Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

Baby教室シオ

偉人『多くの先人にレクイエムを』

2024.08.16 00:00

昨日は戦後79年目の終戦記念日を迎えた。今回は先の大戦だけでなく現在も続いている戦争や内戦、紛争で命を落とした人々にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『レクイエム』を捧げる。世界にはロシアのウクライナ侵攻の他にイスラエルとパレスチナ問題だけではなく、今も尚続くアフガニスタン紛争、クルドとトルコ紛争、シリア、イラク、リビア、イエメン内戦などあるが私たちはその戦争や紛争内戦を対岸の火事として認識しているであろう。抑止力のために核兵器を持ち、軍事費を増長し沖縄では辺野古基地の建設、そしてに某国による度重なる海洋侵犯、北方領土や竹島の問題を抱えているにも拘らず素知らぬ顔で終戦記念日を迎えることに疑問を持つ。私の考え方も状況を見て多少変わるのであるが、基本平和主義者であり世界の動向が先の大戦直前のような辿りはしないか一抹の不安はある。常に考えるのはなぜ人間は同じ過ちを繰り返し舌の根も乾かぬ数世代の間に状況が深刻化するのか疑問を感じる。そこで今回は万人に受け入れられる音楽を作った天才モーツァルトの最大の才能で戦争への抑止力になるのではないかという3つの能力を重ね合わせながら平和について新たな結論を見出してみる。

『感受性』という言葉をよく耳にするが、この言葉こそが最大の争いの抑止力になると考える。感受性とは・・・他人の感情をまるで自分自身の感情のように感じることであり、人の心の痛み悲しみ切なさ苦しさに加え喜びなどの感情も我がことのように感じ、人の心情に寄り添うことができることである。モーツァルトは子供の頃から感受性が高く、自ら経験せずとも人の痛みや喜びなどの感情が理解でき、その思いを作品に投影できる才能の持ち主であったと言われている。だからこそ多くの人々が彼の作品を受け入れていると言えるのだ。このモーツァルトのような感受性を磨くことにより相手の立場を理解することができれば、争いや武力行使ではなく相手を思う気持ちで想像力を働かせ、対話や相手を理解する交流という形を持つべきで一方的な攻撃や押し付けの強制は感銃声の発動がなく溝を深め信用を失い互いに牽制し合うだけの間柄に陥れてしまうのだ。

またモーツァルトはその感受性が高いだけではなく観察眼に優れていた。父レオポルトは息子を世界的に有名にするため演奏旅行を行なっていた。よってモーツァルトの成功はこの演奏旅行というものがベースになっているが、モーツァルトは音楽に興味がない人々のために演奏をすることを拒み、音楽をこよなく愛する人々の前で演奏することを良しとしたため父レオポルトは幾度となく困ったという。子供の頃からモーツァルトは相手を見極める観察眼が鋭く、自分自身の価値を下げない姿勢を持っていたということであろう。そしてこの観察眼は至る所で発動され、徐々に洞察力に磨きをかけて行ったとされている。この洞察力に磨きがかかったことを証明する手紙が残されている。

ある時教会での演奏を行った時、司祭の行動に違和感を感じ目を凝らし観察していたという。その違和感がマックスになったのが食事の時であった。ココアを数杯飲んだ後ワインを飲み干し、食事をたらふく食べ、コーヒーを5杯飲み、メロンを食べ、ミルクを2杯飲んだというのだ。この司祭が司祭らしくない欲の塊であることに違和感を感じ聖職者に相応しくないと見抜いたのである。モーツァルトがこれまで接してきた聖職者からかけ離れていた司祭のことを幼いながらそう判断していたのである。これは洞察力そのものである。物事の本質を見抜く力のことを指すこの洞察力は観察したことを深い思考で判断する能力であるが、表面的なことを見ている人々が圧倒的に多い時代にこの洞察力を子供が持つということは、私は精神性の高さを獲得することになると考えている。人生おいて目に見えていることはほんの僅かで、見えていないことの方が圧倒的に多く、その重要性も質も桁外れの学び深きものが溢れている。この洞察力を持って世の中を渡ることは時にストレスを持つことになるであろうが、たとえストレスを得たとしてもまた新たな洞察力で乗り越えて成長するのが人間の強さだ。モーツアルト持つ3つの能力を人々が育て磨きすれば争いの抑止力になると同時に人との潤滑油になること確信している。やはり子供達が生きる時代は平和で人間が人間らしく生き、満たされることや自分自身の人生を全うできる時代であってほしいと願う。

今回取り上げた『レクイエム』はモーツァルトの感受性、観察力、洞察力が発揮され、死者には救いと安らぎが与えられること意味した宗教曲として表現されている。またモーツァルトは許しということも意識した宗教音楽表現を他の作品でもとっている。その素晴らしさを味わってほしいものだ。


理想論ばかり並べているかもしれぬが実の父の戦時下での苦しみや戦後の人生を狂わせるほどの苦虫を噛み潰す人生を子供達には味合わせたくないと強く思うからこその意見でありぼやきである。なかなかぼやくことはないが人間の浅はかさを知るとやはりぼやきが出てしまう。しかしお盆である。あの世から帰ってくる父に泣くな、不平不満を言うなと怒られそうなのでこの辺にしておこう。

子供達の幸せを願うお盆を皆さんもお迎えください。