、学校のチャペルの司会をして毎日のように賛美歌を歌った。ある時、生徒が礼拝で講壇に立つ先生方の「評価表」を作った。私への評価は、「お話」は非常に低かったが「賛美歌を一生懸命に歌う」が10点(満点)だった。そんな状態だから、スナックでカラオケを歌うと、「先生の歌は賛美歌調だ」とよく言われたものだ。
かつて大阪のある教会の葬儀に出席した時、1人の宣教師がフルートの伴奏に合わせて讃美歌353番(1954年版)を独唱された。
「いずみとあふるる いのちのいのちよ、あさ日とかがやく ひかりのひかりよ」
その声の素晴らしさと、「いずみ」「いのち」「あさ日」「ひかり」という言葉が、私のこころに染み通り感動した。そして今、「主イエスよ、たえせず わが身にともない、ひかりのみちをば あゆませたまえや」と続く5番の歌詞を、私の70年の信仰生活と重ねてみた。好きな賛美歌1曲と言えば、私はこの353番を挙げる。辞世の歌として、私の葬儀ではぜひこの曲を歌ってほしいと思っている。
コロナ禍の今、声を出して叫べない状況が続いている。散歩中によく賛美歌を口ずさむが、早く腹から声を出して歌いたい。マスクの中に閉じ込められた歌がかわいそうだ。もちろん、歌い方は多様だが、賛美歌のあるいい人生を過ごしたいと思う。
「聖所で 神を賛美せよ。大空の砦で 神を賛美せよ。力強い御業のゆえに 神を賛美せよ……息あるものはこぞって 主を賛美せよ。ハレルヤ」(詩編150編1~6節=新共同訳)
かわさき・まさあき 1937年兵庫県生まれ。関西学院大学神学部卒業、同大学院修士課程修了。日本基督教団芦屋山手教会、姫路五軒邸教会牧師、西脇みぎわ教会牧師代務者、関西学院中学部宗教主事、聖和大学非常勤講師、学校法人武庫川幼稚園園長、芦屋市人権教育推進協議会役員を歴任。現在、公益社団法人「好善社」理事、「塔和子の会」代表、国立ハンセン病療養所内の単立秋津教会協力牧師。編著書に『旧約聖書を読もう』『いい人生、いい出会い』『ステッキな人生』(日本キリスト教団出版局)、『かかわらなければ路傍の人~塔和子の詩の世界』『人生の並木道~ハンセン病療養所の手紙』、塔和子詩選集『希望よあなたに』(編集工房ノア)など。
https://christianpress.jp/57093/ 【【夕暮れに、なお光あり】 落ち葉を拾うな! 上林順一郎】より
秋の深まりとともに木々は色づき、枯れ葉の舞い落ちる季節となりました。落ち葉と言えば四国の教会にいた時、教会の庭に 10本ほどの桜の木があり、春になると見事な花を咲かせ、道行く人の目を楽しませてくれました。しかし、秋になると葉は茶色になり、次々と散って路上に溜まります。風が吹くと近隣の家の前まで落ち葉が広がり、近所迷惑になると毎朝路上の落ち葉を掃いていました。
ある日、朝から落ち葉を掃いていたところ、1人の高齢の方が教会の玄関の前で「落ち葉を拾うな!」と大声を出しているのが聞こえました。落ち葉を拾い集めていることに文句をつけられているのかと近づくと、玄関前の看板に書かれている説教題を見ながら大声を出していたのです。そこに書かれていたのは「落ち穂を拾うな!」という説教題だったのですが、「落ち葉を拾うな!」と間違って読んでいたのです。
「落ち穂を拾う」と言えば、ミレーの「落ち穂拾い」の絵が有名です。旧約聖書のルツ記を基にしたものですが、その背後には「あなたがたが土地の実りの刈り入れをするとき、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。刈り入れの落ち穂を拾い集めてはならない。貧しい人や寄留者のために残しなさい。私は主、あなたがたの神である」(レビ記23章22節)との聖書の言葉があります。そこでは収穫の時に地に落ちた穂を拾ってはならないと言われているだけでなく、「貧しい人や寄留者のために残しておきなさい」と、「残しておく」ことが命じられているのです。落ち穂は「神のもの」であり、貧しい隣人たちや寄留者たちのものとして「分かち合う」ものだったのです。
岸田文雄首相の就任直後の政策は「成長と分配」でした。本音は「成長なくして分配なし」でしょう。成長とは土地の実りを隅々まで刈り尽くし、落ち穂も残らず集めるという「収奪」のことです。そこには「支配者による分配」はあっても、人々の「分かち合い」は生まれてこないのです。
朝の散歩の途中、茶色に変色した落ち葉を踏みながら星野富弘さんの詩を思い出しました。「木にある時は枝にゆだね 枝を離れれば風にまかせ 地に落ちれば土と眠る 神様にゆだねた人生なら 木の葉のように 一番美しくなって 散れるだろう」
隠退牧師となり、「濡れ落ち葉」などと陰口を言われるこの頃ですが、万一、説教に呼ばれることがあれば題は「落ち葉を拾うな!」といたしましょう。落ち葉は「一番美しくなって土と眠っている」のです。どうぞそのままに。
かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』『ふり返れば、そこにイエス』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。
https://christianpress.jp/49495/ 【【夕暮れに、なお光あり】 年を取るということ 島 しづ子】より
新型コロナワクチンの接種予約手続きの関係で、市役所に行った。ドアをノックして待つと、忙しいという風情も見せないで、担当の方が出てきて対応してくれた。テキパキとしていて気持ちのいい対応だった。「念のために年齢はおいくつですか?」と聞かれた。「はぁ? さっき生年月日を書いたのに、65歳以上でないと受けられないからだな」と思いながら、「73歳です」と答えた。「まぁ、とても若く見えたもので」と言われた。若く見られて有頂天になることはないが、嬉しいことだ。日々、何かしら不自由なことが起こるから、若くはないと思っている。
今朝は庭の草抜きをした。指先の力がないから、素手では草を抜けないので、イボイボの付いた手袋をして草抜きをする。海に出かける時は膝とかかとにサポーターをしている。さらに手袋をすれば、船の上で縄を取ることや重いアンカーの上げ下げもできる。
心身共に力があった時は、「私がやらなくて誰がやる?」みたいに意気込んでいたが、今では「させていただいていた」と思うようになった。今も自分のペースでできることは、喜んで引き受けている。それができるということが嬉しいと思えるし、まぁ、それらを断るほど忙しいわけでもないから。
ただ、何でも自分のペースが肝要だ。1週間の単位で予定を立てて、自分のペースで取り組むと無理なくこなせる。だから、予定外のことはちょっと苦手かもしれない。急かされたりしたら動揺してしまう。
そういえば、以前よりも仕事の手順をよく考えて行っている気がする。人との約束も、仕事の集まりにも若かった時には滑り込みセーフが当たり前だったが、今は時間よりも前に着くようになった。働いている伝道所は、現在はコロナ感染予防のために、自宅礼拝としている。そのために週末には届くようにメッセージを郵送し、メールを送り、当日は若い方の手伝いもありZoomで配信している。毎週金曜日には完全原稿を二つ用意するということもできている。
この年齢で、このような働きをさせていただけることは幸いなことだと思っている。年を重ねたら時間がゆっくり流れているように感じる。自然観察も人間観察も熱心にするようになった。最後の祈りを唱えるまで、できることをさせていただきたいと思う日々である。
「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」(ルカによる福音書23:42)
しま・しづこ 1948年長野県生まれ。農村伝道神学校卒業。2009年度愛知県弁護士会人権賞受賞。日本基督教団うふざと伝道所牧師。(社)さふらん会理事長。著書に『あたたかいまなざし――イエスに出会った女性達』『イエスのまなざし――福音は地の果てまで』『尊敬のまなざし』(いずれも燦葉出版社)。