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継承するということ

2024.08.03 07:23

【継承する】

何か大切なものを、次世代に継承していく

というのは

「これは良いものだから」

「大事だから」

「必要だから身につけなさい」

のような、ある意味

押し付けられたものではないはずです。


技術や知識もそうですが、

それだけではなく

必ずその中心にある【こころ】であり、

わたしの表現で言えば【いのち】のような

目に見えないものが必ず受け継がれて

いるように思います。


それは、受けとる方が

自分のタイミングで、必要なことを

自ら感じて、肌に馴染ませるように

浸透していくものではないでしょうか。


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日本の看護界では、今

専門知識を習得し特別な技能を

身につけられる人の育成に力を

入れているようです。


学生たちも専門看護師や認定看護師に

なりたいと目標にします。


それに対して、正直わたしは違和感を

覚えています。


もちろん、決められた実践の単位取得と

国家試験に通らねば看護師にはなれません。

また、現実的に現場で働くには必要です。


それに、すでにある医療を

さらに向上させていこうとすることは、

決して悪いことではないですよね。

それによって私たちは大いに

助けられています。


論点はどちらが良いか

ということではないのです。


このどちらでもない、曖昧なものは、

現代社会では切り捨てられていきがちです。

どっちつかずとして。


こたえにするために明確な言語化が

求められるのです。


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話はもどりますが、看護にとって

コミュニケーションの大切さや

その人の生きる背景を

観ることの大切さ等は、

昔から変わらず教育の中に

含まれています。


『知識や技術だけではない』ことは

皆が分かってはいます。


でも、わたしも含めて、

本当に分かっているのでしょうか?



言葉だけが先行して中身が伴わない現実が

多々あるように感じます。


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近代看護はナイチンゲールによって、

看護の在り方が体系化されました。


皆さんには、白衣の天使の

イメージがあるかもしれませんが、

ナイチンゲールは統計学者でも

ありましたので、クリミア戦争での

実践を著者の中で統計的に

体系化したのです。


日本の看護は、明治時代に

日本赤十字によって始まったとされ、

以降は第二次世界大戦後に

アメリカ指導のもとに体系が

ガラッと変わりました。

まさに、米国をモデルと

してきたと言えます。


それ以前はどうだったのか。


産婆さんはいたものの、病気や障害を

もちながら家で暮らすのが当たり前で

老いた人の世話も、死も身近にあるもの

として家でできることをして看ていました。


そこには古来からの慈悲のこころと

祈りがあり、人の生命は操作できない

神聖なものとして、悲しいけれども

避けられないものとしてあったはずです。

歴史を、日本を知ろうとしなければ

その中心にあるものを肌で感じることは

できません。


まだまだ知らないことばかり。


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看護は本来、その人の自然治癒力を信じ、

どうすればそれが最大限に発揮されるのか

を感じ観ること。


その人を知り、自分も環境要因となり

働きかけることで、結果的に

その人の治癒過程を促進させるのだと

理解しています。


そこに、現代医療の発展により

診療の補助としての役割が増大してきた

ため、そちらにエネルギーの大半を

かけざるを得なくなりました。


だから、その人を知るというよりも

分析することに力が注がれているように

思えてなりません。


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知るとは何なのか。


わたしたちは他者を知り得ないという

前提さえ教わらず、知った気になって

分析していたり、感じることよりも

考えることばかりで、

【触れる】ことによる影響を考えもしない

ことがほとんどです。


また、病院などの施設で働いていると、

その人の暮らしが見えにくくなります。

それは、社会が核家族化により

身近で老いによる生活の変化を見たり、

死までの過程で一緒に過ごすことが

なくなってきているからでもあります。


退院したら、どんな生活が待っているのか。

頭で知識として理解していても、

実際の体験がないために

具体的には想像できません。


高齢で身寄りのない男性が、

アルコール依存から抜けられなくなり、

病気の進行がありながら、病院では

なかなか受け入れてもらえない姿が

想像できるでしょうか?


もちろん、一括りにはできず

人によって異なります。


ただ、ニュースでいくら知ろうが、

自分には知らないことばかりなんだと

無知を前提にしていれば、

目の前の人を知ろうとするのでは

ないでしょうか。


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無知が悪いのではなく

無知だと思えないことを

ダサイ、ヤバイと思えるのかどうか

だと思います。


そして、きっと日本人は【感覚】を

大事に継承していたはずです。


人とかかわることそのものがもつ、

大切な魂、いのちを伝えてきた

はずです。


できることを増やしていくことも、

素晴らしいことですが、

この見えない大切なものこそ

次世代に言葉で教えるのではなく、

リアルな体験として、

感じ観てもらえる人でありたい

と思うのです。


わたしはそう考え教育の現場に

入ることを決めました。


そして、インタビュー活動の原点も

そこにあります。


見えない何かをのせて

発信を続けていこうと思います。