8.供養(供養・法事・仏壇)
供養ってなんでしょう?
法事を行うこともお墓参りをすることも仏壇に手を合わせることも、すべて供養です。
この項目を書いていくと、心の中でそっと思い出すことだって、供養なんだなぁと思えてきます。
死んでしまった人に対して後悔があっても大丈夫。
もし生きていたら、こうしてあげたかったという思いを込めて手を合わせることも立派な供養です。 亡くなった人の分まで、自分がいっしょうけんめいに生きることも立派な供養です。
こう考えるとホッとされる方もいらっしゃると思います。
そして、生きている自分のこれからの人生が豊かになる ような気持ちになります。
また、この項目を書いているうちに、ご両親やご主人、身近な大切な家族を亡くされた経験から沢山の思いが沸き上がってきます。そして、なぜか、大笑いしたり、涙したり、深いシェアができる項目です。
この項目をやると、今まで以上に自分の命を愛おしく感じられます。
私自身も亡くなった両親を思い出し、会いたくてたまらなくなります。
余命宣告を受け、本当に死に直面され、奇跡的に克服された方が参加してくださったことがあります。 闘病中は終活を避けてしまったそうです。今は深すぎる悲しみを乗り越えて、友人に「ノーテンキ」「何も考えてないだろう」と言わしめるお人柄です。 「亡くなった人へ伝えたいことは何ですか?」という質問に 「がんばって生きているよ。」と答えられました。 さらっと聞こえますが、その場にいたら、涙が出そうな言葉でした。
死の話をしているとき、生きることを強く思う。
若い方も自分の死をちょっと想像してみると、生きることの素晴らしさを再確認できると思います。
この項目を体験された方の感想
(掲載の許可をいただいています)
●「亡くなった人に対して後悔があっても大丈夫」と分かり、ホッとしました。
●今日は供養ということで、先日亡くなった母を思い出しました。とても良かったです。
●供養、法事の件等、自分で体験した事等と合わせて大変ためになりました。
●60歳を過ぎて、大病もして自分のことをふり返る機会も多くなりましたが、しっかり考えることができてうれしかったです。
●皆さんのご両親に対する思いを聞くことができて涙するところもありました。私はまだ両親が健在なので、生きているうちにもう少し会ったりした方がいいなと思いました。