黄昏時、かわたれ時は顕幽のスイッチ
https://weathernews.jp/s/topics/202010/110105/ 【「黄昏時」とは「あなたは誰ですか?」と問いかける時間帯】より
秋になると日暮れが早まり、夕暮れの時間が印象的になってきます。
夕暮れ時のことを黄昏時(たそがれどき)とも言いますが、その意味をご存知ですか?
夕暮れ時は「黄昏時」これは夕焼けで薄暗い中、景色が黄金色に輝く時間帯を示す言葉です。
この黄昏時の語源は 誰ぞ彼(たれぞかれ)→たそがれ→黄昏時
日が暮れて薄暗くなり相手の顔の見分けがつきにくく「あなたは誰ですか?」と問いかける時間帯ということで「たそがれ」になったのだと言われています。
漢字で「黄昏」と書くのは、当て字のようです。
明け方は「かわたれ時」
同様に、明け方の事を「かわたれ時」と言うのをご存知でしたか?
語源とされているのは、黄昏時と同じように、
彼は誰ぞ(かわたれぞ)→かわたれ→かわたれ時
こちらも人の顔が区別つきにくい時という意味で、漢字で書く場合は「彼は誰時」と書きます。
元々は、「黄昏時」「かわたれ時」共に、夕暮れ・明け方のどちらでも使えたようですが、今は夕暮れが黄昏時、明け方がかわたれ時と使い分けされています。
夕方は誰ぞ彼が語源、明け方は彼は誰ぞが語源。
ちょっと混乱してしまいそうですが、どちらも趣のある美しい言葉ですね。
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/12496833?categoryIds=2927840 【真我発見】
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/9641519?categoryIds=3379954 【2極分離からの解放】
https://plaza.rakuten.co.jp/hikenohiroba/diary/202006220000/ 【加藤楸邨の真実感合】より 田川飛旅子
★(下記はインターネットのWEBからの引用。投稿者不明で失礼します)
真実感合とは加藤楸邨が昭和十六年七月「寒雷」誌上で提唱を始めている。
ここでは昭和二十三、四年に寒雷に連載された俳句論「俳句覚え書」にある、「ニ、表現への傾きー主体と客体」のなかに「真実感合」について述べてある処があるので、引用してみると
「芭蕉が『見えたる光いまだ心に消えざるうちにいひとむべし』といった『見えたる光』という、力の根源は何であろう。インスピレーションという人もあるが、知的のもので割り切れない根源的な本能的に噴きあげてくるあらしのようなもの、一種のデモンが詩の根源である。バランスを得ていないアンバランスが新しい充足を得て、今や新しいバランスに入ろうとする傾向状態である。心の傾斜は一つの中心に向かって動く。
我々が例えば百合をみてその美しさに心を動かされて句を作ろうとする時、百合をみて感じるような素因はすでに心に存在していたのもが、百合にふれることによって、百合を中心とした傾斜となって、自己が形成されるのである。同じ百合を見て感動する人としない人の差は、百合によって触発されるような素因の有無によって分れる。人間構造によって差が出来てくる。人間構造は世界観、社会観、人生観によって人間の生き方の方向づけがされてくる。この際既成の体系によらず自らの眼で自らの実現を直視したい。自らの現実を直視した上で、そこから自分のしんそこ納得の出来る社会観、人生観を持ちたい。幸か不幸か、いろいろの衝撃と崩壊とそれに伴う傷痕の意識を負ってきた自分は不安と懐疑とがことごとくつきまとう。まずしくとも自分の目を通し、自分の血を流して得たものでないと安心出来ない。出来上がった社会観、人生観をもった人から見たら迂遠で愚かしい事と思えるであろう。然し借り着で本当の俳句は作れぬと思う。
詩が新しくなるためには、どうしても人間構造が新しくならねばならぬ。俳句はどうしても人間と共に生きるものだ。作品にはそれを生み出す主体である人間が作品の中に生きていなくてはならない。その反対は、技術の上だけで衣装を新しくしようとする場合だ。巧みな技術で人目を惹こうとする。これは単なる俳句芸人の仕業である。
出来上がった作品は決して真似ではならない。むしろ一人の人間構造から一つの作風の出来てくる内面的必然性を探ることが肝要なのである。
私共の中に醸されたものが表現されるためには、その内なるものの性格をぴたりと生かすあるものが客体の中に発見され、それと一体になって形象化されることが必要である。主体の中に形象を得る素因がすでに崩しており、しかも客体のそういう素因にふさわしいものとし、それが結合して一つの表現をうるわけである。主体から云えば、客体の中に自己が形成されること、客体から云えば、客体の中に主体が発見されること。これが表現の性格である。
相即し、相触れて内なるものと客体との内面的必然的の結合が行われる時、私共は実感を感ずる筈である。物自体と主体とを夫々の性格で生かしてゆく所に従来の写生を超えた『把握』『真実感合』が存在する。物の中からあるものを発見し、掘り起こすことは、そこに自己を発見することだ。私共との関係において物が真に存在するということは、表現に於いては物が物自体になることであり、人間が人間自身になることである。こういう主体と客体との厳密な在り方を真実感合という。或るイデオロギーを抱いてこの短詩型におしつけることは結局、物自体のあり方を無視したことであって正しくはない。」
以上が楸邨の主張である。
楸邨は芭蕉研究での第一人者である。当然楸邨の主張の中には芭蕉の影響が大であるといっていいと思う。
また楸邨は「真実相に浸透すること」という小文には「単なる主観の詠嘆を超えた主客浸透、真実感合の境に入る門が開かれる。写生と称して万象の覆いのみを描き、叙情と称して主観の詠嘆のみに溺れ」てはいけない。「真の把握は主観浸透」で「表裏を見れば、自然の人間浸透であり、人間の自然浸透である。」
これは芭蕉における「誠」の考え方に共通するものである。楸邨は実作の場では「美しからんことをねがう前に真実を掴め」「俳句的先入観を捨てて自然自体の真実に感合せよ」と常に教えたという。
参考 田川飛旅子著「人と作品・加藤楸邨」桜楓社
「現代俳句辞典」富士見書房
https://www.sankei.com/article/20200923-XTU7FA75HBIHNN2B2QCQUAZPHQ/ 【「心の表現」の軌跡示す 加藤楸邨、未発表500句含む新編全句集】より
<隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤(どとう)かな><鰯雲(いわしぐも)人に告ぐべきことならず>-。生活に即した人間の感情をうたった昭和を代表する俳人の加藤楸邨(しゅうそん)(1905~93年)。その未発表の約500句を含む1万3532句を収める『新編 加藤楸邨全句集』(上下巻、青土社)が刊行された。推敲(すいこう)の軌跡が伝わってくる詳しい注も付され、「人間探求派」といわれた俳人の豊かな内面世界が一望できる。
東京生まれの楸邨は俳誌「馬酔木(あしび)」で水原秋桜子(しゅうおうし)に師事。昭和15年に俳誌「寒雷」を創刊、主宰する。耽美的な自然詠から次第に生活に密着した人間の苦悩を見つめる句風へと転じ、中村草田男や石田波郷(はきょう)らとともに「人間探求派」「難解派」と呼ばれた。金子兜太さんや森澄雄さんらの後進を育てる一方、芭蕉の研究にも注力した。34年から45年まで「さんけい俳壇」の選者も務めている。
今回の新編全句集は、10年前に出た旧版全句集には未収録だった約3800句を収めた決定版だ。このうち約500句は遺族から日本近代文学館に寄贈された未発表のもので、もとは紙に墨書でしたためられていた。「筆記具でひっかくように句を刻みつけるのではない。毛筆でなでるように発句を楽しんだ感じがよく伝わってきた」と編集委員の一人、俳人の長谷川櫂(かい)さんは話す。
これらの未発表句が書かれた時期は不明だが、内容は多種多彩。<桃ひとつ我と妻との五十年>と夫婦の間に流れた長い時間を感じさせる句がある。また<大甕に舞ひ入りし蝶また出でず>という句は読み手の自由な想像を招き入れる。「甕に入った蝶が出てこない-。まるでこの世の不思議を見つめたような句。この甕を『宇宙』ととらえても面白い」と長谷川さん。十七音ですくい上げる世界は壮大で奥深い。
楸邨は新聞などにも句を発表したが、その後本に収めなかったものも多い。新編ではそれらも「拾遺」として掲載。類似した句を集めることで、推敲の過程が見える「校注」を付すことが可能になったという。例えば、同じ形をした寒卵から想像を広げた<寒卵の無限同型がふとさびし>という昭和39年の句。微妙な変化を重ね、44年には<寒卵無限同型のこのさびしさ>となる。推敲の跡には完成への強い意志がのぞく。
近代以降、俳句は描写を主眼にした「客観写生」が勢いを増した。長谷川さんはその流れと対置し、楸邨を古代の和歌に連なる「心の表現の人」ととらえる。「心の奥底から沸き上がる声や映像を言葉で表現した。だから自分の『心の近似値』を探しながら何年も推敲を重ねた。新編全句集刊行は、近代俳句の大きな節目となった楸邨の豊かな世界を改めて評価するいい機会になる」(海老沢類)
https://www.kannagara.or.jp/kamunagara-no-michi/mioshie/ 【顕幽一如】より
顕幽一如とは、私たちが住んでいる見える世界(顕界)と、御霊の世界である見えない世界(幽界・霊界)が一体のものであり、見えない世界こそが、この現実の世界の根源であるという世界観のことです。
かむながらのみちでは、この顕幽一如の精神に基づき、見えない世界にいらっしゃる、ご先祖や全ての御霊の鎮魂成仏を願う祈りを行じています。
霊界の浄化は、この世の全ての人々の幸せの源となることはもちろん、霊界からのお働きかけこそが、この世を救う源となります。
科学文明が発達した二十世紀を経て、地球環境の破壊は既に極限にまで達しています。
自然を我が物と思い、奪い合ってきた結果、この地球は、人間の努力だけでは回復できない状態にまで来てしまいました。
しかし、私たちの祈りによって霊界が浄化されていくことで、今度は霊界から、この地球をお救い頂く力がもたらされるのです。
私たちは、霊界、現界、両者が一体となって、この世を救うという大きな世界観に立って、世界平和を願う祈りを日々、捧げています。
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カタカムナは、今から約13000年前の上古代の日本で高度に発達したといわれます。
言霊・数霊を元にした宇宙物理学のことです。
カタカムナの宇宙観の特徴は、三次元物理世界の背後にあって、この世界を生み出す元になっている「潜象界」(多次元世界)があるという発想です。
カタカムナでは潜象界のことを「カムの世界」、そして三次元物理世界(現象界)のことを「カタの世界」と言い、全ての命や物質は「カムの世界」から生まれて、質的に転換(ナ)した結果、命や物質が存在する「カタの世界」ができていくと示しています。その事を「カタ・カム・ナ」と言います。
カタカムナへの関心は 吉野信子さんとの出会いで深まりました。
これからシリーズで取り上げるカタカムナに関するブログは 彼女からの教授を自分なりに受け止めた内容となります。
吉野信子さんは「(前略)カタカムナ文献とは、カタカムナ ウタヒ80首からなり、基本的には5音・7音の区切りで詠われているコトから、日本の和歌や俳句の源流であると言えるかもしれない。
又、古事記の「上つ巻」に登場する御神名が、天石屋戸の物語のところまで、その順番でほとんど登場するので、古事記編纂で、稗田阿礼が誦習(ショウシュウ)した際に参考にしたという帝紀、旧辞の一つである可能性もある。
カタカムナ ウタヒの内容は、「カタカムナ」という生命の根源が、すべての生命、物質の核であり、そこからトキトコロが発信放射され、生命活動が維持されている・・・そしてこれは、宇宙の全ての物質、生命体の中に相似なる象(カタチ)として存在するという、その摂理が、潜象物理として描かれているのである。」と記しています。http://katakamuna.xyz/about.html
カタカムナウタヒ、80首の中心に描かれている中心図象は三種類あります。
これは三種の神器と同じです。
ウィキペディアには 「三種の神器は、日本神話において、天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたという鏡・玉・剣のこと。また、神話に登場した神器と同一とされる、あるいはそれになぞらえられる、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物のこと。
三種の宝物とは、八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣を指す。」と記されています。
●ヤタノカカミ
80首のウタヒ中71首の渦巻きの中心にこの図が描かれています。
トーラスのことを解き明かしたウタヒです。
大円と小円および十字の図象「八鏡」(ヤタノカカミ)です。
48個の「カタカムナ図象文字」はこの文字の大円、小円、十字を分割削除して創られています。
●フトマニ (草薙の剣)
剣(つるぎ)の断面を表わします。創造のみ柱を上から見たときの核の部分です。
80個の渦巻き図象中では7個の中心にこの図が使われています。
核のことを解き明かした ウタヒです。
また、この文字の分割削除からは数字図象が作られています。
●ミクマリ(勾玉)
方向を示す十字と小円(鏡)がないので、「あらゆる要素が和して、あらゆるものが発生する」ことを意味します。
ミクマリの意は「水」。
人の発する思念の波動は水に転写し、現象化を起こすといわれています。
「水からの贈り物」には思念が生み出した 水の結晶写真が紹介されています。
カタカナの「ワ」に相当します。
80個の渦巻き図象では、2個の中心にこの図があります。
一二三九九算表での陰陽ボールです。