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ハートが反応するのは?

2024.08.08 05:15

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/3878683?categoryIds=577378  【ハート瞑想】

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/3974494?categoryIds=577378   【アティーシャのハート瞑想】

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/3984050?categoryIds=577378【ハート瞑想/1】

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/3983761?categoryIds=577378【ハートメディテーション】


https://oshoartunity.com/blog/archives/14556 【ハート瞑想は多くの人が待っている by トーショー】より

あるハート瞑想会での経験を参加者のひとりが書いてくださいました。

「セッションでは、自分の核であるハートにつながることができて、内から湧き出てくる温かさを感じています。私はそのままでOK.。私はここにある」この感想に多くの人の望みが表されているように思います。ハートは誰もが無意識に望んでいるものだと感じています。

最近、いろいろな場所でハート瞑想をシェアする機会に恵まれました。岩国、岡山、大阪、松本、東京などです。そして面白いことに、それぞれの場所で、参加される方々のバックグラウンドが違います。あるところでは、主婦の方々が、忙しい家事や子育て、仕事の合間を見つけて、駆けつけてくださいます。

あるところでは、毎回ハート瞑想会をするたびに参加してくださる方々がいて、それぞれのテーマが深まり、成長と呼ぶことができる動きが起こっています。

またあるところでは、瞑想を自分の生きる道として、真剣に取り組んでいる人たちが参加してくださり、深く自分の内側の気づきとつながります。

さらに別の場所では、すでにその地域で長年、自己啓発のトレーニングを積んできた人たちが、今までの経験をハートという角度から見直し、再構成される機会になっています。

そして、そのすべての場所で、みなさんは、ハートという素晴らしいエネルギーとスペースを発見するのです。

ハート。

私はハート瞑想会のたびに、なぜ自分が、ハートが好きなのかを話します。

それはハートが7つのチャクラのちょうど真ん中にあるエネルギーセンターだからです。

でも、それだけの説明では、少し分かりにくいですね。

インドのヨガのシステムでは、人間には7つのエネルギーセンターがあると言われています。

これはちょうど虹の色にも似て、人間はこの7色のすべてを生きることで、人生がカラフルで豊かになり、生きるということの可能性をすべて満喫することができるのだと考えられています。

第1チャクラは、恥骨と尾骨の間にあり、体の健康や維持に関係しています。

この中には、サバイバルに必要なことも含まれていて、お金を稼ぐことや、食料を手に入れること(農業や狩猟)、大地とつながることなども含まれます。

この体の中で生きていくという、素朴だけれども、誰の手にも触れることができるリアルな肉体の世界です。

第2チャクラは、感じるはたらきです。

この世界に触れ、味わい、自分がそこに属している実感を得るのは第2チャクラのはたらきによります。

それが人と人をつなげます。手をつなぐように、私たちのエネルギーはつながるのです。

感情もこのチャクラのはたらきです。フィーリング(感じる)のはたらきはエモーション(感情)につながります。

私たちは多くの時間、感情的に反応しながらこの世界を生きています。第3チャクラは、実現と関係しています。この世界の中で自分が望むことを形にしていく。そのための行動がこのチャクラから生まれます。

仕事では、このチャクラが元気よく働いていることが多いのです。

行動は外の世界に形を与えると同時に、自分という存在にも形を与えます。

自分と他者の関わりが生まれます。それが自我を形成することになるのかもしれません。

***

上に書いたことをまとめてみると、普段のご自分の生活が浮かんできませんか?

このように下位の3つのチャクラは私たちが日常生活を送っているとき、その大部分の要素を形作っています。

この3つのチャクラが元気よくはたらいて、自分という存在がどんどん拡張していけば、幸せに生きていけるだろうな、と感じませんか?基本的にはその通りだと思います。

幸福感をエネルギーの広がりだと考えると、エネルギーが縮んでいくよりは、広がっていく方が気持ち良く、幸福な感じがしますね。

ところが、ここで問題が起こります。それぞれのチャクラをオーケストラの楽器だと考えてみましょう。

第1チャクラは、大地の音、土の香りがする楽器ですから、ドラムとかコントラバス、低音が響くものが良いでしょう。

第2チャクラは、水のような性質です。流れるような音色なら、ギターの音色やピアノも一役買えるかもしれません。

第3チャクラは、火のエネルギーです。激しく、声高なのは、トランペットかもしれません。

どの楽器も、それぞれの能力のかぎりを表現しようとしているとします。

そしてどの楽器もほかの楽器について気にもせず、自分だけが拡張しようとしているとします。どうなるでしょう?

それぞれがあまりに違うので、もしかすると、うるさいだけの雑音になってしまうかもしれません。

何かがまだ足りないのです。ハートが必要になります。

ハートはちょうどオーケストラの指揮者のようなはたらきをします。

ハートのエネルギーは、私たちに調和を与えてくれます。

優しさや愛、喜びや感謝、ただそのままで良いという受容の感覚、時には忍耐、そして許し……。

私が、ハートが好きなのは、ハートは第3チャクラのちょっと上に存在し、いつでも届くところにいてくれるからなのです。

そして、ハートに触れた瞬間に、私たちは、そのままで良いのだと感じます。

そして今起こっているどのようなことにも、それぞれの居場所を与えてくれます。

ハートにはすべてが入るスペースがあるからです。

このハートのスペースの中で、下位の3つのチャクラはお互いどうしの間で調和し始めます。

それこそが、私たちが求めていたものかもしれません。

それぞれが元気に拡張しながら、同時に調和している。

ハートは、どの楽器も愛します。どのチャクラも、その本来のはたらきのままでハートに愛され、そのことがそれぞれのチャクラを成熟させるように思えます。

子供との間で苦しい思いをしてきたお母さんは、ハートのスペースの中で、自分にも子供にもそのままでいることを許すことができます。

そして思い出します。もともとはそのままのこの子を愛していたのだ、と。

傾聴の技術を学んできた、カウンセラーを目指す皆さんは、相手の言葉をひとことも聞き漏らすまいとして、真剣に相手と対峙します。

そこにハートが加わったとき、言葉の意味はそれほど大切ではなくなり、ただ響きの中に相手の本質を感じ、言葉は覚えていないけれど、相手とひとつになった、相手が分かった、相手の存在を感じた、と報告してくれました。

何かがゆるみ、私たちの存在の本質である、ひとつであることが2人の間を溶かします。

ハートから生活を見直すとき、私たちはすでに、十分であることが感じられます。

そのままで良い、と。そして私たちがしっかりと存在することが感じられます。

この存在の感覚は、自我を超えたものです。肉体、感情、思考を超え、私たちは自分の中に定まります。本当の中心が姿を表します。

これこそ、私が各地でハート瞑想をシェアしていて、感じる事です。

どのようなバックグラウンドであっても、みなさんは、その中心を探しているのだと。

もう一度、最初に挙げた感想を引用したいと思います。

「セッションでは、自分の核であるハートにつながることができて、内から湧き出てくる温かさを感じています。私はそのままでOK.。私はここにある」トーショー (市場義人)


Facebook田中 宏明さん投稿記事

二十代の前半 完全に引きこもり状態だった僕はアパートの近所にあった図書館に通う事が日課でした

朝から鬼殺しを一気飲みして図書館のソファーでホームレスのおっちゃん達と横並びになって

ひたすらに本を読んでいました

そのほとんどが哲学書でした^ ^

カントやヘーゲルハイデガーにショーペンハウエルバッハにモーツァルトにカンディンスキー

あ、それは違うか^ ^

まぁ、元が良くない頭で必死に煙を出しながら読んでいました

本を読むことなんてほぼなかった人生でしかもいきなり哲学書を読んだりしたのは本当に生きていることが苦しかったからです

藁にもすがる思いで人類の叡智と言われる哲学の中に救いを求めていたんですな^ ^ああ、可哀想な子😆そして結果は惨敗^ ^

むしろ、読めば読むほど頭が混乱して一度本気で腹が立って「何が純粋理性批判じゃ!」

と壁に投げつたのを覚えてます

公共物に大変申し訳ないことをしましたまぁ、それくらい意味がわからなかったんです

ただその中で一人だけ僕のハートが反応する哲学者がいましたそれはニーチェでした

「神は死んだ」で有名なおっちゃんです

それを一度京大の哲学科に行っていた友人に話すと「田中くん、ニーチェは 哲学ではなく詩だよ」と言われました

そうか^ ^であるなら詩の方が僕にとっては真実に近い気がしました

では詩とは何でしょう?

それは言語化出来ない一種の霊的な感覚を言葉にしようとする試みです

だから本物の詩人の言葉はどれだけ時間が経っても色褪せることなく光を放っています

それは普遍的な人間の感性を的確に捉えているからです

「詩は歴史に対して 垂直に立つ」と僕の好きな作家の稲垣足穂も言っていましたな^ ^

そんな僕が福井 幹さんにはじめて会った時何と詩的な人なんだ!と衝撃と共に感じたの

を覚えています

その在り方が日常にさらされているように見えなかったからです これがアーティストと

呼ばれる人なんだと感動したのを覚えています まぁ、シンプルに不思議な人だったんですね^ ^  言語ではなく在り方が詩のようだったと言ってもいいかもしれません

そしてそんな幹さんが奏でられる演奏を 聴いた時 例えようのない 静けさを感じました

その音に含まれたバイブレーションが聴く人の中に 確かに感じる「異変」を起こすのです

それを今僕の言葉で表現するなら「神の気配」が音の中に含まれていたからだと思います

神とは一種の静謐さです どこまでも広がる安らぎの感覚です

幹さんの音を通して聴く人の中にそれぞれに備わっている神性が共鳴を起こすのです

そんな共鳴を起こすことが出来るアーティストは稀だと思います^ ^

少なくとも僕が出会ったミュージシャンでも片手で数えられるほどしか思いつきません

幹さんの言葉で言えば「天才ミュージシャン」✨まぁ、本物は自己肯定感も一流です^ ^

本来なら幹さんの「音」の波動に共鳴するだけで充分なんだと思います^ ^

でも、その感覚を言語化して共有することもそれはそれでこの宇宙の豊かさの一つでもあります🌈

幹さんとの8月11日のFacebook コラボライブはそんな幹さんの生演奏もバッチリ聴くことが出来ます^ ^

それに触れるだけでも必ず「異変」が起こることは間違いないでしょう

自分で言うのも大好きですが我々の波動はとても軽くて広がりがあります

なぜって自分を深く愛しているから^ ^

そんな「在り方」に是非ライブを通して触れてみてください

幹さんがよく言われる「波動共鳴」とは理屈ではなく単純にその波動に触れることで起こります なぜなら 僕たちは同じもので出来ているからです

同じエネルギーを 源にした一つのもの で出来ているからです

それを神と呼ぶ人もいれば 僕のように「愛」と呼ぶ人もいます^ ^

我々が 我々自身の中にある 愛に気づくほどの 人生において 価値のある「異変」は

ないと僕は思っています^ ^

今参加したいと一瞬でも感じたならどうかご自分の直感を信じてあげてください^ ^

僕も自分の直感だけを頼りに生きて来ましたが自分の人生で今が一番幸せです😊

そんな感覚を少しでもたくさんの人と共有出来ればそれ以上の喜びはありません^ ^

是非ご縁のある方のご参加を楽しみにしています💓✨🌈

ハートが震える時間をご一緒しましょう^ ^そんなわけで今日は本気の宣伝でした😆

読んでくださってありがとうございます✨では皆さまも素敵な一日を🌈らぶ💓


https://www.jaw.or.jp/anzen/letter/no_127.htm 【感性と悟性】より

あなたが小学校の先生になったと仮定してください。理科のテストでこんな問題を出しました。「氷が溶けたら何になるでしょうか」という問題です。ある子供の答案用紙に、こんな答えがありました。「氷が溶けると、春になる」という答えです。あなたは「×」をつけて返しますか、それとも「○」をつ けてあげますか。

もちろん理科のテストですから、答案上の正解は「水」です。しかし、子供にとって「氷が溶けると水になる」という科学的な知識を得ることと、「氷が溶

けた暖かな陽射しの中で春が訪れる」という感受性を養うことと、どちらが大切でしょう。どちらも同じように大切なことではないでしょうか。人間はその両方の考え方をバランスよく活かして、社会で生活しているのです。しかし、現在の学校教育は感覚的で芸術的な考え方である「感性」についてはあまり力を入れておらず、科学的で論理的な考え方である「悟性」を伸ばすことに傾注しています。今回は、この感性と悟性について考えてみたいと思います。

感性とは一般的に「外界の刺激に応じて何らかの印象を感じ取るその人の直感的な心の働きであり、その人の持っている感覚器官の感受能力」をいいます。一方、悟性とは「感性とは対比関係にあり、自分の理解した諸事実などに基づいて、論理的に物事を判断する能力」をいいます。感性は「感情」や「情緒」といった人間の本質を表現するものですが、この感性を高めたり、 豊かにすることで、思いやりや気遣いそして感謝といった心が育ちます。それによって、観察力や洞察力も高める効果もありますし、その延長線上に人間性や品格が育ってくるのではないでしょうか。ところが、現在の日本の学校教育は科学的で論理的な考え方の悟性を伸ばす教育が確立している一方で、 感性を伸ばす教育はあまり確立していないのが現状です。

情報化社会になればなるほど、より科学的で理論的に説明が求められる傾向が強く、「立証できなければ認められない」というのが現在の社会のように思えます。しかし、現時点での科学水準では説明できない事象がまだまだ沢山あることも事実です。特に、こころの問題である「感性」に関しては、ほとんど科学的な説明はできない領域であり、たとえば「どのくらい怒っているのか」、「どんなに喜んでいるのか」などを定量化することは不可能でしょう。しかし、人間は毎日「笑ったり、悲しんだり、怒ったり」と感情を表現して生活していますし、科学的に証明されていなくても社会の中で生きていくことに何ら不自由は感じません。むしろ、感情を素直に表現して生きることが本来の人間の姿のように思えます。

悟性が高い人で、有名大学を卒業して有名企業に入社し出世している人でも、人間性や品格に欠ける人はいますし、逆に学歴はなくても、人間性に優れ、品格のある人もいます。これは感性の違いから生じていると思われます。現在の日本の教育方針は、感性よりも悟性を高める教育のほうが優先されていますが、そのような教育方針の中で社会ではどんなことが起こっているのか。

昨年も国会議員や弁護士や教師など、悟性に優れているはずの人たちが言葉で人を傷つけたり、人を困らせる行動をしたりする事件が起こりました。こんなことが続かないよう、国には感性を伸ばすような学校教育を早急に確立していただきたいと思います。

最後にもう1つ、中学校の英語の問題です。

February is the (s ) month of the year.  ※ 2月は1年で(    )月です。

( )の中にSで始まる単語を入れなさい。

みなさんなら、どう答えますか?正解はshortest(一番短い)です。Second(2番目の)と答えた方は頭の中が「悟性優先」になっています。もう少し「感性優先」で物事を考えてみましょう(終)。