Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

源法律研修所

「敷く」から見た東西

2024.08.01 05:24

 サラリーマンの父が大阪と東京を転勤するたびに、我が家は、大阪と神奈川の間を繰り返し引越しした。


 大阪も神奈川も都会ではあったが、風俗習慣が異なる。

 例えば、大阪で「肉」と言えば、牛肉だが、神奈川では豚肉だ。荷物持ちとして母の買い物に付き合った際に、お肉屋さんのショーケースには豚肉と鶏肉しか並んでいないため、店主に「お肉、牛肉はありませんの?」と訊ねたら、「お客さん、関西のかたですね!」と言って、店の奥から牛肉を持ってきたので、驚いたものだ。

 黒船来航の際、ペリー提督が横浜に豚を持ち込んだのがきっかけで、横浜外国人居留地のために、横浜に日本初の養豚場が設けられたので、神奈川で「肉」と言えば、豚肉なのだそうだ。

 大阪で「肉」と言えば、牛肉なので、神奈川のように「肉まん」と呼ぶと牛肉を使っていると誤解されるおそれがあるから、大阪では「豚まん」と呼ぶわけだ。


 子供の私としては、引越しのたびに、人間関係をリセットせざるを得ず、教科書や授業の進度が異なるので、困った。先生は、転校前の学校でどこまで学習しているのかを一応お訊ねになられるけれども、特別な配慮は一切なさらなかった。当時は生徒数が多すぎるため、一生徒に配慮する余裕がなかったからだろう。

 また、引越しのたびに、同級生からイントネーションや方言を揶揄(からか)われた。「しつこい(関東弁)・ひつこい(関西弁)」奴はぶん殴って黙らせた。「世が世なら無礼討ちにしてくれるところだ!」と憤慨していたが、所詮子供の喧嘩なので、これがきっかけで仲良くなるのが常だった。


 方言と言えば、子供の頃は、「関東の人って『ひ』が言いにくいのかなぁ〜?」と思っていた(笑)。

 「七月:しちがつ(関東)・ひちがつ(関西)」、「七五三:しちごさん(関東)・ひちごさん(関西)」、「質屋:しちや(関東)・ひちや(関西)」などがその例だが、「し」でも「ひ」でも通用するから、別段困ることはない。


 しかし、江戸時代の方言辞典である『浪花聞書』(なにわききがき)によれば、「ひく 蒲団(ふとん)抔(など)敷をひくといふ」とあるように、大阪では「敷く」を「ひく」と言っていた。

 関東の人は、「蒲団を引く?引っ張ってどーすんでい?すっとこどっこい!」ときっと戸惑ったに違いない。

 例えば、大阪府堺市の堺市教育委員会事務決裁規程第3条第1項の「グループ制を敷く組織」は、「しく」と読まれているのだろうか、それとも今でも大阪弁で「ひく」と読まれているのだろうか。


cf.堺市教育委員会事務決裁規程 (平成14年3月29日 教育委員会教育長庁達第1号)

(決裁の順序及び合議) 

第3条 事務の処理は、原則として係長(係を置かない組織(グループ制を敷く組織を除く。)にあっては所管の事務を担当する課長補佐(課相当機関にあっては館長代理。以下同じ。)、主幹、主任指導主事又は主査、グループ制を敷く組織にあってはグループのリーダーとして課長が指名する課長補佐、主幹、主任指導主事又は主査。次条第1項、第6条第2項及び第13条第1項において同じ。)の意思決定を受けた後、順次直接上司の決定を経て、教育長又は専決権者の決裁を受けなければならない。 

2 前項の場合において、その事項が他の組織に関係があるものであって、特に合議を必要とするものであるときは、関係のある組織の長に合議しなければならない。


 ところで、この「敷く」は、蒲団だけでなく、占領地に「軍政を敷く」(軍が行政を担当すること)というような使われ方もする。

 「敷く」は、「平らにのべ広げる」が原義だから、広く支配を行き渡らせる広く支配を及ぼすという意味で「軍政を敷く」という表現が生まれたのだろう。

 

 ところが、英語で「軍政を敷く」は、establish a military government(又はadministration)と言う。

 establish「確立する、設立する」は、ラテン語stabilisスタビリス「堅固にする、安定させる」に由来する。staは、stand「立つ」、bilisは、able「できる」だから、establishは、「しっかり立てる」が原義だ。

 名詞のestablishmentには、「確立」、「設立」という意味のほかに、「支配階級」、「支配層」という意味があるように、支配をしっかりと打ち立てる支配下に置くという垂直思考が読み取れるのだ。

 古代ローマ人は、丸太を地面に打ち込んで周囲を取り囲んだ駐屯地を設営し、戦いに勝つことで異民族を支配下に置いていったので、このような垂直思考になったのではあるまいか。


 これに対して、古代日本は、『古事記』や『日本書紀』を読めば明らかだが、地方豪族と戦さもしたが、婚姻を通して敵と姻族関係を結び、平和裡に支配を徐々に広げていった結果、皇室が日本中の豪族と親戚になり、日本人の宗家となったという色彩が強いので、中央の大和朝廷から地方の豪族へと支配を広げるという水平思考の「敷く」が用いられるようになったのではあるまいか。

 万葉集には、「天皇(すめろき)の之伎(しき=敷き=治める)ます国の天(あま)の下 四方の道には」とある。


 私にはこのように国柄の違いが分かって面白いと思うのだが、所詮素人考えなので、鵜呑みにしないでいただきたい。

 

LMYK  I LUV U 2