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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

シュトルーデルとショパン

2019.01.09 09:15

ショパン青年はお菓子を頬張っていた。

ウィーンのシュトルーデルだ。

小麦粉を練った生地にリンゴやレーズンなどを巻いて焼いたアップルパイのようなお菓子

で、18世紀ハプスブルク家によって広まったオーストリアを代表する伝統的な焼き菓子だ。

ショパンは今日うれしいことがあったのだ。

それは、やっとポーランドからの友達から手紙が届いたのだ。ショパンの寂しさは自分のた

めだけでなく、ポーランド情勢の心配から来るものでもあった。

返事が来ないので家族や友人たちの無事を心配していたのだ。

食事もおいしく食べられない気分になっていた繊細な青年ショパンであった。

ショパンは友人からの手紙を手にして、その手紙を自分の傍に置くことで、ポーランドの学校にいた頃のように、友人や先生と一緒にいる気分になれたのだ。

彼はやっとお腹一杯好きなものを食べたのであった。

しかし、一番気がかりなマトゥシンスキからの手紙はまだ来なかった。

ショパンはウィーンに来て1週間以上経ったが恋人は出来そうになかった。

ドイツ人の上流階級のお嬢様方に全く相手にされていなかったのだ。

そのうえ、ショパンは出来たてのソナタハ短調作品4もスイスの少年の主題による変奏曲ホ長調の出版も遅れていた。

出版に関わっているトビーアス・ハスリンガーがショパンに報酬を支払ってくれないことに

ショパンは不信感を募らせ、更に、恩師であるはずのヴィルヘルム・ヴュルフェルからタダで演奏をするようにショパンは言われたことに憤りを感じていた。

ハスリンガーはショパンに親切なふりをしながら、ショパンを見下して軽くあしらい、シ

ョパンの曲を低く評価して、ショパンの曲を泥棒しようとしている下心をショパンはお見通

しであったのだ。

ハスリンガーは適切な報酬を支払わない悪党だとショパンは感じ、ハスリンガーを懲らしめ

てやりたいと思っていた。

ショパンは自分の曲も自分の演奏もタダではないと強いプライドを持っていたのだった。


トビアス・ハスリンガー (1787 - 1842)