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じゅんじゅんの日記帳

とおるさんのこと。

2024.08.11 13:37

いつも通り、弾き語りでのライブを終え、ギターを片付ける。

さあいざビールを呑むぞ!と、ドリンクカウンターへ。

突然、私の眼前が暗くなった。

はて、と、目の前の障壁がなんなのかと見上げてみると、つよい剣幕と思われる男性が立ちはだかっていた。

なぜ、"つよい剣幕と思われる"、と表現を濁すかと問われれば、155cmの私が見上げる長身のその人物は、昔のハードボイルド映画の主人公のような、ティアドロップのサングラスを掛けていたからだ。

眉頭をグッと真ん中へ寄せ、こちらを見下している。

これは、真っ黒なレンズ越しにでも分かる。

あれだ。

メンチを切る、というやつだ。


私のライブのなにが気に食わなかったのだろう。

完全に面食らって、ひええ、と縮こまり、ただその整った二枚目の顔を見上げていた。

一発触発かと思い息を飲むと、圧の割にかわいらしい、ちいさいおちょぼ口が動いた。


「おまえ、巨根だろ?」


一瞬、なにを言われたのか、まったくわからなかった。

なんだって?きょこん?

そうか、私がハスキーなうえに、酒焼けの声でがなり散らしていたから、男の人だと勘違いしてしまったにちがいない。


「わたし、女です。ついていないんです。」


と、誤解を謝罪するようなニュアンスも含めておずおずと述べると、その男性は、


「いいや!巨根だ!!!」


と、突っぱね弾くように反論した。

私には、何がなんだかまったくわからなかった。

ただただ困惑している私に、サングラス越しの眼光をギラつかせ乍ら、


「おまえは!!巨根だ!!俺にはわかる!!!」


と、低く色気のあるその声で今一度、力強く言い放った。

それが、とおるさんとの出会いだった。



私に嫌悪感があるわけではないようなので、ライブ終演後、少々びびりながらも、話をした。

なんでも、私の唄に衝撃を受け、彼には私の心に在る男性器が見えた、というのだ。

そして、それはそれはとても、立派であった、のだと。

それが今し方の、

「おまえは巨根だー!!」

の真相であった。

目に見える世界を基盤とするのであれば、かなり飛躍した話ではある。

が、言わんとしていることは理解できるし、私の認識に齟齬がないとすれば、それはとてつもなく、嬉しいことだ。

ありがとうございます〜!と、にへらにへらビールを煽った。



とおるさんは、ベーシストだという。

浅黒く、引き締まった肌に、180程の長身、老若男女だれもがかっこいいと言うだろうけれど、気安く近付くのは憚られるような、不思議なスター性が感じられた。

レッサーパンダが両手を挙げて、ガオオ!と大きく魅せようとするような、己のコンプレックスを察せられぬよう躍起になる人間も多く見てきたのだが、とおるさんのそれは、本人天性のものと感じられた。

劣等感由来ではない、しっかりとした、確信をもったプライドが伝わってくる。


とおるさんは、ゲイだという。

出会ったその日に激白してきた。

秘密を打ち明けるというよりは、おれはこうだから!と、「此の紋所が目に入らんか!?」とまでは言わないが、己が道であると海を割るモーゼのような強さがあった。

俺はこうだ、じゃあ、あんたはどうするんだ?といわれているような感覚がした。

私は、とおるさんがゲイと聞いて、ますます興味が湧いたし、その時点で、この人大好きだ!と思った。


とおるさんは、いつも私のことを褒めてくれる。

「おまえの歌声はとんでもねえ!」

と、独自の言葉と視点で讃えてくれる。

それまで、ライブハウスで褒めてくださったお客様、思いの丈を伝えてくれた共演者、だれからのどんな言葉も本当に嬉しかった。

けれどもその中には、私の気を引こうとするような、私を利用して何かを得ようとするような、即ち、先の報酬を見越した、謙り媚を売るような人も、少なからず、いた。

それが悪しきかと問われればそうも言い切れず、ゼロ100ではないし、私だって、そのパーセンテージを、少なからず所持しているのだとおもう。

なにはともあれ、とおるさんの言葉からは、その成分のにおいがしなかった。


とおるさんは、釣り竿の浮きみたいに、水面のうえをぷかぷかと、足元が不安定な中、認めてくれているような感じがした。

それは、私の目線や体勢に合わせようなんて、姑息なやつではなかった。

私も、釣り竿の浮きだったのだとおもう。

とおるさんも、私も、お互い水面に漂い、翻弄され乍ら在る、釣り竿の浮きであったのだとおもう。

自分の足元だって定まっていないのに、確信をもって、リスペクトしてくれた。

信号を送ってくれた。

旗を挙げる時、その身を安定させるひとつが留守になる。

即ち、危険に晒される。

それでも私にアクションしてくれたとおるさんは、絶対に手放してはいけない人だったといまだにおもう。

身を挺しての、敬意。

これ以上心強く感じ得る所以が、ほかにあるのだろうか。


とおるさんに萎縮したのは、結局、出会った初日だけだった。

笑顔をめったに見せないとおるさんだったけれど、彼の顔に刻まれた心が、すごく誠実で、とても美しかったからだ。

本当にたまに、ぶはっと吹き出してわらったけれど、人に見せるための笑顔ではなかった。

街中の整えられた街路樹ではなく、サバンナでみだれ伸びる森林みたいで、私は、とおるさんがわらうところに居合わせられて、嬉しかった。

私は、私を許容してくれる、私に好意をもってくれているとわかった人間には、光の速さで急接近する。

とおるさんとは、たくさん話をしたし、よくお酒を呑み交わした。


お金がないというとおるさんと、同じく、お金があんまりない、私。

うちで呑もうよ!と、当時ルームシェアをしていた中野坂上のアパートにお招きした。

我が家へ向かっているというとおるさんはすでに酩酊しており、電話で話をしても、どこにいるのか不明瞭だった。

私は寝巻きのままアパートを飛び出して、とおるさんがいるであろう方面へ駆け出した。

よろつくとおるさんを無事発見且つ回収し、我が家へ招いた。

私の大好きな格安日本酒まるの2リットル紙パックをお互いの真ん中にドデンと置いて、日本酒を呑むには適していないであろうコップに互いに注ぎ合ったり、手酌したりして、夜を明かした。


私の部屋は、ベッド以外家具がなかったので、フローリングの床にあぐらをかいて、向かい合って、まるを呑み合う酒相撲。

なにを話したのか、明確な一語一句は覚えていないが、とても人にはいえないような、たいせつな話をしてくれたのは覚えていて。

私も、それに応戦するかのように、赤裸々な話をいろいろとした。

私が今までの恋人との揉め事などを話すと、

「俺が行ってやろうか?」

と、とおるさんが、まるで飼い主をまもる犬みたいに、憤りを示してくれたりもした。

ありがとう!大丈夫だよ!と返した。

そんな風に想ってくれた、想い入れてくれた。

その心だけで、私は返しきれないほど、うれしかった。

全くちがうところでうまれた呪詛が、距離も時も超え遠く遠い地で、報われた気がした。

恨みつらみは、空に、海に、還そう、とおもった。


意気投合したとおるさんと私は、

「いっしょにライブをやろう!」

と話をして、具体的な日にちを決めた。

とおるさんは、私の『スタンガン』という曲が大好きだと言ってくれて、じゃあスタンガンを一緒にやろうよ!という話になった。

一回、スタジオにはいった。

いいかんじだね!と言い合い乍らも、私の心の中にはちいさなささくれがあった。

それを、そのままにしてしまったのが、全部の間違いだった。


ライブ当日、ステージで最後の曲、『スタンガン』の時に、とおるさんを呼び唄う流れになった。

私も記憶が非常に曖昧だが、いざ演奏を始めたとき、私は、とおるさんに、息もできないくらいの眼光を向けた。

それはそれは、とてもきついものだったと憶測するし、確信出来得る。

なぜか。

私の理想と相違していたから。

私は、己のパーソナルスペースとなると、途端に、非常に、きびしくなる。

許容の幅が、普段とは天と地くらい、いや、もっとちがう。

こと、自分の表現、音楽に関しては、特に。

ゆるせなかった。

私のこだわりが発動し、とおるさんに、想像を絶する念を送ってしまった。

今思えば、私が、とてもとてつもなく、子供であったのだ。

スタジオで具体的に言い出せなかったのは、自分の器がちいさいこと、面倒くさい人間であることを認めたくなかったからだ。

とおるさんにきらわれるんじゃないだろうかと、口を噤んだ結果が、それだった。

因果応報だとおもった。

とおるさんはなんにも言わなかった。

私も、ただただ、黙っていた。


その日から、とおるさんとは連絡をとらなくなった。

言葉にできないことをなんとなく察することができるが故に、言葉で擦り合わせることもしなかった。

きちんとユニットを組んだわけではないから、きちんとしたお別れが必要なわけでもなかった。

不完全燃焼とも言えるこの最終形態が、ずっとずっと、私の心のなかにある。

とおるさんは、どうおもっていた?

どうして、それに対して、訪ねなかった?

お互い日本語が通じる、おはなしできる、その奇跡的な状況で、なぜ。

なぜ。

擦り合わせたその先で、この人を否定してしまうのがこわかったんだ。

私のせいだ。

とおるさんのせいだ。

せかいのせいだ。

ぜんぶぜんぶ、ぜんぶ、のせいだ。


仕事を終えて、世帯主のみの、わたしの部屋に帰る夜。

いま玄関を開けたとき、とおるさんがおかえりって言ってくれたら、どんな気分がするのだろうと思って、想像してみたりしてみる。

ハードボイルド映画の主演を張っても違和感がないであろうダンディなとおるさんが、エプロンを付けてフライパン片手に、おかえりと言う。

なんだか、ちょっと、おもしろい。


「おれと住むか?」


ふざけてか、まじめになのか、駄菓子みたいな感じで、とおるさんがまるを呑みながら言った。


「でもやっぱり、わたしは変なところで頑固だったりするし。とおるさんも、筋通さないと、許せないタイプだしなあ。」


そんな、具体的な懸念点が挙げられる程度には、近しい存在だったのだよな、と気付く。

侘しいような、愛おしいような。

エゴとロマンとのあいだで、私はすこし自分に、過去に、酔う。


今夜はコンビニで、"高知県産ゆず使用"と銘打たれたうどんを買ってきた。

すごく昔に別れた恋人の出身地が高知県だという理由で、買った。

いざ実食!と意気込むも、自前の鼻炎が悪化していて、ゆずの香りは1ミリもしなかった。

今更、どうにもならないよな。

今更どうにもならないからこそ、ひとりぼっちの夜の海、たらればの世界線のふちをゆらゆらと漂う。

それでいい。

それが、いい。

瞼がひらいているから夢じゃないだなんて、いったい、だれが定めたというんだ。

目を覚ませ、ここからが夢だ。

現実を吸わされ過ぎて、いまの私もわすれてしまうよ。


博愛のうたを歌いたいし、パブリックにアプローチしていくのであれば、恋人や大切な個人への溢れんばかりの感情は、後にすべきだと思う。

だけれど、私の生み出すものは、いつもつよくて、特定の個人的で限定的で、それらとは、地の果てくらい、遠くて。

ごめんなさいと絶望の狭間で、だから私は、あきらめない。

ミクロをどこまでも鮮烈に追いかけて、やがてマクロに出会える日を夢見て。

ぜんぶ抱きしめられますようにと、ヒリヒリした記憶を引き摺り出す。

とおるさんは私であったし、私はとおるさんで、すべてのあなたが、私であなたで。

絶望を、あきらめない。

今夜も、鮮烈に、いきるをする。