「風景」とは?
https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/54808635 【「風景」とは何か?】より
「ある風景」というテーマで2000字以内で書く。それが今の私の5/17までの課題。
「書きたいが書けるに変わる創作講座」の最初の課題。
このアンテナを立ててから、「風景を切り取る」くせがついて、スマホで写真を撮るかのように、「ある場面」を切り取っては、その場面が起きている背景や意味。
自分の感情をメモるようになってきた。といってもまだ3日目。
ふと、「ある風景」は、ある場面ある景色ある情景ではなく、「風景ってなんだ」となりました。深みに陥って、書けなくなりそうですが笑急がば回れで。
ふう‐けい【風景】
1 目に映る広い範囲のながめ。景色。風光。「山岳風景」
2 ある場面の情景・ありさま。「ほほえましい親子の風景」「新春風景」
[類語]景色・眺め・風光・風物・近景・遠景・風色ふうしょく・景けい・景観・景色けいしょく・景趣・眺望・見晴らし・パノラマ・美観・壮観・大観
デジタル大辞泉
景色には、色がある見た目の印象が強くなる。場面には、人がいる。人と人の関係性が強い。
風景には、風がある。風光 風情 風物 風色 風味 風のある景色。
シャッターできりとったような、ある瞬間ではなく、目には見えない風が横切るような
前後の文脈がある。
風はとまらない。留まらない。「風になりたい」という曲がある。風のようにある景色の文脈をみて。自分が風になって風に乗って、ある場面を撫でるような。
「ある風景」は、自由だけど、試されている気もして。
人も自然も、空気も感情も、全部ひっくるめて、その場そのときに自分が感じたことを書いてみよう。
ただし、そこに、前後の文脈を加えてみる。風はどこから来て、どこに吹いて行こうとしているのか。それは景色になにを残したのか。
と、難しく考えると陥るので、感じたままに探してみます。
きょうもただのひとりごと、をここまでお読みいただいてありがとうございます
どんな風景が好きですか写真はきのうのサッカー場よこの広場。
この松ぼっくり風のものを置いたのは誰か。そこにも、物語があるのかもしれない。
https://www.nies.go.jp/kanko/news/21/21-2/21-2-03.html 【風景研究の楽しみ】より
研究ノート 青木 陽二
研究者の不安
研究者の扱う現象は多様である。そして扱う現象により,その現象が持続していた時間は異なる(図1)。物理・化学の現象は宇宙の誕生以来,100億年続いた真理である。だからこれを研究する人は常に正しいことを明らかにしていると,自信を持つことができる。生物に関連した研究をしている人は,約1億年続いた原理を追い求めているので,これも正しい結果を得られると信じることができる。人類に共通した研究をしている人は,約100万年続いたメカニズムを明らかにしているので,その原理がまだ続くことを確信している。農耕が始まってから,約1万年前以降の人間社会の研究をしている人は,見いだした現象がいつまで続くのか,疑問を持っている。そして,風景の評価が人々に広まった数百年前からの研究をしている私は,こんなことが科学の研究対象になるのか不安に思っている。
研究対象の図
図1 扱う現象の種類と永続性(斉藤平蔵氏より 2002.3.20)
人類の歴史と風景評価の発達
人類が風景を理解できるようになったのはいつ頃からであろうか。このような問いに挑戦したのは数少ない先人達である。風景の評価が歴史の記録として残されたものを,確認できる方法として3通り考えられる。一つは人工物として造られた空間として残されたもの。二つ目は文字として記述されたもの。三つ目は絵画として描かれたものである。ここで分かりやすい絵画に注目する。人類が初めて絵を描いたのは,記録が現在確認できるものから判断すると,約3万年前のアルデシュの洞窟壁画であると言われている(図2)。またアルタミュラの壁画には,狩の対象となる動物や,狩のやり方を示す人間が描かれており,辛うじて樹木らしきものが見られる。しかし風景画のような風景としては見られない。
風景画の歴史
図2 風景画の歴史と八景
風景が描かれ始めたのは,欧州ではローマ時代の風物の背景として,中国では漢の時代の物語絵の背景としてであると言われている。中国における風景画,すなわち山水画が完成したのは顧豈之の頃,すなわち4世紀後半と言われている。そして唐から宋にかけ多くの山水画が描かれ,技法上の発展があったと言われる。そして11世紀には気象条件をも主題とする瀟湘八景画に受け継がれた。この絵では風景として山や石,水や樹木などだけでなく,たなびくもやや鐘の音,陽射し,雨なども評価の対象となった。このような風景評価は13世紀に中国で,15世紀には朝鮮半島で,18世紀には日本で大きな自然風景評価の柱となった。日本では,絵として伝えられ,その絵から,近江八景という現実の風景地の選定がなされたという。この近江八景を基に地方の風景地が選ばれ,江戸時代後期には全国の人々に受け入れられた。そして西洋の風景画が大きく影響した明治,大正,昭和でも八景の選定や八景図を描かせることになった。
八景研究の広がり
八景とは,晴嵐(せいらん),夕照(せきしょう),晩鐘(ばんしょう),夜雨(やう),帰帆(きはん),秋月(しゅうげつ),落雁(らくがん),暮雪(ぼせつ)の8つの要素を評価の中に含む風景観賞の方法である(各々は図4に例を示す)。八景による風景評価は中国から周辺諸国へと広がった(図3)。13世紀には元による世界帝国が実現したので,広く中国の文物が中近東や欧州,インドまで伝わった可能性がある。現在,世界のどの地域に広がったか国際研究集会のときに調査票を配布している。このような研究は風景評価が気候・風土や社会・文化的変革によりどのような変化をもたらすのかを明らかにすることができる。
八景の伝播と分布
図3 八景の伝播と分布(「地図使用承認 (C) 昭文社 第02E047号」)
日本では江戸時代に入ると,日本人本来の特徴である旅行好きと自然風景の評価能力により,八景は全国に広まった。しかしながら,風景評価の要素(図4)のいくつかは場所によっては見つけることが困難であった。例えば,山中における帰帆や沖縄での積雪である。また各地にはそれぞれ名勝や特産の風物が有り,これらも八景の選定に影響を与えることになった。そして八景の内容は,次第に瀟湘八景の束縛から解放された。このように八景は現在までの600年に及ぶ日本人の風景評価のデータの蓄積を内包している。このような日本人の風景評価と自然条件の関係を明らかにすることは,今後100年の日本の風景計画を考えるに重要な示唆を持つ。
歌川広重の絵
図4 歌川広重画近江八景之内(魚栄板)大津市歴史博物館資料より
これからの課題
これからの研究では,八景の分布を詳細に明らかにし,地図にプロットする。そして位置情報を入力し,GISやAMEDASデータと結び付け,風景評価に寄与している地形条件,土地利用条件,水辺形状,人口密度,植生条件,生物生息域,風速,風向,降雨,降雪,積雪,湿度,大気中のエアロゾル粒子,視程などとの関係を明らかにする。また多くの分野の識者の参加を求め,基になった瀟湘八景とはどんな風景かを明らかにしたい。瀟湘夜雨(しょうしょうやう)とはどんな雨が好まれたのか。山市晴嵐(さんしせいらん)とはどんな気象現象を指しているのか。平沙落雁(へいさらくがん)とはどのような場所に見られるのか。漁村夕照(ぎょそんせきしょう)とはどのような夕焼け現象なのか。遠寺晩鐘(えんじばんしょう)とはどのような音であろうか。洞庭秋月(どうていしゅうげつ)とはどのようにして楽しまれたのか。江天暮雪(こうてんぼせつ)とはどのような雪なのか。遠浦帰帆(えんぽきはん)とはどのような天候状態なのか。また気候・風土の違いは何を興味の対象とさせたか,文化・社会の変化は人々の思考方法を変えたか,興味は尽きない。
https://newspicks.com/topics/nobuyoshi-karato/posts/18 【風景とは心象風景である】より
唐戸 信嘉
風景画や風景写真というジャンルがあります。私自身もかつて写真を撮っていたので、もちろん風景を撮ったことがあります。風景のイメージは巷にあふれており、珍しいものでは全くありません。が、そもそも風景が主題になるのはなぜなのか、考えてみると不思議でなりません。美しいからでしょうか? 確かに「美しい風景」はあります。でも、なぜ特定の風景が「美しい」のでしょうか。「美しい」とはどういうことなのでしょうか。「印象深い風景」もあります。でも、なぜ特定の風景が「印象深い」のでしょうか。逆に言えば、「美しくない風景」もあります。では、なぜそれらは「美しくない」のでしょうか。「とるに足らない風景」もあります。では、なぜ「とるに足らない」のでしょうか。
もちろん、「美しい」とか「印象深い」とか、「美しくない」とか「とるに足らない」とか、すべては個人の主観が決定するもので、個人差があります。絶対的かつ客観的に「美しい」「印象深い」ものは存在しません。古ぼけた町はずれの工場の風景は、多くの人にとってはさほど関心を惹かないかもしれませんが、「美しい」と感じる一部の人はいるでしょう。里山の畑と森の風景は、多くの人にとってノスタルジックな感情を喚起するかもしれませんが、そこに住む人にとってはとるに足らない、退屈な風景にすぎないかもしれません。このように、どんな風景でも個人差があるのは、風景に内在するイメージ(情感)が私たちの主観と深く結びついているからです。当たり前のことですが、風景そのものは存在せず、私たちの情感という色付けがされた風景だけが存在するのです。
人間にとって「世界」はあくまで「私の世界」
詩人のライナー・マリア・リルケは『ドゥイノの悲歌』の第八歌を「すべての眼で生きものたちは / 開かれた世界を見ている。われわれ人間の眼だけが / いわば反対の方向をさしている」という言葉ではじめ、風景そのものを見ることのない人間の眼の不完全性を嘆きます。
そしてわれわれは。いつのとき、いかなる場合にも観る者であるわれわれは、すべてのものに向きあっていて、けっしてひろいかなたに出ることはない!それらはわれわれを一ぱいに満たす。われわれはそれらを整理する。それらは崩れる。ふたたびわれわれは整理する、と、われわれ自身が崩れ去る。
『新装 世界の文学セレクション36 リルケ』(杉浦博ほか訳、中央公論社、1994年)
私たちの意識のあり方は、こちらに「私」という心の世界があり、その外側に「世界」があるという主客二元論の立場に立っています。その限りでは「私」と「世界」とは対峙的な関係にあります。ただし、「私」と「世界」は決して同じものではありませんが、「私」は「世界」に働きかけますし、「世界」もまた「私」に対していろいろなメッセージを送ってきます。その点では相互浸透する関係にもあります。しかしリルケにとって、人間の眼に映る世界像は、人間の色眼鏡ごしのイメージでしかない点が気に入らない。リルケの動機がどこにあるにせよ、ともかく彼は色眼鏡を外した状態で、生の世界を見たいというのです。それは、普通に考えれば、人間には不可能か果てしなく難しいことだろうと想像されます。
つまり、普通の人間は自分の色眼鏡ごしにしか世界を見ることができない。私たちが見ている風景は、私たちの情感、感情、意味、価値で染められている。風景というと、「私」の外側にある客観的な世界のような気がしてしまいますが、実際にはそうではなくて、私たちの内面世界、主観の世界でもあるのです。ゴッホの有名な『糸杉と星の見える道』を例にとりましょう。あの異常な感じのする風景は、おそらくゴッホの目に映った風景そのものを描いているはずです。しかし、私たちには同じ場所に立ったとしても、同じようには見えないはずです。私たちとゴッホの主観は異なるからです。私が言いたいことはシンプルで、風景は(たとえどれほど客観的世界に見えようとも)実はそれを見ている人の内面でもあるということです。
風景を主題にしたドキュメンタリーから考えること
UnsplashのThomas Williamが撮影した写真
話は変わりますが、先月の10月7日に東京都写真美術館のホールで、原将人監督『初国知所之天皇』を初めて観ました。1970年代に制作、公開された作品で、原監督が8ミリを片手に北海道から九州まで旅するロードムービーです。監督が見た風景がただただ映されているのですが、特定の対象を写すためにカメラを向けているわけではないことがすぐに了解されます。乱暴な言い方ですが、写っている風景は、監督が何となしに見ている(自然と目に飛び込んでくる)風景というに過ぎません。風景に何が写っており、それがどんな意味を持つかなど考えても仕方がないのです。フィクションの映画のように、画面に映り込むこむものが周到に計算され、コントロールされているわけではないからです。映像には監督自身によるアフレコのナレーションがついています。ナレーションを聞きながら画面を見ていると、今自分は監督自身の内面を覗いているのだということに気づきます。監督の視線と思考を、映像を通して追体験しているわけです。
原将人監督のこの作品の上映は、東京都写真美術館の「風景論以後」という企画展の一環だったのですが、この作品以外にも、例えば足立正生監督『略称・連続射殺魔』(1969年製作、1975年公開)の上映もありました。こちらは、死刑囚永山則夫の視線を追いかけた特異なドキュメンタリーで、永山が見ていた風景を、故郷から東京、香港まで撮影したものです。本人はもちろん出てこず、ただ時間差をおいて彼の見た風景を忠実に再撮影した映像に過ぎません。だから、事情を知らずに見ると、いろいろな街の風景、うらぶれた部屋、駅、街角、商店が淡々と撮影されているだけに見えます。確かに、この映画を観ても永山則夫の内面は分かりません。原監督の作品のように独白がナレーションとして入るわけでもないですから。にもかかわらず、そこに映された風景は永山が見た風景そのものです。彼の目に映った風景を、永山則夫の視点で、追認することになるわけです。それは、永山則夫という人を理解するための一つの有効なアプローチだと私は感じました。
風景を描いた絵、風景を撮影した写真や映像が、そのまますべて制作者の内面を映し出したものであるというつもりはありません。特定の事物を描いた風景、描かれ写された対象そのものへとベクトルが向いている場合も多々あります。しかしそれでもなお、風景画や風景の映像は、それを見ている人の個性と切り離しえず、その人の内面の何ものかを語っていると思うのです。何しろ、風景こそその人の視線そのものなのですから。その意味で、私は風景とは心象風景だというのです。私がぼんやり風景を眺めているとき、風景そのものを注視しているわけではありません。むしろ風景へ目をやるとき、私は考え事をしていたり、何か他のことを考えたりしています。風景は、私の思考や情感をのせる、スクリーンのようなものだと感じることもしばしばなのです。