Rud. Rasmussen
1869年にRud. Rasmussen(ルド・ラスムッセン)は Rudolph Rasmussen(ルドルフ・ラスムッセン)により創業した工房です。
大量生産の工場生産品ではなく、カーレ・クリントとモーエンス・コッホのデザインした家具を中心に家具職人技の質の高い工芸品を製造していました。
コペンハーゲンのノアブロで142年間、家具の製造を続けましたが、後継者問題、質の高い職人の確保、パーツを供給していたサプライヤーの廃業、大量生産・大量消費の時代の流れの変化などにより、2011年にCarl Hansen & Son(カール・ハンセン&サン)に事業を譲渡します。
Year :1869-2011
President : Rudolph Rasmussen(ルドルフ・ラスムッセン)-Rudolph Rasmussen Jr.(ルドルフ・ラスムッセン)/ Victor Rasmussen(ヴィクトル・ラスムッセン)-Aage Rasmussen(アーゲ・ラスムッセン)/ Erik Rasmussen (エリック・ラス・ムッセン)-Jørgen Rasmussen(ヨルゲン・ラスムッセン)/ Helge Kurt Hansen(ヘルゲ・クルト・ハンセン)
Place:オーフスーコペンハーゲン(Nørrebrogade 45)
1869:Rudolph Rasmussen(ルドルフ・ラスムッセン)がRud. Rasmussen's Factory for Oak FurnitureをStore Kongensgade(ストア・コンゲンスゲード)に設立する。
1875:義弟のイェンス・クリスティアン・グルーレとともにNørrebrogade 45に4階建ての作業場を建設する。
1904:創設者のルドルフ・ラスムッセンが死去する。9人の子供の中のルドルフとヴィクトルの兄弟が引き継ぐ。家具には製造番号が与えられ、その番号が書かれたラベルが家具の背面または裏面に接着されるようになる。
1911:Nørrebrogade 45の建物を改築する。2代目ルドルフ・ラスムッセンの息子アーゲが生まれる。
1920年代半ば:ルドルフがKaare Klint(コーア・クリント)と出会う。
1930:社名をRud. Rasmussens Snedkerier に変更する。
1930年代前半:アーゲが美術工芸学校の家具科でオーレ・ヴァンシャー教授に師事する。
1933:サファリチェアを発表。輸送がしやすい便利なパッケージに入った初のノックダウン式チェアによって、デンマークの家具輸出に新たな1ページが開かれる。
1935:アーゲが家族の工房で働き始める。
1940:アーゲの息子ヨルゲンが生まれる。アルネ・ヤコブセン、Flemming Lassenと共にSøllerød市庁舎の建設に協力する。
1944:2代目ルドルフ・ラスムッセンが死去。ヴィクトル・ラスムッセンとともにアーゲ・ラスムッセンとエリック・ラス・ムッセンが経営を引き継ぐ。カーレ・クリントとモーエンス・コッホとの協力関係は様々な面で緊密なものになっていく。
1950年代初頭:アルネ・ヤコブセンにRødovre Town Hallのミーティングテーブルやインテリアを依頼される。
1955:ヴィクトル・ラスムッセンが死去する。ポール・ケアホルムによるデザインのデンマーク王立芸術アカデミー用テーブルとキャビネットの製造を始める。
1956:ヨルゲンがWolffs Møbelsnedkeri(ヴォルフ)の見習い職人として働き始める。
1969:5月11日、Rud Rasmussens Snedkerier社は創立100周年を迎える。
1979:エリック・ラスムッセンの希望により株をヘルゲ・クルト・ハンセンという従業員に売却する。アーゲ・ラスムッセンは息子のルドルフ・ラスムッセンに株を売却する。これによりルドルフ・ラスムッセンとヘルゲ・クルト・ハンセンにより経営が引き継がれる。
1980:再開発によりコペンハーゲン市からNørrebrogade 45からの移転を命じられる。
1980:大工のトルベン・ハンセンと共同でモーゲンス・コッホの棚板を壁掛けにする仕事を始める。Bernt Petersenとのコラボレーションを始める。
1981:デン・ペルマネンテが閉鎖。自社ショールームでWørts Møbelsnedkeri、Christensen & Larsen、Søren Horn、Henning Jensen、I.Christiansen、A.J.Iversen、Niels Roth Andersen、PP Møbler、Fredericia Furniture、P.J.Furniture、カール・ハンセン&ソーン、フリッツ・ハンセンの家具の展示を始める。
1982:ジミー・カーター元大統領が工場を訪問する。
1984:様々の取り組みにより、建物の移転危機を回避する。
1986:A.J. Iversenの廃業により、製造と販売を引き継ぐ。
1994:125周年を迎える。
1996:ヘルゲ・クルト・ハンセンが引退する。ルドルフの妹のアンネと妻のエリザベスが経営に加わる。
2002:ルドルフの娘キルスティンとマレネが経営に加わる。
2008:Nørrebrogade 45の工場は文化財保護庁によって国の産業遺産25件のひとつに指定され、敷地内の建物は保存が推奨される。
2011:Carl Hansen & Son(カール・ハンセン&サン)に買収される。
2012:マレネが退社する。
2016:Nørrebrogade 45での生産を終了し、フュンへ移転することが決定する。