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日本の原風景

2024.08.02 05:53

https://archives.bs-asahi.co.jp/fukeimonogatari/index.html 【日本風景物語】より

BS朝日とテレビ朝日系列局+クロスネット局(全25局)の共同制作で大きな実績をあげた「にほん風景遺産」と同じスキームによる新しい旅番組。1編の小説、1本の映画、1曲の歌をきっかけに、全国各地の名作の舞台で、案内人となる3人の作家・山本一力、高橋源一郎、島田雅彦がさまざまな思いに身をはせる。

何度も何度も擦り切れるまで読んだ小説を片手に、主人公の目で風景を眺め、何かを再発見する―。若き日に夢中になった映画の舞台として登場する風景を巡れば、主人公のセリフが口をつく。誰と見たのか、あの頃の思い出と重なる…。

今も口ずさむ名歌の舞台を訪ね、歌の心に触れるなど、名作から得られる感情をヒントに全国各地の美しい風景を紹介しながら、地元を知り尽くしたテレビ朝日系列各局の取材力・情報網を存分に生かした深みのある紀行番組をお届けする。

しかし、この番組はただ名作の舞台を訪ねて紹介するだけではない。あくまでも旅の楽しみは絶景、歴史、温泉、旬の味覚、土地の酒、そして人々との出会い。さらに、これらを作りあげてきたその土地の風土を感じ、有名観光地を訪れる旅行とは一味違う、心に残る大人の旅をお贈りする。


https://crocul.cocolog-nifty.com/callsay/2014/01/post-7db0.html 【超人の面白テレビ鑑賞 にほん風景物語~詩人草野心平が詠んだ日本の原風景】より

BSテレビ朝日1月22日火曜日(夜9時~9時54分)放送の「にほん風景物語 ふるさと福島、川内村、小川郷 ~詩人草野心平が詠んだ日本の原風景〜」を観た。

今年は草野心平生誕110周年、没後25年の節目の年。芥川賞作家の島田雅彦が草野心平ゆかりの地を訪ね歩いた。いわき駅(旧平駅)から磐越東線のローカル線で小川郷駅に着き、地下道を潜って改札口に出る。上小川の鄙びた町並を歩き、草野心平の生家を訪ねる。今その生家は復元されて残されている。福島の里山とはものは言いようだが、都会育ちの物書き王子の島田雅彦がいかに阿武隈の山里の風景に感応したか。

上小川にある生家(質素だが当時の生活空間が。確かこの近くのお寺常慶寺に分骨された墓がある。筆者の母方の菩提寺でもある。ー筆者註)、草野心平記念館、二ッ箭山ふもと、上小川小学校(校歌は心平が作詞)、夏井川上流の滝が流れる背戸峨廊(草野心平が漢字命名)へ。天然記念物のモリアオガエルの生息地、平伏沼、天山文庫を訪ねて心平と親しかった村人と文庫内の囲炉裏で関わり具合を聞く。天山文庫でのお祭りは毎年7月に開催、郷土芸能のじゃんがら念仏踊りとドブログが振る舞われて賑やか。それからは島田自身も3・11以後東日本大震災・福島原発被害の支援者でもあるが、被災地で今も風評被害や魚の水揚げで困っている小名浜漁港を訪ね、この地方独特のウニの一夜漬けを試食、今は少しずつ回復に向かいつつある小名浜漁港を後にするー。

3・11以後に蛙の詩人草野心平はどういう詩を書いたか想像してみたくなる。『優しいサヨクための嬉遊曲』で鮮烈なデビューを果たした芥川賞作家島田雅彦も作家生活が四半期過ぎた?福島の里山の旅は新たな心の旅の確認でもあったのかも。オノマトペ、句点、蛙語、独特の感性と詩句、ユーモア、スケールの大きさと土着性(天の声、地の声)、庶民性と人間愛、生活欲とアナーキー、存在のかなしさ、汎神論、万物照応‥‥‥その詩篇1400あまり。また、モリアガルか。

追記 やはりここでテレビでは触れていないが、草野心平の代表作を一つ。

秋の夜の会話

さむいね  ああさむいね  虫がないてるね  もうすぐ土の中だよね  痩せたね

どこがこんなに切ないだろうね  腹だろうかね  腹をとったら死ぬだろうね

さむいね  ああ虫がないているね 初期作品『第百階級』より

賢明な読者諸氏はどう感じただろうか。当時の社会の投影ともとれるがー。それともカエルの独白?五感を駆使してよく読み込めば、今の時代状況をも映し出しているようにも読める。それにしても切ない詩だ。

懐かしやナオミの秋の二ツ箭山


https://koyama287.livedoor.blog/archives/1658628.html 【「にほん風景物語」・「日本の名峰・絶景探訪」・「美の巨人たち」。】より

最近放映されたテレビ番組のレポートを書きます。

まずはBS朝日さんで1/21(火)にオンエアされた「にほん風景物語 福島 川内村・いわき小川郷 ~詩人・草野心平が詠んだ日本の原風景~」。

作家の島田雅彦氏が、光太郎と親交の深かった蛙の詩人・草野心平のゆかりの地を歩きました。心平の故郷・福島県いわき市小川地区、そしてモリアオガエルが縁で心平が愛した地・川内村。

川内村では、同村商工会長にして、天山・心平の会代表の井出茂氏が島田氏を御案内なさっていました。モリアオガエル生息地の平伏(へぶす)沼や、村人が心平のために建ててあげたという天山文庫、そして草野心平を偲ぶ集い「かえる忌」の会場となっている、井出氏が営む小松屋旅館さん。

その囲炉裏端で、井出氏が語られた、原発事故による全村避難を思い出して語られた言葉には、ぐっときました。村境の峠から川内村を振り返り、涙が止まらなかったというお話、「無くなっていい場所、無くなっていい故郷なんてどこにもない」というお言葉……。重たいものがありました。

それから、放映を見るまでまったく知らなかったのですが、昨秋の「かえる忌」の様子も映りました。テレビカメラが入っていたのには気づいていましたが、てっきり福島のローカルニュースか何かだと思っていました。当方の姿も約20秒。自分の姿をテレビ画面で見るというのは妙な気分ですね。それも映ると知らなかったのでなおさらです。

続いて、昨夜9時からBS-TBSさんで放映された「日本の名峰・絶景探訪 #32 雪煙舞う厳冬の安達太良山」。

番組冒頭近く、俳優・津嘉山正種さん(やはり福島を舞台にした昨年の大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老・神保内蔵助役)による「安達太良連峰。その山の上に広がる空は、一つの詩によって、多くの日本人の心に刻みこまれた。」というナレーションのあと、「あどけない話」の後半部分が朗読され、智恵子生家裏の鞍石山に建つ「樹下の二人」詩碑から、ナビゲーター役の女優・春馬ゆかりさんのレポートがありました。

この番組は登山系の番組なので、そのあとは最後まで春馬さんの登山の様子のレポートでした。

昨秋、NHKさんで放映された「小さな旅 シリーズ山の歌 秋 ほら、空が近くに~福島県安達太良山~」では、やはり「智恵子抄」にからめ、錦秋の安達太良山が紹介されました。

今回は厳冬期。アイゼンを付けなければ登れないとか、樹氷ができていたりとか、同じ山でも季節が変わるとここまで違うのか、という感じでした。それが日本という国の良さでもありますね。

さらに連続して10時から、地上波テレビ東京さんの「美の巨人たち 荻原碌山(守衛)『女』」。

実はこの放送があるというのは、朝、新聞のテレビ欄を見るまで気がついていませんでした。この番組はほぼ毎週欠かさず見ており、次週の内容を知らない、ということは滅多になかったのですが、たまたま先週の土曜日はテレビ東京系の局がない岩手県に逗留していたため、そうなったわけです。したがって、このブログで事前に紹介出来ませんでした。すみません。しかし、テレビ東京系BSジャパンさんで2/19(水)に再放送されますので、見逃した方はそちらをご覧下さい。

この番組、毎回、作品の紹介・解説の部分と、作品にまつわるミニドラマの部分が交互に進む構成になっています。紹介・解説の部分では、連翹忌ご常連の碌山美術館学芸員・武井敏氏がご登場。これも事前に知らされていなかったので、驚きました。そしてミニドラマの部分は「親友 故人荻原を偲ぶ」という題で、光太郎と戸張孤雁、そして相馬良(黒光)が、守衛の没後、思い出を語るという構成でした。

光太郎役は俳優の大浦龍宇一さん。実は昨秋、大浦さんのブログで「一日だけ高村光太郎さんになってきます。」という記述を見つけ、いろいろ検索したのですが、舞台、映画等の情報も引っかからず、「?」と思っていました。その疑問が氷解しました。オンエア情報も。

相馬良は夫の愛三とともに、新宿に、かの中村屋を開いた人物です。守衛は少年時代から良に惹かれ、しかし相手は人妻。その苦悶が彫刻「女」に表されているというのが通説です。そのあたりを武井氏は実にうまく解説されていました。また、光太郎は良に対していい感情を持っておらず、ある意味、守衛の夭折は良のせいだと考えていたふしがあります。ミニドラマでは、そのあたりの光太郎の複雑な思いもよく表現されていました。光太郎は写真を撮られるのが好きではなかった、という小ネタも「そのとおり」、という感じでよく調べているな、と感心しました。

先述の通り、BSジャパンさんで2/19(水)に再放送されますので、見逃した方はそちらをご覧下さい。22:54~のオンエアです。

短い間に光太郎に関わる番組がたくさん放映され、有難い限りです。もっともっと増えてほしいものですが。

【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月26日

大正15年(1926)の今日、築地小劇場で上演されていた、ロマンロラン作・片山敏彦訳の演劇「愛と死の戯れ」が千秋楽を迎えました。

初日は同月20日。公演期間中、毎日、光太郎を含む十人の講演者が、毎日二名ずつ交代で講演をしたそうです。


https://genfukei.com/about/ 【日本の原風景とは】より

原風景とは、人の心の奥にある原初の風景。

それは実際の風景でなく心象風景であったり、暮らした場所や記憶に残る体験により、人それぞれ異なるものです。

多くは美化され、郷愁を感じるものとされていますが、その風景が良い印象と結びついていないこともあります。

では、「日本の原風景」と言えば何を思い浮かべるでしょうか。

その象徴としてよく取り上げられるのが、薪炭材を取る雑木林と田畑が隣接し、小川が流れ、兎や狸などの小動物、トンボやカブトムシなどの昆虫がたくさん見られ、神社のこんもりとした鎮守の森があるような昭和の里山風景です。

「豊かな生態系と人間の共生」を象徴するイメージとして、このような里山風景は多くの日本人にとって理解しやすいものではないでしょうか。

日本の原風景とは日本の原風景とは

ただ、高齢化や過疎が進み、薪炭材の必要性が減り、茅葺きの家はもちろん日本建築の家だけに規制する事さえ出来ない現代にとって、このような昔の里山風景そのままを新たに作り上げようとするのは、現実的な話ではありません。

また仮に昭和の里山風景を再現したところで、田畑で化成農薬・化成肥料を使い、コンクリート三面張りの河川やその土地には本来生えない画一的な樹種で占められた森林では、生態系が豊かな状態とは言えません。

つまり、これからは昔の里山に象徴されるような循環型社会の良いところや風習や習慣として残された先人の知恵を活かした上で、豊かな生態系と人間とが共生する新しい時代の「里山」スタイルを作っていく必要があると考えます。

そこで、ここでは「人と自然が共生していく為、豊かな生態系を取り戻した後の “新しい” 里山や里海と町の暮らし」が未来の日本の子ども達にとっての原風景となる事を願って、その未来の風景を「日本の原風景」として緩く定義します。

そのような新しい日本の原風景を作り上げるには、まずは実際的に生態系を保全・維持・再生する取り組みに力を入れる事。 そして同時に、今や生活とは完全に切り離された存在になってしまっている自然、普段の生活とは別次元で守るべき存在になっている自然に対して、改めてひとりひとりの日常生活との結びつきを取り戻していく必要があります。

自然の恩恵がなければ私たちは今のような物質的な豊かさを持続させる事ができないだけでなく、健康や生命の維持という観点においても危機的状況に陥る恐れがあるという事を肝に銘じ、改めて自然との関係性を捉え直し、日常生活や習慣を見直すことはとても大事です。

未来の子ども達の幸せを支える豊かで美しい自然を作る為、価値を同じくする様々な事業主体によるそれぞれの持ち場での自律的な取り組みを支援する為、キャンペーンに賛同いただければ幸いです。


Facebook竹元 久了さん投稿記事🌷徒然日記・森の声

  ある人の娘さんがドイツ人と結婚した。それが縁で、二人連れだってちょくちょく日本へやって来るようになった。そのドイツ人の彼が最近頻りに日本の里山の素晴らしさを口にすると言う。ドイツにも森は幾らでもあるに違いないが、日本の森のどこが良いのかと聞くと、下草が繁茂している、むさむさしさが素晴らしいというのである。ドイツにはこの様な感じの森はないそうで、魑魅魍魎(様々な化け物)の息使いや、森に潜む生命のうごめきを感じるそうだ。これが何とも魅力で、そう言う山の中を歩くと、異世界と交流することが出来、大変幸せな気持ちになると言う。たしかに日本人は、自然の風景の中から、季節の微かな変化を敏感に感じとり、四季の移ろいに心を動かされ、そこから俳句や短歌を生み出してきた。春になれば待ち構えていたように梅見に出掛けたり、桜の季節は各地で花見が催され、テレビで開花予報まで出されるのである。これらは当に日本的情緒の典型と言える。

 前秋に、イギリスの友人宅を訪ねたとき、「紅葉狩りに何処かへ出掛けようか~。」と言ったら、「イギリスではそんなことする人は一人も居りません。」と言われてしまった。イギリスでも黄葉する森は幾らでもあるそうだが、それを見る為にだけ、わざわざ出掛ける人は居ないらしい。「イギリス人は、はらはらと散る黄葉に、自分の人生を重ねると言うことはないのか。」と更に問うと、「そんなこと全然ありません。」と一言のもとに否定されてしまった。この時ほど日本人との精神構造の違いに驚ろかされたことはなかった。

最近、ある企業の会長さんがお寺にやって来るなり、「この感じは良いですね~。」と頻りに仰る。この方は旧家の育ちで、小さかった頃、お祖父さんが当時有名な禅僧を招いては、坐禅を組み法話を聞く会を催されていたそうである。お寺の長い廊下、部屋の違い棚の置き時計、開け放たれた廊下越しに見える鬱蒼とした庭の木々、部屋に漂う空気、どれを取っても小さかった頃の思い出に繋がることばかりで、懐かしさが込み上げてきたと言うのだ。

この二人の話を聞いて大いに感ずるところがあった。現代は万事便利になり、効率的で快適な生活が出来るようになった。それは大変結構なことなのだが、その為に失ったものも多い。これは以前別なところにも書いたが、私が四国八十八ケ所巡礼の歩き遍路に出掛けたとき、歩くことがどれだけ人間を本来の姿に立ち直らせるかを身をもって知った。山越えの遍路道を歩ききって、ふと振り返ると、急斜面に張り付くように点々と家が建ち、その間を梅林が覆っている。この何の変哲もない四国山地の田園風景が、代え難い素晴らしさで私の心に迫ってきた。ただ歩くだけで、こんなにも自分の心の内と向きあい、味わい深く景色を見ることが出来たのである。

私たちは日常的に車やバス、電車を利用し、極めて効率的、スピーディーに暮らしている。これは一方で、日々本来の心を失っていると言うことでもある。しかし、それで何か不都合が生ずるかと言えば別段ない。便利で快適ならそれが一番!と言うことになる。ところがもっと広い視野で社会全体を見ると、何処か歯車が狂い始めているのではないかと危惧される。親が子を殺し子が親を殺す、またお年寄りが一生掛かって貯めた命の綱とも言える蓄えを、騙して掠め取り、平然としている事件など、有っては成らないことが日常的に頻発している。これらはどう考えても異常としか思えない。便利さばかりを追い求めるうち、我々の心は知らず知らずの間に蝕まれ、本来あるべき姿を失ってしまったのではないだろうか。

嘗(かって)て人々の日々の暮らしは、自然と一体で、ゆったりとした時が流れていた。常に自分の心をそこに投影し、自然から生きる指針を学び教えられながら生きてきた。だから自然とは、人間の都合で利用するだけのものではなく、同等の価値を持った輩であったのだ。だから自然の持つリズムと歩調を合わせ、自然の発する声なき声に耳を傾け、会話するような気持ちで共に生活してきたのである。ところが現代は、丁度新幹線で矢のように飛ぶ車窓の景色を眺めているように、ただ効率一辺倒となり、その結果行き着いたのが自己喪失なのである。

最初にドイツ人が端無くも言ったように、日本人が古来より保ち続けてきた独特の自然観は、世界が注目する素晴らしい価値なのだが、日本人自身は全く気付いていない。それどころか西欧的合理主義を金科玉条のように思い、益々日本的情緒の大切さを忘れている。このへんでもう一度、近代合理主義から離れ、人間が本来持っている原初の速度で歩んでみれば、見落としたものに再び気付くことが出来るのではなかろうか。


https://note.com/camjyo/n/n9cbbb491e1ab 【現代人が原風景に憧れる6つの理由 - 失われゆく自然との絆を求めて】より

現代社会を生きる私たち。日々の生活に追われ、自然と触れ合う機会が少なくなっていませんか。そんな中、人々が「原風景」に強い憧れを抱くようになっています。

原風景とは、その土地本来の自然の姿を表す言葉です。山や川、海、森林など、人間の手が加わる前の自然そのものの景観を指します。

しかし、なぜ現代人は原風景にこれほどまでに惹かれるのでしょうか。その理由を探ってみると、現代社会の抱える問題や、人間の本質的な欲求が見えてきます。

1. 都市化と自然との乖離

現代社会では、都市化が急速に進んでいます。コンクリートに囲まれた生活の中で、自然と触れ合う機会が極端に少なくなっているのです。

原風景は、そんな都市生活者にとって、失われつつある自然の象徴として映ります。緑豊かな山々や、澄んだ水が流れる川、色鮮やかな花々が咲き乱れる野原。そのような光景に、人々は心を奪われずにはいられないのです。

原風景への憧れは、自然との絆を取り戻したいという現代人の願望の表れなのかもしれません。

2. ストレス社会からの逃避

現代社会は、スピードと効率が重視される競争社会です。常に何かに追われ、心に余裕を持てない人が増えています。

原風景は、そんなストレス社会から離れ、心を癒すことができる空間として認識されているのです。自然の中で過ごす時間は、心を解き放ち、本来の自分を取り戻すきっかけになります。

鳥のさえずりや、木々のざわめき、川のせせらぎ。そんな自然の音に耳を澄ませば、心の奥底にある平穏を感じることができるでしょう。原風景は、現代人にとって、かけがえのない癒しの場なのです。

3. ノスタルジーと郷愁

原風景は、人々の心の中にある「ふるさと」のイメージと深く結びついています。どこか懐かしく、安らぎを感じる景色。それは、まるで自分の心の故郷を思い出させるようです。

子供の頃に遊んだ野原や、祖父母の家の近くの山。そんな原風景は、人々の記憶に強く刻み込まれ、郷愁を呼び起こします。

現代社会で生きる私たちは、どこかで心の拠り所を失ってしまったのかもしれません。原風景への憧れは、そんな現代人の心の叫びなのかもしれません。

4. 本質的な自分との出会い

現代社会では、私たちは様々な役割を演じなければなりません。会社員、親、パートナー、友人。そんな中で、本当の自分を見失ってしまうことがあります。

原風景は、そんな社会的な役割から離れ、本質的な自分と向き合うことができる場所として捉えられています。自然の中で過ごす時間は、自分自身と対話する貴重な機会になるのです。

山の頂きに立てば、自分の存在の小ささを実感できるでしょう。川の流れを見つめれば、人生の流れについて思いを巡らすことができます。原風景は、自分探しの旅に出るための最高の舞台なのです。

5. 環境意識の高まり

近年、地球環境問題への関心が高まっています。温暖化や大気汚染、森林破壊など、自然環境の危機が叫ばれる中、人々は自然の大切さを再認識するようになりました。

原風景は、人間と自然が調和して共生する理想的な姿を表しています。手つかずの自然の美しさは、環境保護の重要性を訴えかけているようです。

原風景を守ることは、地球の未来を守ることにつながります。そんな思いが、現代人の原風景への憧れを後押ししているのかもしれません。

6. 日本人の自然観

日本人は古来より、自然と共生する文化を育んできました。「山紫水明」という言葉が表すように、日本の原風景は、豊かな自然美に彩られています。

俳句や和歌、日本画など、日本の伝統芸術は、自然への畏敬の念を表現してきました。自然を敬い、自然に寄り添う。そんな日本人の自然観は、原風景への憧れにも通じているのです。

原風景は、日本人のアイデンティティの一部と言えるかもしれません。現代に生きる日本人が原風景に惹かれるのは、自然と共生する日本の心を思い出したいからなのかもしれません。

まとめ

原風景は、現代人にとって、自然、癒し、ノスタルジー、自己探求、環境意識、文化的アイデンティティなど、様々な要素が複合的に絡み合った、特別な意味を持つ存在です。

都市化が進み、自然との接点が失われつつある現代だからこそ、人々は原風景に強い憧れを抱くのでしょう。

もしかしたら、原風景への憧れは、現代社会に蔓延する「喪失感」の表れなのかもしれません。失われゆく自然との絆、心の拠り所、本当の自分。そんな大切なものを、私たちは自然の中に求めているのです。

週末には、近くの森を散策してみるのはどうでしょうか。山登りに挑戦するのも良いかもしれません。普段の生活では味わえない、自然との一体感を感じられるはずです。

現代に生きる私たたちだからこそ、原風景の持つ力を借りて、心を癒し、本当の自分を見つめ直すことが大切なのかもしれません。