人間観察
江戸川乱歩の小説の題名のようなタイトル「人間観察」とは、打って変わり…それは、「人間椅子」か…。昨日、20年来の男子友人と飯を食べながらしゃべったのだが…自分で言うのもなんだけど、僕自身を形成してきたものや趣味が異常なまでにコア過ぎるので…話の内容から色々な知識に差がつき過ぎてると感じてしまった。(本来なら仕事に活かさなければならない。)
生きてくため・勝ち抜くための知識は、すこぶる物足りないけれど、どうでもいいような蘊蓄やらコダワリに関することなら有り余るほどのことで脳みそのHDDに格納されている。
正直、お店に買い物に行っても…店員よりも商品知識があったりして、逆に教えることがしばしばあるが…そういう行為に溜め息を吐きながら…心の虚しさを感じてしまう。
自己満足な世界で満たして、「幸福感」を感じているはずなのに…何か物足りない虚無感に襲われる。故に、あまり他者とは比較していないつもりだったけど…それ自身に何か意味を成すのかという葛藤に苛まれてしまう。
自意識過剰なのか異端であり続けながも優越感に浸っているだけの虚しいまでの「僕の個」…なんだか更に一皮剥かなければならないようだ。
そうして…不肖な私ながら、ギブアンドテイク出来る人と少しでも多く出会い「燻し銀の40代」を過ごし、その後の人生の布石としていきたい所存である!
なんだかコダワリの強過ぎる生き方をしているがために、不器用なのかも知れません。寧ろ「無」の部分に水を注ぎたい衝動に駆られてしまい何かに負けるのが嫌なんです。
不器用ながらも沢山の彩りに変えられるように修業を重ねる日々を過ごします!↓ブログランキングに参加しています。
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