二十八冊目【日本再興戦略】
【日本再興戦略】
著者 落合陽一
出版社 幻冬舎
西洋的思想と日本の相性の悪さは、仕事観にも現れています。今は、ワークライフバランスという言葉が吹き荒れていますが、ワークとライフを二分法で分けること自体が文化的に向いていないのです。日本人は仕事と生活が一体化した「ワークアズライフ」のほうが向いています。無理なく、そして自然に働くのが大切なのです。
やられました。落合陽一を完全に侮っていました。平易な言葉で書かれていて非常に読みやすく、現代におこっている多くの問題に対する解決策とテクノロジーのもたらす未来の可能性について明確なビジョンが描かれています。このようなことを主題とする本の多くで「仮想敵」や「暗い未来」が過剰に設定されていてそれに対する批判に注力してしまい、結局具体的な解決策が提示されない。もしくは、論理的な裏づけの薄い「理想論」がかかげられただけで、結局なにが言いたかったのかよくわからない本が多いなか。【日本再興戦略】はかなりの精度の高さです。
「旧来の仕組みを否定しながらその仕組みを「正しく」使うことで未来を変えようとする。」そういった話はどこにでもあります。たとえば「商店街」はもう古いからそれを壊して「自分たちの理想のコミュニティスペース」をはじめよう!といった話の弱点は「今あなたが古く陰鬱としたイメージで見ている商店街という仕組みは50年のみんなの理想の形態であった。」ということを見逃している点にあります。自分たちの思っている「理想」の精度についてかなりの時間考え、しかも美意識をもって取り組まないと、「商店街の仕組み=古いos」それを使って新しいソフトを開発するような無謀な行為になってしまいます。同考えても50年前の「常識」というosは当に時代遅れです。アインシュタインは「「狂気」とはこれまでと同じ方法を用いてこれまでと異なる結果を望むことである」といいいました。まさにこのことです。高速道路が通り、ボーリング場を皮切りに大型ショッピングセンターが進出し、郊外に新興住宅地が形成され、旧来の村落の仕組みが壊れた、まさにその時を生きていて人は未来の「幸せ」を切に願っていました。その方法が現代から見たときに間違っていたして誰が責められる立場にいるのだろう?ぼくはいつもそう思います。そういった「仮想敵」を用いた戦略はたいていの場合、もっとも憎んでいた人物と同じような人物をリーダーに設定します。そして、「自分たち世代ががんばって勝ち取った権利=利権」を全力で守りにかかります。そして数十年後、若い世代はこう言うでしょう。「あいつらは古い。はやくいなくなればいいのに」そういった同じ過ちを繰り返すのです。ではどうしたらそうならないか。
その点に関しての問題意識は、ぼくも落合さんと同意見で、根本的な問題は「明治」にあります。日本人は自分では気がつかないけれど極めていびつな「欧米」のイメージを持っています。それはハリウッド映画で日本がきちんと理解されていない。と我々が感じていることと同じ感覚です。変な漢字がプリントされTシャツ的なことです。そのイメージをまずきちんと理解しないといけません。それは海外に出て「真実を知る」ことより、むしろそのゆがんだイメージを逆手に取るということです。つまり日本的にチューニングする。ということです。日本の価値観が大きく変わった原因はいろいろあるのですが、一番は外来語を和訳する際に生じた微細なズレをこれまで150年直すことをしてこなかったことにあります。本著でも「幸福」と「幸せ」の違いや、「平等」と「公平」の違いについて書かれていますが、頷くばかりでした。「ワークライフバランス」ではなく「ワークアズライフ」が日本人には向いているということは同様のことを考えて実践してきましたが、もっとも腑に落ちる言い方でまとめられていて、ただただ感心しました。
これからの時代は江戸に戻る。ともいわれていますが、たんに江戸に戻るだけでは「階級社会」「格差社会」の再来です。まぁその仕組みもインドのカースト制度のように上手に機能している場合もあるのですが、ぼくは過去に戻るのではなく「現代の知恵を融合した発展的な回帰」が必要だとこれまで考えてきました。具体的にはテクノロジーを最大限活用して江戸期のような仕組みを作るということなのですが、落合さんは「士農工商」を復活することを提言しています。
自らを「デジタルネイチャー」であるという落合さんの本職は、哲学者ではなく「デジタルアーティスト」です。この点もおおきな関心事です。レオナルド・ダビンチは優れた芸術家であると同時に当時の最新の解剖学を熟知していました。たとえばVRの技術の革新がすすみ、仮想現実と現実の境目がなくなるのが時間の問題です。5G通信が始まれば車の自動運転や介護の現場、運送の仕事はおおきく変わります。こういった話になると確実に「仕事がなくなる」といって不安をあおる人がいますが、仕事の職種はこれまでも時代にあわせて減ってきています。現代のように「20代から60代まで同じ内容の仕事」を精度をさげずに行わせる。というのはもともと無理があります。子供にな子供の、老人には老人の仕事があるのが正常な状態です。むしろここ30年が異質であるとぼくは考えます。それに人口は減少していきます。7000万人くらいまで減れば、いまより需要は減って仕事は減りますが、働く人も減るのでそこをおぎなうためにテクノロジーを活用すれば、相対的にサービスの単価は高くなり、支給される金額も増えて、結果そんなに変わらないのではないでしょうか?それに自動運転が日常になれば、「移動」や「家」を持つという概念がなくなります。農作物は機械が管理してあるていど手間をかけなくても作れるようになるでしょうし、どこで暮らしていても5Gの高速インターネットによって格差は極めて少なくなります。車が自動運転になっていたらもはや「都心」や「利便性」は不要になり、「心地よさ」が選択の基準になるでしょう。ぼくらの暮らしている現代はこのようなおおきな時代の変革期です。落合陽一を神とあがめる必要はありませんが、彼の行おうとしていることは確実に日本を変えていきます。それはこの大人のロールモデルがない時代における「次の100年の当たり前」を見定めるための格好のモデルであるようにぼくは思います。この本は新しい時代の教科書となりえます。是非たくさんの人に読んでいただき意見が聞きたいのでやわい屋書店でも新刊を扱うことにしました。年明けに入荷予定です。