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おかえり南のウイスキー。Vol.1

2018.12.30 10:21

九州最南端のウイスキー蒸溜所を訪ねて


酒といえば焼酎。
それがあたりまえの鹿児島で、
新しいウイスキー蒸溜所が話題になっている。
本土の南端ともいえる里村で、
世界と勝負できるウイスキーをつくりたい。
そんなロマンに満ちあふれる、ものづくりの現場。
そこには、五感のすべてを呼び覚ますような
新鮮な体験が待っていた。

新しいウイスキー蒸溜所がある南さつま市・津貫へは、
鹿児島市街地からはレンタカーを手配するか、
バスで加世田まで行きタクシーに乗り換える。
津貫は、古くは遣唐使の時代の鑑真和上の上陸で知られる
港町・坊津と、商業の町・加世田を結ぶ交通の要衝。
近辺には「海幸・山幸」など数々の神話が伝わる。
山々におわす神様が飲みたいがために里の人々に
酒をつくらせるのか。



おだやかな里、津貫へ。

その土地は、遠い記憶を
くすぐるような匂いがあった。



もっと知りたい

正真正銘の鹿児島生まれだが、

白状すると酒に弱い。

しかし薩摩人といえど、

みんながみんな酒が強いというわけではない。

あの西郷どんも飲める人ではなかったといわれているのだ。


そんな僕に、かなりハードルの高い依頼が舞い込んできた。

「お酒の取材に行ってください。

32年ぶりに鹿児島ウイスキーが誕生する。

新しいウイスキーの蒸溜所ができたんですって」と、

本誌の前原編集長。

「面白そうだと思いませんか?」とすでに前がかりになっている。

僕と違って愛飲家でもある彼女には、

見逃せない場所なのだろう。


聞けば、ここ数年の世界的なウイスキーブームで、

日本各地でもウイスキー蒸溜所が次々に誕生。

なかでも鹿児島にできたそれは、

これまでにないジャパニーズウイスキーの蒸溜所として

熱い視線が注がれているらしい。


焼酎王国の鹿児島で、なぜウイスキーを?と、

知りたくなってきた。

かくして、鹿児島ウイスキーが生み出される現場へ向かうことになった。



その土地の匂い

鹿児島市街地から車で南下すること一時間半。

眠っているように静かな山あいを抜けると、

突然、視界がひらけた。蒸溜所がある津貫の平地だ。


周囲の山々からの水に恵まれたその平地は、

古くから焼酎づくりが盛んで、

おいしい「津貫みかん」の産地としても知られている。


蒸溜所のシンボルタワーがどんと現れた。

壮観だ。黒地に赤を配色したそのタワーは、

おだやかな周辺の風景を、きりりと引き締めている。


車から降り立つと、鼻先をくるんと風が走った。なんだろう。

水の匂い?いや、畑の土の匂いかもしれない。

遠い記憶をくすぐるような匂いだ。


見回せば周辺には時の刻まれた建物が並んでいる。

人がいないのに、人の気配を感じるのが不思議だ。

「順を追ってご案内しますね」と迎えてくださったのは、

津貫蒸溜所スタッフの田中さん。

笑顔がいい人だ。

初対面の緊張がすっとほどける。


シンボルタワーの中へ

最初に案内されたのは、旧蒸留塔。

あのシンボルタワーの内部だ。

そこには、この蒸溜所ができる以前からの

歴史がわかる丁寧な展示があった。

「津貫は明治時代から焼酎づくりが盛んな土地。

昔は相当にぎやかだったと聞きます」。

なるほど、僕が感じた人の気配は、

ものづくりの活気が残っているせいなのか。


1949年(昭和24年)には、

この津貫でウイスキー製造も始まった。

そのことは、あまり知られていない事実らしい。


目の前にそびえる巨大な蒸留機はどこか神々しい。

26メートルの、その古びた装置のてっぺんから

誰かに見守られている気がして、背筋が伸びた。