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Kazu Bike Journey

Ride in Kyushu Day 14 (29/12/18) Sasebo 佐世保

2018.12.29 20:59

Kujukushima Pearl Sea Resort 九十九島パールシーリゾート 

Sasebo Harbor 佐世保港 

Miura-Cho Catholic Church 三浦町教会

Huis Ten Bosch ハウステンボス

Sonogi No Sho 道の駅 彼杵の壮 

佐世保といえば海上自衛隊基地が知られているが、それ以外の観光場所をインターネットで調べるもの、それほど多くは載っておらず、良さそうな所は九十九島の風景。今日は佐世保地区を少しまわり長崎方面に向かう。長崎までは距離があり、寄り道もあるだろうから、長崎までの中間点の大村市にある長崎空港近辺まで行く事にする。朝7時半に出発。

九十九島パールシーリゾート Kujukushima Pearl Sea Resort

ここから島巡りの帆船の形の遊覧船が出ている。港には水族館、岬の高台には動物園もあり、典型的な観光地。朝早いので観光客はおらず、地元の老人たちが散歩をしている。島巡りの船は10時が始発ということで、島巡りは断念し、陸地の海岸線を走り風景を楽しむ。

佐世保港 Sasebo Harbor

佐世保湾の佐世保市内と九十九島の間は米国海兵隊、海上自衛隊基地、造船所がある。この地域は立ち入り禁止で、外環道路からしか様子が見れない。米軍と自衛隊は基地と居住区共にお互いに隣接している。協力関係を強めるためか、それとも監視のためだろうか?建物の隙間から軍艦が何隻か停泊している。ただ軍艦が自衛隊なのか米軍なのかはよく分からなかった。米軍基地の近くはフェンスで囲まれて、検問所が何箇所かある。軍服の米国人が大勢いる。道路も英語名になっている。不思議な感じだ。日本じゃないようだ。米軍基地の隣は造船所で、作業着を着た日本人が大勢働いている。米国軍人と日本人作業者が同じ地区で見れるこのコントラストは面白い光景だ。造船所内にはいくつも大きなドックがあるが、新造しているものはない、修理点検のためか、大型船がドックに入っていた。この造船所は古く明治時代に使っていたレンガ倉庫がいまだに残って使用されている。海上自衛隊基地には博物館があり、軍艦の見学もできるとなっていたのだが、今日から年末年始休暇となり、閉館だった。なるほど、世間は年末年始休暇に突入したのだ。この一週間は休業中の所が多くあるのだろう。こちらもここらでゆっくりするか。二週間走りっぱなしで、少し疲れがたまって来ている。夜になると知らないまま、寝てしまっている。

造船所

海上自衛隊基地、米軍海軍ベース

軍艦

三浦町教会 Miura-Cho Catholic Church

街のど真ん中、ビルの間に一際目立つようにそびえる教会。佐世保のカトリック信者の中心となっている。教会の歴史は古く、明治時代に佐世保教会が発足し、現在の聖堂は1931年に建設された。戦時中は空襲の標的になりにくいように、コールタールで真っ黒に塗られた。そのおかげでなのか(?)空襲から逃れ、タールを綺麗にした姿として今も残っている。この長崎はポルトガルとの接点が戦国時代に始まり多くの大名や庶民がカトリック信者となった。これも九州が異文化の接点の一部分だ。これからこの長崎地区を回るが、歴史、文化、生活の背景として、このカトリックが存在するのだろう。どれぐらいそのことが感じられるものに出会うか楽しみだ。

ハウステンボス Huis Ten Bosch

海岸線の国道205号で長崎に向かう。たまたまこの国道沿いにハウステンボスがあった。訪問しようと思ってはいなかったが、長崎にある事は知っていたが、こんな所にあったのか。長崎からは70キロぐらい離れている。長崎観光の一部としてはかなり離れすぎている感じがする。電車でも来れるが本数や所要時間はどうなのだろうか? 商業的には立地条件は良くないだろう。これも経営不振の要因なのではないだろうか。とはいえ、素晴らしい場所にある。川に沿って国道が走り高台にお洒落な駅があり、その対岸にハウステンボスがある。まずはホテルオークラがそびえ立つ。これがハウステンボスの顔かと言うぐらい存在感が出ていて、主役のハウステンボスを食っている。一人でこのような所に入っても楽しめないので、外からどんな感じかだけで十分。いつか機会があれば誰かと一緒に来てもいいかな。それまでここが存続しているかだが。HISが経営を引き継いで再生をしたのだが、問題だらけと噂されている。個人的感想はここは長くは持たないと思う。あまりにも立地条件が悪く、ディズニーランドのようにリピーターは期待できないし、働く従業員も続かないだろうから、接客の質はどんどん低下すると思う。収入は頭打ちになり、減って行くとあたらしい企画が打ちにくい。それが悪循環となって行くのではないか。何故、あの時HISが参入したのか疑問?HISならばと周りから持ち上げられ勢いでやってしまったのではと思う。(あくまで個人の勝手な意見)

道の駅 彼杵の壮 Sonogi No Sho

長崎への道に戻り走り始めた。後は宿の近くまで走り夕食をとり、チェックインだけと思っていたのだが、途中に道の駅に遭遇。敷地内に何か歴史的な物を展示している。何かと興味を持ち立ち寄ってしまった。彼杵の壮という。クジラ料理とそのぎ茶が特産だと書いていた。屋外展示と資料館があるが資料館が年末年始休暇の為、休館。屋外展示だけを見る。ここは長崎街道の宿場町だった。先に行った長崎街道の宿場の小倉からここまで来てこの先長崎まで続いている。後は古民家を移設している。目玉は前方後円墳でこれは本物で石棺の石室も復元していた。九州はいち早く大陸文化が入ってきた場所なので至る所に古墳跡がある。

思わぬ道草をしたので、今日も到着は日が暮れてからの6時半となった。