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凸と凹マガジン

凸と凹「登録先の志」No.32:本間多香美さん(NPO法人U-mitte 代表理事)

2024.08.14 00:00


今日、明日とこの子は生きていけるのかと絶望


15歳と13歳の子どもと一緒に北海道帯広市に住んでいます。上の子が出産する時のトラブルで寝たきりの状態になってしまい、スペシャルな子育てをしています。子育てで困ったことをたくさん経験しましたが、同じような子どもたちやお母さんたちに勇気をもらい、また自分の家族の協力もたくさんあったので、恩を返していきたいという気持ちで、思いに賛同してくれた看護師さんや保育士さんらの仲間と一緒に事業所を立ち上げました。

上の子が生まれた時は祝福ムードも一切なく、今日、明日とこの子は生きていけるのかという状況で絶望しました。医療的ケアが必要なのでケアしないといけないし、家計を支えたくて仕事をしたくても、預かってくれるところがありませんでした。家でずっと二人で過ごす日々でした。兄弟がほしいなと思った時に、夫婦二人では手が足りなくて難しかったため、祖父母と同居しましたが、祖父が病気になってしまい、祖母は孫たちの世話と父の介護の両方を対応するようになりました。

この子に活かせる社会資源が本当に乏しくて、保育所に預けたくても医療的ケアが必要で叶いませんでした。市が実施していた母子通所事業「ニコニコルーム」に駆け込むような形で、自分と同じような状況の仲間と出会いました。お母さんたちが笑っていないと、子どもたちも元気になれないと思い、お母さんの笑顔をつくっていこうと決めました。


介護生活の中でも、幸せや家族の絆を感じる瞬間がある


介護をしていると、この介護はいつまで続くのだろうという絶望感があります。命がいつ消えてしまうのかという恐怖もあります。そんな中でも幸せを感じたり、家族の絆を感じたりする瞬間があります。ときどき見せてくれるかわいい笑顔をずっと見ていきたいという思いを、みんなで大事にしていけたらと思っています。

我が子を通して、どんなに障がいが重くても、成長していく姿をたくさん見てきました。そして、子どもは子ども同士で成長していきます。そんな姿をより多くの方に知っていただきたいという思いがあります。障がいのあるなしに関係なく、すべてのお母さんや子どもをサポートできる世の中にしていきたい。安心して子どもを生み育てられる状況をつくりたいと考えています。


今変えなければ、普通の暮らしを当たり前にすることが一層困難になってしまう


我が子の寿命は医学的に10歳ぐらいだと思っていました。10歳になるまでは明日はないかも知れないと思い、「毎日をスペシャルにしよう」と日々込めて生きることを大切に過ごしてきました。

10歳を無事迎えて元気にいてくれる。嬉しかった。でも、この笑顔をどう守っていったらいいのだろうと考えた時に、これは私や家族だけの問題ではないと思うようになりました。帯広市の人口は約16万人ですが、医療的ケア児として想定される人数は団体設立当初20名ぐらいでした。そのご家族が今抱えている困難を解決していきたいし、成長した先には、医療的ケアが必要な成人を受け入れる事業所が圧倒的に足りない「18歳の壁」という問題もあります。今ここで何かを変えなければ、普通の暮らしを当たり前にすることが、一層困難になるのではないかと感じました。

親たちは子どもの命の重みを肩に乗せて、日々緊張した状態で生活しています。その重責から少し離れてお休みを取れるような時間や、家族の笑顔が保てるような暮らしが必要です。

北海道には重症心身障がい児や医療的ケア児が札幌市を除いて、400人弱います。その子どもたちが18歳に移行していくと考えると、今ない支援をつくっていかなければと思っています。


取材者の感想


「出産」という言葉を聴いた時、多くの方が「おめでたいこと」と思うのではないでしょうか。出産直後に祝福ムードも一切ない状態だったことは想像できないと感じました。ご自身の経験からすべてのお母さんや子どもをサポートしていきたいと立ち上がった姿は、本当にかっこいいなと思います。

「どの子もみんなかわいく見える。みんなが我が子のように思える。健常の子も医療的ケアが必要な子も等しくかわいい」と笑顔で語る多香美さんと出会えたことで、救われたお母さんがたくさんいると思います。そして、これからもたくさんの親子が救われていく様子が想像できました。(長谷川)


本間多香美さん:プロフィール


NPO法人U-mitte 代表理事

1997年に北海道女子短期大学保健体育科養護教諭コースを卒業後、美容業界でカウンセリング業務や管理職として従事し、2008年に結婚、出産のため退職。同年12月に出産した第1子が、出産時の低酸素で重度の脳性麻痺となる。10年に第2子を出産。18年、医療的ケア児ときょうだい児の子育ての困難さと、将来に不安を抱くようになった頃、社会福祉法人ふれ愛名古屋理事長の鈴木由夫氏と出会い、「なければ創ればいい」を合い言葉に重症児デイサービスの立ち上げを決意。現在NPO法人U-mitte(ユーミッテ)の代表理事として重症児デイサービス「プエオキッズ」と重症児者デイサービス「プエオウイング」を運営し、重症児者とその家族を支援するための活動を行っている。




NPO法人U-mitteは、凸と凹「マンスリーサポートプログラム」の登録先です。