継承するということ
【継承する】
何か大切なものを、次世代に継承していく
というのは
「これは良いものだから」
「大事だから」
「必要だから身につけなさい」
のような、ある意味
押し付けられたものではないはずです。
技術や知識もそうですが、
それだけではなく
必ずその中心にある【こころ】であり、
わたしの表現で言えば【いのち】のような
目に見えないものが必ず受け継がれて
いるように思います。
それは、受けとる方が
自分のタイミングで、必要なことを
自ら感じて、肌に馴染ませるように
浸透していくものではないでしょうか。
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日本の看護界では、今
専門知識を習得し特別な技能を
身につけられる人の育成に力を
入れているようです。
学生たちも専門看護師や認定看護師に
なりたいと目標にします。
それに対して、正直わたしは違和感を
覚えています。
もちろん、決められた実践の単位取得と
国家試験に通らねば看護師にはなれません。
また、現実的に現場で働くには必要です。
それに、すでにある医療を
さらに向上させていこうとすることは、
決して悪いことではないですよね。
それによって私たちは大いに
助けられています。
論点はどちらが良いか
ということではないのです。
このどちらでもない、曖昧なものは、
現代社会では切り捨てられていきがちです。
どっちつかずとして。
こたえにするために明確な言語化が
求められるのです。
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話はもどりますが、看護にとって
コミュニケーションの大切さや
その人の生きる背景を
観ることの大切さ等は、
昔から変わらず教育の中に
含まれています。
『知識や技術だけではない』ことは
皆が分かってはいます。
でも、わたしも含めて、
本当に分かっているのでしょうか?
言葉だけが先行して中身が伴わない現実が
多々あるように感じます。
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近代看護はナイチンゲールによって、
看護の在り方が体系化されました。
皆さんには、白衣の天使の
イメージがあるかもしれませんが、
ナイチンゲールは統計学者でも
ありましたので、クリミア戦争での
実践を著者の中で統計的に
体系化したのです。
日本の看護は、明治時代に
日本赤十字によって始まったとされ、
以降は第二次世界大戦後に
アメリカ指導のもとに体系が
ガラッと変わりました。
まさに、米国をモデルと
してきたと言えます。
それ以前はどうだったのか。
産婆さんはいたものの、病気や障害を
もちながら家で暮らすのが当たり前で
老いた人の世話も、死も身近にあるもの
として家でできることをして看ていました。
そこには古来からの慈悲のこころと
祈りがあり、人の生命は操作できない
神聖なものとして、悲しいけれども
避けられないものとしてあったはずです。
歴史を、日本を知ろうとしなければ
その中心にあるものを肌で感じることは
できません。
まだまだ知らないことばかり。
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看護は本来、その人の自然治癒力を信じ、
どうすればそれが最大限に発揮されるのか
を感じ観ること。
その人を知り、自分も環境要因となり
働きかけることで、結果的に
その人の治癒過程を促進させるのだと
理解しています。
そこに、現代医療の発展により
診療の補助としての役割が増大してきた
ため、そちらにエネルギーの大半を
かけざるを得なくなりました。
だから、その人を知るというよりも
分析することに力が注がれているように
思えてなりません。
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知るとは何なのか。
わたしたちは他者を知り得ないという
前提さえ教わらず、知った気になって
分析していたり、感じることよりも
考えることばかりで、
【触れる】ことによる影響を考えもしない
ことがほとんどです。
また、病院などの施設で働いていると、
その人の暮らしが見えにくくなります。
それは、社会が核家族化により
身近で老いによる生活の変化を見たり、
死までの過程で一緒に過ごすことが
なくなってきているからでもあります。
退院したら、どんな生活が待っているのか。
頭で知識として理解していても、
実際の体験がないために
具体的には想像できません。
高齢で身寄りのない男性が、
アルコール依存から抜けられなくなり、
病気の進行がありながら、病院では
なかなか受け入れてもらえない姿が
想像できるでしょうか?
もちろん、一括りにはできず
人によって異なります。
ただ、ニュースでいくら知ろうが、
自分には知らないことばかりなんだと
無知を前提にしていれば、
目の前の人を知ろうとするのでは
ないでしょうか。
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無知が悪いのではなく
無知だと思えないことを
ダサイ、ヤバイと思えるのかどうか
だと思います。
そして、きっと日本人は【感覚】を
大事に継承していたはずです。
人とかかわることそのものがもつ、
大切な魂、いのちを伝えてきた
はずです。
できることを増やしていくことも、
素晴らしいことですが、
この見えない大切なものこそ
次世代に言葉で教えるのではなく、
リアルな体験として、
感じ観てもらえる人でありたい
と思うのです。
わたしはそう考え教育の現場に
入ることを決めました。
そして、インタビュー活動の原点も
そこにあります。
見えない何かをのせて
発信を続けていこうと思います。