コーヒー教室には参加しなくていい
過激なタイトルですが笑
『コーヒー教室』『コーヒーセミナー』『コーヒーの淹れ方教室』
星の数ほどあるコーヒー屋が、毎日のようにさまざまな教室?を開いてます
かくいう自分も過去に数回開催してます
でもやめました
やめた理由は
ある時、受講者の1人の方が
『こないだ習ったのと違う』
と言われたからです
『違う』という言葉には、『正しい』か『間違っている』かの2択が含まれています
これを聞いた時
(怖いな)
と感じたからです
そもそもコーヒー屋がなぜ教室やセミナーを頻繁にやりたがるか?
それは自分の店のファンを増やし、自分の店の信仰者を増やして売上を伸ばしたいからに他なりません
もしくは簡単に直ぐお金を集めれる
いかに美辞麗句を並べても、本意はそこです
そして家で美味しいコーヒーを飲みたいというお客様のニーズと合致して教室が成立するわけです
でも、良識のある店主ならば
『これは私のやり方で、10人のコーヒー屋が居たら10通りのやり方があるので、その点は間違い無いように』
とか前置きがあるはずです
これが
『この通りにやれば、必ず美味しく淹れれます!』てな感じになると、もうオカルトや宗教の世界になってしまいます
前述の受講者様はおそらく後者のコーヒー屋から教わってしまったのだと思います
それなら疑うことなくその通りにやり続ければ良いのでしょうが、その手の方は必ず別の教室にも顔を出されて、自分の信じてる作法と違うと批評されます
そこに怖さを感じてしまいました
何気なく、受講者様たちのために良かれと思って伝えたことが、その方たちにとってはバイブルになってしまう
それ以外のものは排除するような宗教になってしまう
怖いですね
コーヒーは自由です
妻が1人で移動販売を頑張っていた頃、彼女が常に言っていたのは
『ミルが無ければ何かで叩いてでも豆を砕いて淹れる。秤がなければ目分量と手で持てば量は分かる。それでも美味しいコーヒーを淹れる自信はある。』
そういうものだと思います
決して精神論では無く、日々の生活の中で身についたもの
豆の粒度は見て触ればだいたい分かる
豆の量はドリッパーに入れて持てばだいたい分かる
母が忙しい毎日の中、家族の料理を作るのに、食材や調味料を一つ一つ秤で測ってますか?
確かに昨日と今日では少し違う味かもしれない
だからどうした
プロとして料理にお金を頂いているなら、毎回味が違うのはダメですが笑
家で淹れるコーヒーもそれと同じだと思います
コーヒー教室に行くと、必ず言われるはずです
『美味しく淹れるには、とにかく全て測ってください』
豆の量、コーヒーの量、さらにはお湯の温度まで
あなたが教室で本当に教えて欲しい答えはそれですか?
朝の忙しい時に、イチイチ秤で測れますか?
3分間つきっきりでコーヒー淹れますか?
キャンプに行って、わざわざ秤でコーヒー測りますか?
違いますよね
本当に教えて欲しいのは
どうすれば今あるもの『ドリッパー、ドリッパー付属の計量スプーン、ヤカンやポット』だけで美味しく淹れれるか!?
ですよね
今のコーヒー屋は、それだけの道具でコーヒーを淹れることが出来ないんです
だから教えれないんです
『測ってください。それが答えです。』
としか教えれない。
私がそうでしたから
昔から続いている喫茶店のマスターは、秤で測りながらドリップなんかしてません
『カッコ悪い』から
だから、家で美味しいコーヒーを淹れる方法を学ぶ目的で、巷のコーヒー教室に参加する意味は無い
その証拠に、参加者のほとんどは家でそのやり方を実践してないと思います
全てはお客様に寄り添ってない私達コーヒー屋の責任です
実際、それだけの道具で店で出すようなコーヒーを淹れるようになるには?
難しいですが、お客様に寄り添った方法を教えることができるよう現在研究中です!!
何かひらめいたら、もちろん無料でお教えしますね♪