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天徳山 金剛寺

令和6年8月分 金剛寺住職法話

2024.07.31 20:46

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】

毎月1日の投稿法話は、SNSを扱えない人達(檀家老人など)の為に、過去に投稿した法話を抜粋して、それをコピーし、配布している者です。よって、少々長くなっておりますので、鬱陶しいと思われる読者さんは、どうぞ無視して下さいませ。

【はじめに】

数日前、檀家の女性が「住職さん、私、パーキンソン病と診断を受けて、もう1年程に。最近は心を切り替えて『残りの人生の中で、今日が最も体が動く日』と、明日は明日で『残りの人生の中で、今日が最も体が動く日』と毎日、自分に言い聞かせながら『今日やれる事は、今(今日)やる』と、悔いを残さない人生を歩んでいます。その私の姿を見て孫が、何かしら(今日を無駄に過ごさない)を感じ取ってくれているようです。ほんと、住職が言われる様に『躾(しつけ)は、するもの、ではなく、躾は、見せるもの』ですね」と。

【1日投稿法話の本文に入ります】

令和 6 年 8 月分 金剛寺住職短文法話集

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檀家の若者が「住職さん、先日ね、面白い(興味深い)夢を見たんだよね」と。「どんな夢を見たのさ」「飛行機の中で爆睡してたら、寝ている間に、どうもその飛行機が墜落したらしく『ここは、どこだ』と見渡していると目の前に、爺ちゃんと、婆ちゃんが、姿を現したんだよ。『あれ、何でこんなところにいるんだよ。2人共、死んだはずでしょ』と声を掛けると、爺ちゃんが『何をとぼけた事を言っとるか。お前もこの度、死んだんじゃよ。口を開けて寝とる間に、飛行機が墜ちてな』で、目が覚めたんですよね」と。続けて、この若者が「住職さん、夢とはいえ『死ぬ』とは、こんなもんかもしれないな、と思ったんだよね。爺ちゃんと婆ちゃんが迎えに出てきた事も、リアルな話だったんだよな」と。「まあ、確かに、君にとってはリアル(両親離婚で母側の爺様婆様が、この若者の育ての親)な話、だわな」「死んだ夢なのに、何故か、ネガティブな感覚はなかったんだよね。こんな風に爺ちゃんと婆ちゃんが、迎えに来てくれるんだろうな、と思えたからかな」と。

対し、拙僧「誰かが迎えに来るというは、もしかしたら、本当なのかもしれないよ。拙僧は1000人以上の葬式と、それ以上の人の『生き死に』に関わってきて、その中の数人だが、臨終間際に娘さんや、お嫁さんに手を伸ばし『お母さん』と呼んだ人(母親)がおられたもんね。拙僧の叔母もその1人だったが。どういう訳か『お父さん』じゃなくて『お母さん』なんだよな。考えたら『向こうには、住む世界がある。誰かが、迎えに来てくれる』と信じた方が、死も少しは落ち着いて、受け入れられるかもしれないよね」と。

頷きながら、この檀家若者が「ところで住職は、霊魂の存在を感じた事って、何かありますか」と。「そうだね、人間ではないが、大学1年の時だったかな。12年飼っていた犬(スピッツ)が危篤、と父から電話連絡があったんだよ。その日の夜中、寝ている拙僧の周りを、何かがグルグルと走り回ったんだよね。恐らく、夢を見ていたんだと思う。が、『んっ、まさか』と思ったので、即、外へ出て自宅に電話(公衆)をすると『たった今、息を引き取った。安らかに旅立ったぞ』と父が拙僧に。危篤と聞いていたので、その意識からそんな夢を見たのか、それとも本当に、別れの挨拶に来てくれたのか、それは、拙僧にはわからないけどね」と。「そうなんだ。ところで住職さん、本当にあの世って、あるのかな」と。「SNS の法話でも何度か書いているが、拙僧は死んだ事がないからね、あの世があるかどうかなんて、わからん。ただ、絶対にあの世はあってほしいとは思ってる。育ててくれた祖父母、親、親戚の叔父叔母、知人、友人にも、また会いたいし、何より向こうでも、永遠に家内と一緒に暮らしたいからね。拙僧にとってあの世は、あってくれないと困る場所なんだわ」と。

霊魂といえば、仏壇参りに伺った時、檀家の70代女性がこんな話を拙僧に。「主人が町内会の用事で留守だったので『今日は、昼食作るは、サボり』とコンビニに行って、ざる蕎麦を買って来て食べたんですよ。その町内会の用事というが、家々を八幡(氏神)さんがお祓いをして回る行事で、我が家にも来らっしゃったので、家の近所だけ、お祓いの手伝いをさせてもらいました。家に戻るとすぐに、暑かったので、ざる蕎麦と一緒に買ってきたアイスクリームを。しばらくすると、宅急便が。見ると、私の実家からの荷物でした。開封していた時に突然、吐き気と下痢が襲ってきて、1時間ほど生汗が出るほどに、苦しい思いをしました。その時、ハッと思ったんですよね。私の実家は、全く先祖の供養をしてないので、先祖の心が満たされてないのが、実家の荷物と一緒に私のところ(体)に運ばれて来た(祟った)のかな、と。どう思う、これ、住職は」と、その檀家女性が。対し、拙僧「んっ、あなたって、何か悪い事が起こったら『先祖のせい、水子のせい、悪霊、狐、狸のせい、あいつ、こいつ、のせい』と自分以外のものに責任を転嫁する、そっち側のタイプの人間だったっけか。これに似通った話がつい最近、拙僧のところに。知人や親戚から騙し取ったお金で、高級ブランドを買い漁った女性が、その後、あまりに不運が続くので『水子の祟りですかね』と、身に覚えのあるものに責任転嫁を。自分で中絶して命を奪っておきながら、今度は、その水子さんを化け物扱いにして、自分に起こる不運をその子のせいに。人間は皆、事情を抱えて生きております。事情の塊が人間ですもんな。中絶するからには、それなりの苦しみ、事情がある人ばかりだと思いますが、この女性に限っては『この子はいらん』と簡単に。『これで2人目なんです』とか言って、淡々と悪びれもせず、拙僧に話しておられたが」と、この檀家女性に。

対し、檀家の女性が「えっ、いや、私はそういうタイプでは、ないですけど」と気まずそうな顔で。そこで、拙僧「まず、吐き気と下痢ですが、その時の体調が偶々悪かったのか、それか、暑い中をお祓いに付いて行った為、軽い熱中症にでも掛かったのか、恐らく、どっちかだろうね。その体の状態で偶々、下を向いて荷物を開けたがために、症状が襲って来ただけだと思うよ。何か悪い事がある度に、自分以外(先祖、人など)の責任に転嫁するのは、やめや、といつも法話の中で言ってるでしょ。だいたい先祖のせいにする様な人は、常日頃『ほったらかしてる、軽視している』という身に覚え(罪悪感)が、心の片隅にあるからだよ。あの世で先祖さん達が『俺がいったい、お前さんに、何をしたっていうんだ』と恐らく、嘆いとりまっせ。取り敢えず、年齢も年齢だから、掛かり付けの医師に、診てもらって来なさいや」と言って、拙僧はお寺の方へ。

数時間後、この女性から電話があり「一応病院に行ったら、住職の見立て通りの事を、医師から言われました。何にせよ、ここのところ、ご無沙汰しておりますので、実家のお墓参りにでも行って来ようかな、と思ってます」と。「それはいい事だね。先祖の供養(お墓参り、納骨堂参り、寺院での盆法要、彼岸法要参拝、仏壇参り)とは基本、お世話になった人達(祖父母、父母、叔父、叔母、先だった子供など)への恩返しだからね。しなくてよい、というものではないですもんな。人には皆、父と母が。その父と母にも、それぞれ父と母が。これを1+2+4+8+16+32+64+、と、たった20代遡らせただけで、約200万人の父と母が。1つの命をバトンタッチの様に繋いでくれたお陰で今、私達はここに。1人でも欠けていたら、自分は今、ここにはいないんだもんね。自分がこの世を旅立つまで、この恩は消える事はないし、忘れちゃいかんものだと思うよ」と。

自分以外のものに責任を転嫁すれば、その場だけは、心が楽になりますが、何の解決にもなりませんもんな。今現在、目の前にある苦しみも喜びも、過去の自分の行いの結果にて。将来、自分を待っている苦しみも喜びも、これからの自分の行いの結果にて。これ以外には、何もなし。精霊さんを愚弄するも、大概にせにゃ。

この話は余談になりますが、偶に、檀家の独身女性から「結婚相手を選ぶ時、どこを注視して決めたらいいですか」なる問い掛けが。対し、拙僧「確認せにゃならん事は色々、様々あるが、結婚してもいいかな、と思う彼氏の家に行って、彼の母親が、彼の父親から、どういう扱い(仕打ち)をされているかを見てきてごらん。将来(結婚後)の君の姿(状況)が、見て取れるかもしれないよ。限度や内容にもよるが、まあ、亭主関白は見ていると、不愉快でしかない。かかあ天下の方は『夫婦円満』なる言葉がある様に、幸せそうに見えるケースもありますが。わが寺の檀家夫婦達の狭い範疇での事だが、そう感じる事が多いですよね。何にしろ、家庭円満の秘訣は、やはり、夫婦の絆が最も大事かな。家庭の要は、夫婦ですもんね。明治時代の教育者の森信三さんが『人間は一生のうち、逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎない時に』との言葉を残されておられますが、但し、その縁を活かせるかどうかは、本人次第かな。徳川将軍家の兵法指南役を務めた柳生宗矩公は『縁に逢って、縁に気付かず。縁に逢って、縁を活かさず』という言葉を後世に。拙僧も妻と出逢えたタイミングは、当に、それだったかな。まあ、相手選びの注意は、そんなところかな」と、檀家の独身女性達に。


令和 6 年 8 月分  金剛寺住職 臨時法話

SNSに法話を投稿し始めた初期(10年程前、現在までに約3000話を投稿)の頃は、下記の様に短い法話を投稿。が、話の中に隠れている含み言葉を、読み取って頂けない読者さん達から、自分勝手な解釈による文句が、ちらほらと。その理由から、徐々に徐々に長くしていき、わかりやすい様に仕上げたのが、昨今投稿の長文法話です。本来は、短い法話の中から「この住職はこの法話で、何を伝えようとしているんだ」と読み取って頂くが、最も面白い読み方なのですが、なかなかそうはいかないですわな。因みに、下記のエピソード1から6の法話ですが、読めば1、2分ですが、人前で話すと、その当時の時代背景や、登場人物の心情の移り変わり(そう動くからには、そう動く理由がある。そう思うからには、そう思う理由がある。底意)を詳しく話すので、かるく1時間は超えていく内容です。それだけこの短文には、含み言葉が含まれている、という事ですね。

【エピソード1】 法話投稿初期は、この様な140字(ツイッター)で。

拙僧妻のご両親と同居が決まった時、当時17歳の娘(現在33歳)が「何故」と。「嫌なのか」と返すと「私は嬉しいよ。でも、お父さんの負担が」と。「有難う。が、お母さんは3姉妹。そんな家庭の娘をお嫁に貰おうと思う男性は、そのご両親まで世話する気がないなら、初めっから結婚しようなど思わん事だ。そう思わんかい」と。

【エピソード2】

檀家の爺様が「住職、老人ホームや病院に行くと、1人暮らしの方々が『私らは、ここ(ホーム、病院)以外に行く場所がない』と寂しそうに。そう考えたら、わしらは幸せ者だよ。お寺に行けば、住職や奥様、檀家同士の触れ合いが。私は孤独じゃない、と安堵(実感)出来る」と。こんな言葉を聞く度に、お寺の存在価値を自覚させられ、お寺を潰しちゃならんと拙僧、心に言い聞かせております。わが寺の檀家さんの中には、独居老人が少なからず。その中には、天涯孤独者が数人。その数人は全て、公正役場を通して公正証書を作り、拙僧と家内が後継人に。何かあったら、病院から老人ホームから直に、お寺の方に連絡が。数年前も92歳の老婆から「気分が悪い」と夜中に電話が。家内と駆け付け、救急車を呼んで病院に。他界までの半月を、家内が病院に寝泊まりして付き添いを。亡骸はお寺に運び、通夜、葬儀は本堂で。その後は、満中陰まで本堂内陣で供養を。

【エピソード3】

家族、親族、知人、友人が、土地家屋を購入しようとする度に「この土地で変な死に方をした人はおらんか」とか「この土地に悪霊はおらんか」とか「霊(地縛霊)」が居座っておらんか」とか、やたらめったら気にする50代女性(檀家ではなく、相談がある時だけ来る人)がおられまして。そんな事を聞かれても、拙僧にわかるはずがないのに。その女性が過労で短期の入院をすることに。退院後、拙僧が「入院中はどうだった」と尋ねると「それは、それは、もう快適で。病院食は思ってた以上に美味しかったし、ドクターや看護師さんは、優しいしかったし。毎日がハッピーで、家よりも熟睡が出来ました」と。「ほう、それはよかったですな」と。

続けて、拙僧「じゃ、その部屋で最期を迎えられた人達に、感謝せにゃいかんですな」と言うと「・・・、んっ、えっ、それは、どういう事ですか」と。「なんね。常日頃は、その土地やその家で、他界された人達の事をやたらめったら気にするくせに。あなたが入院していた病室では、恐らく、相当数の方々が他界されておりまっせ。当然でしょ、病院なんだから」と返すと、みるみるうちに顔色が。対し拙僧、その女性に「そんな顔しても、もう遅いでっせ。その病室で散々癒されて、無事に退院してきたんでしょ、あなたは」と。その女性ですが、それから後は、奇抜な(祟る、悪霊、類の)事を言わない様になりましたよね。

【エピソード4】

10年程前に、某小学校の講演を頼まれた時、生徒さん達や保護者さん達に、この様な話を。「拙僧が小学6年の時、学校の校門前に、お婆ちゃんが営んでいた駄菓子屋(現在は、家だけが)さんがあった。その駄菓子屋さんで何人もの後輩(下級生)達が「お金を渡したのに『もらっとらんぞ』と、がんとしてお婆ちゃんは聞き入れず、お菓子を渡してくれなかった」と泣いて拙僧に。対し「お婆ちゃんは、故意にそうしている訳じゃない。お金を貰った記憶が吹っ飛んでんだよ。だから、お菓子を貰う時に、同時にお金を渡せ、と何度も注意しただろ。お前達は、これで何度目だよ。少しは学習せえよ。まあ、それでも、よかお金(本当の経済)の勉強をさせてもらってるよな」と拙僧、下級生達に。読者さん達には「小学6年の頃の住職(拙僧)が、そんなアドバイスが出来たんですか」と驚かれるでしょうね。お寺というところは、これに似た相談が山ほど来ます。拙僧の父は、固有名詞は出さず「勉強になるから聞いておけ」と小学生の拙僧に。勿論、一部に話だけですよ。

【エピソード5】

某高校の講演で拙僧、生徒達と保護者達に「上杉謙信公が「敵に塩を送る」で、牛馬の隊列を整えて、武田信玄公の甲斐国に塩が届けられたが、1月の11日のこと。人々はその時の恩を忘れない為に、それ以来、この日には毎年、祭りを行うようになったと。これが何百年も続けられた『塩市』の始まり。今は『飴市』に変わっていますが。また、400年以上続く、京都の地蔵盆は、明智光秀公が京都所司代を務めていた時が、最も京都が安心して暮らせていた事より、京都民が光秀公に対する御恩法事として始められた事が、由来の1つであると。数百年前に先祖が受けた恩を子孫が、今も尚、お返ししている日本人って、素晴らしいと思わないかい。また、伊達政宗公の時代、1611年に起きた慶長奥州地震(東北大震災)では、犠牲者が5000人以上も出たとの事。その時の教訓を後世に残しておかなければならないと『津波はここまで来た』という石柱(現存)を400年以上前の人達が。自分達の事ばかりでなく、後々のわが子、わが孫の為に。ほんと、有難いですよな」と。続けて拙僧、生徒達や保護者達に「そう考えると、いつ頃からこうなったのかは知らんが、昨今では、産んで、育ててもらった親までも『要らん』と言って、病院に遺骸を受け取りに行かなかったり。病院から火葬場に直行し、葬式もせず、遺骨を置き捨てて帰ったり。住所や名前が記されている埋葬許可証をわざわざ遺骨箱から抜いて、生ゴミ置き場や、電車の中に捨て置きしたりと。それを子供や孫が見て育つんだが。子供達は、どこで命の尊さを勉強するのかな。そんな事ばかりしてたら、そりゃ、秩序のない国になるわな」と。

【エピソード6】

檀家の60代男性が「住職さん、ちょっと前の事だが、とんでもない夢を見たんだ。死んで35日目に、閻魔大王と対面したんだ。その隣になんと女房が立っていて、閻魔と2人して、不吉な笑みを私に向けてくるんだ。どうも、私の悪行を妻が、閻魔に垂れ込んだみたいで。閻魔から『お前、こっちへ来い』と、手招きされたところで目が覚めたんだ。飛び起きて、横で寝ている女房を見ると、偶然とは思うが、すやすや寝ている女房の口元が笑ってる様に見えたんだ。背筋が凍ったよ」と。更に、その檀家の男性が「身に覚えがあるから、尚の事、この夢は怖かったんだよな。ところが、この夢の話には、続きがあるんだよ、住職。実は、その夢を見た同じ日に、女房(妻)が『昨夜さ、見た夢なんだけど、凄いストレス解消になったんだ』と、えらく清々しい顔で。恐る恐る『どんな夢だったの』と尋ねてみると、私と殆ど変わらない夢を。偶々同じ夜に、お互いの心に潜んでいた事が偶然、お互いの夢(潜在意識)の中に、出てきたんでしょうかね。どうしよう、住職」と真剣な顔付きで。思わず吹き出しそうになったが、拙僧も真剣な顔で「はっ『どうしよう、住職』じゃないでしょ。身に覚えがあるんなら、これから改善していく以外、ないでしょ。閻魔さんと奥さんが、タッグを組む前に」と。

【最後に】

お盆になると時折り、檀家の子供達から「仏壇に何故、蝋燭(ろうそく)や線香をお供えするの」と問い掛けが。対し拙僧「蝋燭も線香も、誰かが火を着けないと燃えないだろ。1度火が着いたら、燃え尽きるまで火が消える事はない。その間、蝋燭も線香も自分の身を削りながら、周囲に明かりを灯しながら、周囲に癒しの香りを施しながら、命の尽きるまで。これは、人の一生を示しているんだよ。蝋燭と線香をお供えするは『そんな人生を歩んでいるかい』と自分自身に問い掛ける為だよ」と。

次回の投稿法話は、8月5日になります。