8月4日 主日礼拝
8月4日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
使徒言行録 5章1-11節
最初の教会の様子。
私有財産を持たない。
皆で共有をする。
誰も不足するものがなかった。
エデンの園と同じ構造。
何も不足がない。
最初の教会。
そこに属していたアナニヤとサフィラ夫婦。
彼らも土地を売り、ペテロのもとに持ってきた。
ただ自分たちのために財産を残しておいて「これが全てです」と偽りを言う。
ペテロはそれを見抜き、なぜ、神を欺くのかと批判する。
その時にアナニヤは息が絶える。
この構造もエデン園と同じもの。
すべてが足りているエデンの園。
そこで蛇が現れ
「お前には足りないものがある」と告げる。
現実にはすべてが満たされているのに、蛇の言葉をまんまと受け入れる。
なぜ人は嘘を言うのか。
嘘とは何か。
嘘、自分が作り上げた現実を世界に押し付けること。
現実と合っていないのは知っている。
だが、現実より私が作り上げた世界の方が役に立つ。
私に都合がいい。
なぜ人は嘘をつくのか。
自分の作り上げた現実を世界に押し付けるのか。
世界を
現実を信じられないから。
世界が怖い。
恐ろしい、だから私が作った世界に閉じこもる。
それが幸福だから。
現実と直面しないで過ごすことが幸せだから。
アダム、エバ、アナニヤ、サフィラ
皆、自分の脳の中で作り上げた世界は現実だと思い込んだ。
聖書の世界が示す世界は怖くないところ。
神が良いと言って始まった世界。
この世界は良い、怖くない。
イエスの復活。
人が恐ろしいと思っているものは何か。
人は誰しもが死ぬ。
この世界といつか別れなければならない。
近しい人々といつか別れなければならない。
世界は必ず別れで終わる。
それが真実だと私たちは思ってるが
聖書は告げる。
それこそか人が思い込んでいる偽りの世界、
人が作った現実だと。
イエスの復活は私たちが現実だと思い込んでいるものを転覆させる。
何が現実か。
何が本当か。
人が作ったものと本当にあるもの。
その区別は出来ているか。
世界を正しく見つめられる心。
自分に問いかけ続けられる心。
悔い改めの心が世界の真実を見る。