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終戦記念日

2024.08.15 07:27

FacebookKNOB ノブさん投稿記事

79年前 日ノ本の地は戦火に包まれ多くの尊きいのちが消えてゆきました。

今 自分事として想像すら出来ないような激しく過酷な時代を超えての今昨日は千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて今朝は世田谷観音の特攻観音堂で慎み献奏をさせていただいてまいりました。

終戦 終戦 終戦 真なる平和を願い 平和を生かせていただく 覚悟を定め ひとつひとつ 日常の 目の前の今から 平和を 先人の御霊に 慎み 感謝と 平安を祈ります。合掌 KNOB拝


Facebook田中 宏明さん投稿記事

災害や困難を避けようとするのではなく 災害や困難に例え見舞われようとも

自分自身でいられる強さを養いましょう^ ^らぶ💓


Facebook細川 卓哉さん投稿記事

基本的に災いなどは起こらない。

起こるとしたら多くの人の集合想念が一定の力を帯びたときに起こります。

例えばできるだけ詳しい日時を集団にイメージさせたりすると、それが不安感や恐怖感の集合想念となり実際に災害を引き起こします。

たとえでたらめな日時でも、全員が意識をすればそれが引き金になって、天災やテロがその日時に向けて新しく創造されるのです。

これは予言や予知ではなく創造行為です。

心配する多くの人の意識の力で創造しているだけなのだと言うことに気づいてください。

テロや天災はいつ頃発生するのだろうかとイメージして心配している人たちは、私たちの霊的な世界から見たら、なぜあなた方はテロや天災をそれほどまでに愛して育てているのですか?と話しかけたくなります。

なぜもっと平和で幸せなイメージを、集団の中に、文明の中に投影していかないのでしょうか

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『空海の謎と日本人への金言』より抜粋  ちかみつ著@


Facebooik玉井 昭彦さん投稿記事

(天声人語)死者の声を聞く8月15日

 名優として知られた森繁久弥さんは戦中、旧満州の新京放送局に勤めていた。日本の敗色が濃くなったころ、関東軍の極秘の命令で、特攻隊員の遺言を残す仕事をしたそうだ。ポロポロと涙を落としながら、60人ほどの若者たちの勇壮な言葉を録音したという。

「青い海の底で」と題する一文に、森繁さんは記している。そのなかにひとり、おそらく永久に忘れられない隊員がいたと。長い沈黙があったのち、白皙の若者はマイクに向かって、重い口を開いたそうだ。

お父さん。いま僕はなぜだか、お父さんと一緒にドジョウをとりにいったときの思い出だけで頭がいっぱいなんです。何年生だったかな。おぼえてますか。弟と3人でした。鉢山の裏の川でした。20年も生きてきて、いま最後に、こんな、ドジョウのことしか頭に浮かんでこないなんて……。

ポツンと言葉がとぎれてから、若者は言った。「何だかもの凄く怖いんです」。ハッと胸を刺されるような響きがその声にはこもっていた。

「僕は卑怯かも知れません…ね…お父さんだけに僕の気持を解ってもらいたいん…だ」。

あの戦争で、多くの人が死んだ。敵も味方も。兵士も民間人も。女も男も。なぜ彼らは、彼女らは、死ななければならなかったのか。それは避けられなかったのか。誰のせいか。何のためか。

どこかの青い海の底で、あの若者はいまも、死の恐怖に魂をおののかせている気がしてならない。森繁さんはそう書いた。きょうは、79年目の8月15日である。

朝日新聞8月15日


Facebook斉藤 一治さん投稿記事「18歳の回天特攻隊員の遺書」

お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。胸は日本晴れ。本当ですよお母さん。少しも怖くない。しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。それは、今日私が戦死した通知が届く。

お父さんは男だからわかっていただけると思います。

が、お母さん。お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのでありませんか。

弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。

お母さん。こんなことを考えてみましたら、私も人の子。やはり寂しい。

しかしお母さん。考えて見てください。今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。戦争はこの日本本土まで迫って、この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。

母さん。今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで、銃をとるようになりますよ。だからね。お母さん。今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。でもやっぱりだめだろうな。お母さんは優しい人だったから。

お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。私が一番怖いのは、母さんの涙です。


Facebook杉山和彦さん投稿記事

2013年10月13日に94歳で亡くなったマンガ家で、詩人で、『アンパンマン』の作者であるやなせたかしが、自らの戦争体験を綴った本。

やなせは1915年の春に召集を受け、小倉の野戦銃砲部隊に入隊。召集期間満了直前の16年12月8日の開戦により、召集延期に。

その後、中国戦線に派遣され、上海郊外で終戦をむかえた。

やなせは自伝などの中で簡単に戦争のことを語っているが、戦争体験だけをまとめて話すのは、これが初めて。

人殺しも、団体生活も嫌だったというやなせにとっての軍隊は、ばかばかしいだけの世界。

しかし、辛い中にも何か楽しみを見出していく持ち前の性格で、戦争と軍隊を内部から風刺していく。

特攻に志願した弟との別れなど、辛く悲しい思い出にも持ち前のユーモアを交えながら語る笑いと涙の戦記。

嫌いな戦争のことはあまり語りたくないと考えていたやなせが、90歳を超え、戦争体験、軍隊体験を語り継ぐことで、

過去の戦争のことが未来を生きる世代の記憶に少しでも残ればいい、と亡くなる直前まで語ったラストメッセージ。

https://www.youtube.com/watch?v=oPnOrhohFkI

https://www.youtube.com/watch?v=7z7iVq_oFDY