弱点
完全無欠の生命体に思えるおひょいも、
欠点はドンキホーテの陳列並みに
積み上がるほどあったりする。
そのひとつが
「誰かに相談したことがない」
ということだ。
ずっとエラソーに生きてきたというより、
他人が私の心を解決できるはずがない、
結局誰の意見も参考にならない、
と勝手に思ってきたのだ。
だいたい相談なんて
吐き出すことに意味があるのであって、
相談者が納得することはないんじゃないか?とか。
吐き出すことに爽快感を覚えることのない私にとっては、
とくに意味のない行為でもあった。
そして単純に、そもそも人に話せないような内容が多いということもある。
「いやおひょいさんは相談される側だからでしょ」
と思う方もいらっしゃるかもしれないが、
実はそっち側だったことも少なかったりする。
数少ないマニアなファンしかしてこないし、
私に相談すると一刀両断・即断即決されて、
吐き出す心地よさも味わえないと思われているのだと個人的には解釈している。
しかしそれは「弱さ」だということに、
最近ようやく気づいた気がする。
かなり損をしているということにも。
「自立」の考えが間違っていたかもしれない。
自立とはなんでも自分でできるということでなく、
「頼れる人・力を貸してもらえる人を周りに作れること」
だということに気づくのが遅かった。
私は自立していたように見せかけて、
ずっと自立できていなかったのだ。
ただ「孤立」を選んでいただけだったのだ。
だがしかし。
ここまで来てしまうと
なかなかそういう癖を変えられるものではない。
もっと若いころ、
30代くらいに身についてれば、
人生が変わったような気もする。
いや、確実に変わってたな。
できるようになったのは仕事上だけだ。
仕事で相談するのはとても円滑なことを知った。
その結果はともかく、
「あのおひょいさんに頼られた」
「あのガンコ者、こんなことも知らないのか、案外ポンコツだな」
という効果だけで十分なのである。
上の人にも下の人にもまんべんなく、
というのがまたいい。
しかしプライベートでは、
どうしても他人に相談できない案件が
まだいくつかあるような気がする。
私以外の誰も解決できないだろうと思っている案件だ。
実際そうだろう。
誰かに話す価値もない。
自死を選ぶ人は、
そういうのがそれこそドンキホーテ並みに積み上がっていて、
圧し潰されてしまった結果なのではないか。
「話してくれたら・・・」
「あのとき気づけたら・・・」
なんて周りが言う話じゃないのだろう。
臆病で強欲な私が自死することはありえないが、
あと何年かはまだ悩みの渦中にいる気がする。
何年かで済めばいいが。
先日、
素敵な住職さんがおられる、
素敵なお寺の存在を知った。
ごく近所で、
以前から子供たちが集まって遊んだりしているお寺だ。
ジュースなどの飲み物がフリーだったり、
子ども食堂的な食事を提供していたり、
マンガや本があって
ある意味放課後児童クラブのような場所だという。
いつかそのお寺に行って、
相談してみようかな、
なんて思っていたりする。
弱みを晒すことで
新しい考えが芽生えたり、
新しい自分が
ひょっこり出てくるかもしれない。
それもチャレンジかな、と。