蓮に浮かぶ夢
https://nenemu8921.exblog.jp/14682879 【蓮】より
(略)
「こわいことはないぞ。」微かに微かにわらひながらその人はみんなに云ひました。
その大きな瞳は青い蓮のはなびらのやうにりんとみんなを見ました。
みんなはどう云ふわけともなく一度に手を合わせました。(略)
童話「ひかりの素足」
ハス(ハス科ハス属)ハス
鬼に追い立てられる一郎や楢夫たちの前に、如来寿量品という言葉とともに現れた大きなすあしの人。
明らかに仏陀のイメージである。その人の瞳に例えられた青い蓮の花のはなびらだ。
蓮の花といえば、仏典のイメージが強い。
法華経に帰依した宮沢賢治であれば、蓮の花は作品にたびたび登場すると思ったら、そんなことはない。
蓮の花は、この一例と以前ご紹介した浮世絵中の描写があるだけである。
宮沢賢治という人はやはり独特である。
青い花のイメージを強調して撮影してみた。
千葉公園で蓮が見ごろだと新聞に出ていたので、行ってみたのです。
雨が降りそうで、降らなかった一日。
トンボの名前ご存知の方教えてくださいね。
蓮の撮影は早朝がよいそうで、散り始めた花もありました。
https://ameblo.jp/gantzu-1109/entry-12695309736.html 【* 蓮に浮かぶ夢 *】より
泣きたい心は蝉にあずけて 私はすました顔をする どこにいくかは電車にまかせて
知らない駅で降りましょう
お寺や公園の池に 水面からすうっと持ち上がるようにして咲く蓮の花の間に
ぽこんと水の玉が葉のまんなかにたまっているのを見かけると ああ
夏がめぐってきたんだなとつくづく感じます
【 蓮 】
七月〜八月に白やピンクの花を咲かせます ハス科
ひさかたの雨も降らぬか 蓮葉はちすばに溜まれる水の玉に似たる見む
よみ人知らず 万葉集 巻十六・三八三七
雨が降らないものでしょうか 蓮の葉にたまる水が 玉に似てきれいなようすを見たいものです と『万葉集』に詠われているのを知ったとき昔から葉にたまる水が好まれてきたんだ とうれしさを覚えました
水面から空中へと伸びた茎の先に ふくらみを帯びた花びらを何枚もひろげて蓮の花は咲きます そして同じく水のなかから伸びる茎が 円形の葉を掲げます
蓮の葉が水の玉をはじくのは 葉の表面が微細な 凹凸状になっているからだそう
そのおかげで 葉が水に濡れずに済んでちゃんと呼吸することができます
ふくよかな花はもちろんのこと 水面にひろがる蓮の群れや 葉に浮かぶ水滴など
蓮ならではの光景に心が浮き立ちます
すぼめた両手をやさしくひらくように 咲いたかと思うと 夏のほんの三、四日の間に散っていく花 夜明けに蕾が初めてひらくと その日の昼にはまた閉じます
二日めも夜明けに咲きだしますが 午後にはほとんど閉じてしまいます
そして三日めは 夕方まで花ひらいているものの 午後から外側の花びらが落ちていき
四日めの午前中には花の命を終えます
夜の蓮に婚礼の部屋を開けはなつ 山口誓子 (やまぐち せいし)1901年〜1994年 俳人
俳句雑誌『ホトトギス』の黄金時代を築いた四Sの一人
のちに『馬酔木』に参加し新興俳句運動の中心的存在に花ひらく早朝の水辺ではなく
星や月を映す夜の水面の蓮に思いを馳せる句です
閉じた蓮の花と 開けはなたれた婚礼の部屋 夫婦になる男女と 眠る蓮の静けさが
添い重なるように感じられます
泥のなかから咲いてなお 汚れを知らない花として 蓮は古代インドで尊ばれ
数々の詩に歌われ 仏教では慈悲の象徴とされてきましたたとえば法華経のことを
妙法蓮華教というように仏の深い教え(妙法)を蓮の花(蓮華)にたとえています
俗世にまみれながらも清らかに生きることを願った人々にとって蓮の花は理想の姿に映っただろうと想像します
また一方で蓮には暮らしに溶け込んだ身近な面がありけっして崇められるばかりの遠い存在ではありません
沼の蓮葉さへ花さへ売られけり 小林一茶 (こばやし いっさ)1763年〜1828年 江戸時代を代表する俳諧師 その作風は平易でユーモラスでありつつ 味わい尽くせぬ余韻を残します
この一茶の句のとおり 蓮は葉も花も立派な売り物 葉は漢方薬にしたり お盆には大切な飾りに使ったりします
花は観賞用のほか ハス茶というお茶🍵にもなったとか
蓮には小さな穴がいくつも空いた花托かたくが 花の中心部分にありますがそのその花托のなかにある種は果実として食べることができます
そして蓮の根っこ(地下茎)は 蓮根 栄養があって おいしい冬の根菜です
ちなみに蓮という名前は 花托が蜂の巣に似ていることから ついたそうです
はちすと昔呼ばれていたのが縮まって「はす」
ほかにも蓮の花や葉にはそれぞれ名前があり 花の古名は芙蓉 葉は漢方では荷葉かよう
さらに葉を種類によって呼び分け 水面に浮かぶ葉は浮き葉 水上で茎一本に持ち上げられた葉は 立ち葉といいます
冬の蓮池を訪れると枯れ姿のなかにあらわになった蓮の花托がちらほら見られますが寂しい光景というばかりでなくはちすと呼ばれ 蓮の名前の由来となった姿は 夏の名残りのようで
侘びた趣きを感じさせます
ところで蓮と睡蓮の見分け方を知っていますか?睡蓮の花は水面に咲き蓮の花は水面から高く伸びた茎の先に咲くという違いがあります
また睡蓮の葉は水面にひろがって浮かんでいますが蓮の葉には水面からふわっと持ち上がった
立ち葉があります(浮き葉もありますが)とはいえそうした区別はあくまで目安に過ぎません
たとえば南国にはティナという熱帯の睡蓮が咲くのですが水面から伸びた茎の先に花を咲かせます
あざやかなピンクやヴァイオレットで花全体に陽光が満ちあふれているような明るい花です
蓮にしても睡蓮にしても地を離れて水面に浮かぶ姿はどこか幻想的でいくら眺めても見飽きることがありません
そして涼やかに咲くさまは暑い季節の一服の清涼剤でもあります
七十二候では七月半ばに蓮始めて開くという季節が訪れます
寺へ着くと子供が蓮はすの花を持って来て 鼻の先につきつけるようにして 買え買えとすすめる 貝多羅ばいたらに彫った経を すすめる老人もある
旅日記から📖寺田寅彦
・・・・・・身に沁しむもののあわれさに我ながら袖も墨染となって蓮の葉に迎えようとしたと後に話したというのは当にならぬ
雪柳📖泉鏡花
ゆき子は蓮つぱに笑つて 浴槽のふちへ両手をかけて 泳ぐやうなしぐさをした
腕もいくらか太つて すべすべした肌になつてゐる
浮雲📖林芙美子
十人は翡翠ひすいの蓮の花を 十人は瑪瑙めのうの牡丹の花を いずれも髪に飾りながら
笛や琴を節ふし面白く奏しているという景色なのです
杜子春📖芥川龍之介
ナオミの態度も 人をそらさぬ愛嬌はあって蓮蓮ッ葉ではなく 座興の添え方やもてなし振りはすっかり理想的でした
痴人の愛📖谷崎潤一郎
一枚開けた障子の隙から 漆のような黒い水に 枯れ蓮の茎や葉が一層くろぐろと
水面に伏さっているのが窺のぞかれる
雛妓📖岡本かの子
「こはいことはないぞ。」微かに微かにわらひながらその人はみんなに云ひました
その大きな瞳は青い蓮のはなびらのやうにりんとみんなを見ました
ひかりの素足📖宮沢賢治
月の夜の蓮のおばしま君うつくしうら葉の御歌みうたわすれはせずよ
みだれ髪📖与謝野晶子