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チャンココ

2024.08.15 11:49

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こんにちは!TSUBAKI HOTELです!🤗

古くから福江島の各地に伝わる念仏踊り「チャンココ」島伝統の踊りは、お盆の間だけ現世とあの世をつなぐ大切な風習です🙏

「チャンココ」の語源は「チャン」が鉦(かね)の音、「ココ」は太鼓を叩く音であろうといわれています。

毎年旧盆の8月13日~15日の間、市内各所で踊りを見ることができます。

踊り子たちは各町内より繰り出し、初盆の家の前とお墓で先祖の御霊を鎮めます。

半袖襦袢に素足のまま花笠をかぶり、腰みのをつけて太鼓を抱き、重鉦(オモガネ)と小鉦(レイコ)の音と歌声に合わせて舞い踊る南方系の情緒を漂わせるエキゾチックな踊りは、

県指定無形民族文化財となっています。

その「チャンココ」が8月13日(火)午前10時頃当GOTO TSUBAKI HOTELのエントランス前にてご観覧頂けます。

時間は前後する場合がございますので、ご了承ください🙇‍♂️

五島福江島の伝統文化に触れる絶好の機会です。是非ご覧ください!😊

五感で感じる、五島列島福江島!!

開業五周年のGOTO TSUBAKI HOTELへご来島ご来館をお待ち申し上げております!!


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石田城(福江城)跡の城門前でチャンココを披露する上大津青年団=五島市池田町

 五島市の福江島で受け継がれる盆供養の念仏踊りが13~15日、島一帯で繰り広げられた。800年以上の歴史があるとされる福江地区のチャンココをはじめ、地域ごとにオネオンデ(富江)、カケ(玉之浦)、オーモンデー(嵯峨島)の呼び名があり、踊りや衣装も多様。鉦(かね)と太鼓の音がおごそかに響く島を巡った。

 13日午前9時すぎ、市中心部の石田城跡の城門前。「カーン、カーン」と鉦の音が響く。赤や白の布を垂らした花がさをかぶり、腰みのを着けた踊り手がゆったりとした足取りで現れ、輪になって踊り始めた。観光客や写真愛好家らが集まり、カメラを向けた。

 県指定無形民俗文化財の上大津、下大津両地区のチャンココだ。衣装は似ているが、太鼓を「上大津は右肩、下大津は左肩」から掛ける習わしという。担い手は両地区の青年団。3日間、初盆を迎えた家や墓地などを巡る。上大津青年団の田中研一団長(35)は「3日間しっかり回りたい」と次の場所へ急いだ。

 夕方、市無形民俗文化財オネオンデが披露される富江町の大蓮寺へ向かった。山下、狩立両地区の保存会が継承し、中高生らが「踊り子」となる。花がさの形や着物の色などがチャンココと異なり、腰に刀を差すのも他にはない特徴。曲調はゆったりとした印象だ。

 寺の墓地には花や線香を手向けるため家族連れらが次々と訪れ、踊りを依頼。長崎市から帰省した小西みどりさん(54)は、5月に83歳で亡くなった母、荒田ヱチさんの初盆を迎え、墓のそばで踊りを見詰めた。「亡くなった実感はないけど、踊りを見るとジーンとくる。明るい母だったので、にぎやかに送れて良かった」とほほ笑んだ。

 翌14日は玉之浦町へ。この日だけ「玉之浦郷土芸能民俗資料保存会」がカケを披露する。花がさは一段と大きく、顔を覆う布は紫、腰みのは緑とカラフルな色使い。踊りは徐々にテンポを上げ、激しく回転する。

 玉之浦町郷土誌によると、かつては福江の殿様の前で実演し、間違えると切腹を命じられた-との言い伝えも残る。50歳まで30年以上、カケに携わった藤田哲也さん(61)は「自分が若い頃は先輩が厳しく、間違うと一からやり直させられた」と懐かしんだ。

 14日は二次離島の嵯峨島(三井楽町)で国選択無形民俗文化財オーモンデーが披露されたが、船が台風の影響で欠航。「ヨーデル風」とも形容される独特の歌だが、今年は断念した。

 その後も鉦の音を探しながら車を走らせると本山地区の墓地で「堤町チャンココ保存会」の一行と遭遇。同じチャンココでも崎山や吉田、大浜、野々切など各地域で、独自の衣装や踊りが受け継がれている。3年前に同会を結成した田中守会長(45)は「いずれ継承が難しくなるかもしれないが、何とか自分たちが若い子につなぎたい」。担い手不足に悩みながらも奮闘する島民の力で、この小さな島に多様な踊りが今も息づいている。


https://www.jpower.co.jp/ge/74/sonority/ 【チャンココ(長崎県五島市)小島 なお

「音のソノリティ」を詠む】より

鉦(かね)の音(ね)はめぐりを遠くするひびき盆の素足がひたひたと来る

歌人 小島 なお

チャン、チチ、チャンチャン、チチ。コンコン。

ヤー、レー、ヤー、オー。

長崎県五島市福江島。毎年旧盆の8月13日からの3日間、「チャンココ」の鉦と太鼓の音が集落に響く。「チャン」は鉦、「ココ」は太鼓の音と言われる。島に伝わる古い念仏踊りで、踊り手たちは半袖の襦袢に腰蓑、花笠を被り、太鼓をたたきながら、重鉦(おもがね)と小鉦(れいこ)の音と歌声に合わせて踊る。初盆の家の前や墓を回り、先祖の御霊を鎮めるという。

1187年にはすでに行われていたというが、その起源ははっきりとはわかっていない。南方系の情緒あるエキゾチックな踊りが特徴。踊り手は成人男子に限定されており、長い歳月を親から子の世代へ受け継いできた。

周りを海に囲まれた島には、独特の時間と伝統が脈々と息づいている。

※「音のソノリティ」第944回放映(チャンココ)を観て詠んでいただいたものです。J-POWERグループは、長崎県で松島火力発電所や松浦火力発電所などを運営しています。

長崎県指定無形民俗文化財。腰蓑は、ビローの葉か蒲の葉でできており、首から下げた太鼓をたたきながら踊る。

写真:黒岩 正和/アフロ


https://www.bonodori.net/zenkoku/chankoko/ 【チャンココ】より

外海は、予想以上の時化(しけ)。長崎港を出たフェリーは、たちまちジェットコースターと化しました。目指す五島列島・福江港までは、たっぷり3時間。三等客室は全員床に横になり、重苦しい空気が漂います。この瞑く果てしない波濤を超えて、誰が、なぜ、どんな芸能を伝えたのだろう?じっと天井を睨みながら考えていました。

翌14日の福江は、うって変わって鮮やかな青空。朝の城下町へと足を向けます。

「カインココ」、「オーモンデー」、「オネオンデー」。不思議な響きを持つ謎の念仏踊り群が、五島列島に分布しています。きょうの目的「チャンココ」も、有名ですが実態は不明。「午前中に商店街に来るようだ」というだけで、いつどこで始まるのかすら、わかりません。もっとも、こういうのはいつものことです。あわてず、商店街をブラつきながらカメラ片手に待ち受けます。

チャンココの”門付け”は、アーケードの中ほどで始まりました。

5人の踊り手が店の前に並び、鉦の囃子にあわせて太鼓踊りをひとしきり踊ると、次の店へ移動。次第に街の人々が取り巻き、なにやらアットホームな感じで進んでいます。しかし、集団の風体は奇抜にして面妖。頭には原色の飾り兜、首から掛けた太鼓。とりわけ目をひく、ビロウの葉の”腰蓑”。回るとフワリとひろがって印象的です。

エキゾチズムたっぷりな踊り子のいでたちを見ると、「これって南洋系?」とつい思ってしまいます。じっさい、過去には南洋イメージにひきずられて芸態が混乱したこともあったようです。しかしながらこのいでたち、実はすべて昔ながらの風流系念仏芸能に見られるものなのです。

列島中心部を遠く離れた島々で、芸能の古型が崩れずに伝わり残っている。こっちのほうが、でっかい不思議です。しかも、ベースを共有しつつも、五島各島独自の芸能表現が生まれていること。さらに、全体として”五島念仏踊り文化圏”ともいうべき独自の列島文化の存在。知りたいことはいつも”足もと”にある。軽やかなチャンココのステップを前に、船中の疑問はますます広がってしまったようです。

アーケードでの門付けは、臨時出張サービス。地元の集落の家々を廻る盆供養のため、チャンココはお昼前に退散して行きました。短いながらもなかなか刺激的な、五島の念仏踊りとの初顔合せでした。