Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

お盆に帰省するのは誰……⁉️

2024.08.17 05:00

Facebook新田 修功さん投稿記事

お盆に帰省するのは誰……⁉️🚃✈️🏃😇

昔、ある人から臨死体験のお話を聞く事が出来ました。

若い頃からの不摂生と仕事の頑張り過ぎで、ある日突然心筋梗塞で倒れられたそうです😰

会社から深夜に帰宅して、テレビのリモコンを取ろうとして屈んだ瞬間、胸に激痛が走り、汗が吹き出し呼吸が出来なくなりそのまま倒れられて意識不明になられたのです。

単身赴任だったので、家には一人きりです。

そのままの状態だと、まちがいなく死んでいたそうです 😱

ところが、気がつくと何とも言えない気持ちよさを感じながら麦畑を歩いていたそうです。

一本道を進んで行くのですが、行けば行く程気持ちがよくなってきて、まるで空中に浮かんでいるようだったのです。

そこで後ろから、奥さんと娘さんが呼ぶ声が聞こえました。

「そっちじゃないよ。こっちだよ」「いやこっちの方が気持ちいいんだ」

何て言いながら歩いていると……🏃

よくあるお話ですが、「帰って来て〜❗️」という声が聞こえました。

そして気がつくと、リビングで倒れて苦しんでいたのです。

何とか気力を振り絞って携帯電話で部下に連絡をとり、救急車を呼んでもらって助かったそうです。

その方がおっしゃるには、やはり命を取りとめてから人生が変わって、何事にも感謝の気持ちが涌いて来たそうです。

誰にも引きとめられなくて、あっちの気持ちのいい世界へ行ってしまった人たちもお盆には帰ってこられます。

お盆にこの世に帰省してこられます😊

帰省ラッシュはないでしょうが……🤣

本当にそう信じてお盆をお迎えすることで、愛する人を亡くした人たちの悲しみが癒されるのであれば、とても素晴らしい風習ですよね💕🙏✨

素敵なお盆休みをお過ごしください。

今日も読んでくれてありがとう🙏😊


Facebook田中 宏明さん投稿記事

昨日の夜また高熱がぶり返して来て寝床でひとりウンウンと唸っているうちに何だか意識が朦朧としてきて 何だか一瞬あちらの

世界に引き込まれ ていくような そんな引力のような力を感じた瞬間がありました

そこに恐ろしさという 感覚は全くなくて むしろ何だかホッとするような「あ、やっと帰れる」みたいな感覚に近かったのを覚えています

別に臨死体験をしたわけでも何でもないんですがそのとき僕の中で起こっていた感覚は死って実は全然いいものなんじゃないか?という、ワクワク感みたいなものでした

むしろ、死んだらダメだ!という謎の思い込みのせいでたくさんの人が無意識に死を恐れるようになっただけではないかと思ったのです

変な言い方ですが人間は死んでもいいのだと思ったのです

死ぬな!生きろ!といくらまわりが叫んだとしても人は死ぬべき時に死ぬようになっています

だから、本当に死が近づいて来た時はもうこっちの心配は要らないからうまくあっちに渡りなさい、と優しく引導を渡してあげることが死にゆく人への最高の思いやりなのかもしれないと

思いました^ ^

そう思うと亡くなってすぐの母の耳元でどうか安心して行ってくださいと話し続けたのは、間違いではなかったような気がします^ ^

話しは変わりますが今でも忘れられない2019年の冬至に見たビジョンがあります

それは葬儀の場で小さな子たちが微笑みながら死者を送っているというなんとも不思議なビジョンでした ただそのビジョンにはとてもリアリティを感じました

いつか必ずこうなるだろうなという確信のような感覚があったのです

そしてそれはそんなに遠くない未来のことのように感じました

これから人間の意識が変容していけば人類は死の怖れから解放される日が来るかもしれませんね^ ^

わざわざ言う必要もありませんがこの肉体はかけがえのない大切なものです

だから生きているうちは感謝して丁寧に取扱うのは当然のことです

ただ同時に肉体に執着し過ぎても、また新たな苦しみを生むことになります

人間は死ぬ日がくれば死んでもいい

僕も人生の半ばを 過ぎた事ですから これからはそんな気楽な気持ちで生きたいなぁ、と思わさせてもらった そんな貴重な高熱の時間でした^ ^

とまぁ、高熱にうなされた病人のごく個人的な戯言ですのでお気に召せない方はスルッとスルーしてくださいね😊でも死を想うことは本当に大切なことだと思っています^ ^

では皆さまも良い人生を🌈らぶ💓


Facebook向後 善之さん投稿記事

父のこと7 父の臨死体験

僕が子供の頃は悪役ばかり演じていた父だったのですが、石原裕次郎さんの映画「夜霧よ今夜もありがとう」で初めて善玉の役をやります。石原裕次郎さんを助けてヤクザの銃弾に倒れるという役でした。僕が小学5年の時の映画です。この映画は封切りしてすぐ、やはり父と二人で行きました。

今度は、出演者通用門も出演者特等席もなく、大人たちが皆裕次郎さんになって熱気ムンムンの立ち見席で見ましたので、画面は断片的にしか見えませんでした。映画の中で石原裕次郎さんがバーでピアノを弾いていて、そこにやってきた綺麗な女性が「昨日はどこへ行っていたの?」と聞くと、裕次郎さんが「そんな昔のことは覚えていない」って言うんです。その女性が重ねて「明日は会えるの?」みたいなことを聞くのですが、裕次郎さんは「そんな先のことはわからない」と言うのです。僕は、かっこいい!と思いました。そして、絶対このセリフを使ってやろうと決意したのです。

でも、使うと言ったって、

母「昨日みたいに、先生に怒られるようなことはしないでちょうだい」

僕「そんな昔のことは覚えていない」

母「明日は、ちゃんとするのよ」

僕「そんな先のことはわからない」

程度のことで、女子から言い寄られて・・・というシチュエーションはなかったですねぇ。このセリフ、そしてストーリー自体もハンフリー・ボガードの映画「カサブランカ」のパクリ?オマージュ?だったことは、後から知りました。

その後、悪役は少なくなり、刑事役が多くなりました。最初は「ロボット刑事」など子供用の番組だったのですが、やがて「大都会」というテレビ番組で、刑事役としてレギュラー出演することになりました。僕が一浪して大学に入学する頃に始まった番組です。渡哲也さん石原裕次郎さん主演で、渡さんが刑事、石原さんが新聞記者という設定で、父は渡さんと同じ部署のベテラン刑事を演じていました。

この番組が良かったんです。毎回引き込まれるストーリーで、父もハマり役でした。ドラマの中で、水沢アキさんだったと思いますが、「焼きそばには紅生姜がないとダメよね」と犯罪者の兄に言うシーンがあったと記憶しているのですが、なぜかそのシーンを母が気に入り「こういうセリフが書ける人ってすごいわね」と言うのです。紅生姜のどこが・・?とも思ったのですが、後からその脚本を書いたのが倉本聰という人だということを知りました。ドラマが素晴らしかったのも頷けます。

その頃の父は、波にのっているように見えました。菅原文太さんの映画「トラック野郎」にも出演するし、テレビのレギュラーも増えました。時代劇へのレギュラー出演が始まったのもその頃です。ところが、その上昇気流が突然断たれることが起きます。1982年のことです。僕は、社会人になったばかりでした。

健康診断で静脈瘤が見つかり、このままだと命にもかかわると言うことで、父は手術をすることになったのです。手術自体は事例もたくさんあり、心配はいらないと医師から説明を受け、将来起こりうる致命的な事態の予防のために手術にふみきることになりました。

当時僕は、岡山勤務だったのですが、会社を休み手術に立ち会いました。立ち会ったのは、母と僕、それから母方の叔父です。叔父は近くに住んでいて、よく我が家に来てトランプや麻雀をしていました。父とはとてもウマがあったようで、叔父夫妻が来ると、父は楽しそうにしていました。そんなわけで、大丈夫だろうけれど、父を元気づけるために立ち会ってくれたのです。大学院生の弟は、学校から戻ってきて家で留守番をすることになりました。まあ、でも、大した手術ではないよねと皆が考えていたのです。

長時間にわたる手術だったのですが、無事終わり、医師からは、「血管がもろくなっていたのですが、無事終了しました」との説明を受け、僕らは、ほっとひと安心です。

病院には母が残り、僕と叔父は、病院近くの焼鳥屋に立ち寄り祝杯をあげました。父の心臓手術の後、焼き鳥屋っていうのも、どうかと思いますが、調子に乗って「手術もうまくいったし、ハツで乾杯!」なんて不謹慎なことをやっていたんです。

その後、ほろ酔い気分で家に帰ると、いるはずの弟がおらず、その代わり彼からの置手紙がありました。そこには、「父が、緊急再手術。至急病院にもどるように」と書かれていました。

あわてて病院に戻ってわかったのですが、どうやら、僕たちが焼鳥屋でいっぱいやっている最中にもろくなっていた血管が破れてしまったらしいんですね。それで、急きょ緊急再手術になりました。主治医は、帰宅途中だったのですが、地下鉄のホームで場内放送で呼び戻されたのです。今から考えると、携帯電話もない頃に、よくぞ間に合ってくれたと思います。

父は生死の境をさまよったのですが、なんとか再手術が成功し、その何カ月か後に退院することができました。

退院の日、僕は、車で病院に迎えに行きました。病院からの帰り道、後ろの席に座っていた父は、突然、「なあ、ヨシユキ、不思議なことがあるもんだ・・」と、ぽつぽつ語り始めました。

父は:「再手術の最中だったと思うんだが・・。周りで騒いでいる声が聞こえてなぁー。 その声が、不思議なことに下から聞こえてくるんだ。 声のする方を見てみると、医者や看護婦があっち行ったりこっち行ったりしてるんだよなぁー。その真ん中に、おれがベッドに寝ているんだよ。」と、話し始めました。

母と僕は、父の話に引き込まれていきました。

父は、続けます:「いきなり、まわりが真っ暗になったんだよ。 あわててなぁー。どうしようかと思ったよ。 そうしたら、なんだか、右上の方に、ちいさな光が見えたんだ。 なんとなく、その光の方に行かなきゃって気持ちになってなぁー、そっちの方に歩いて行ったんだよ。 だんだん光が大きくなってきて、それは、本当にまばゆいばかりの光なんだ。それで、おれは、その光の中に入って行った。」

僕も、母も、一言も発せずに、父の話に聞き入っていました。

父は、その先を話し始めました:

「光の中に入ったら、そこは一面のお花畑だった。それは、きれいでなぁー。幸せな気分になったよ。 目の前に川が流れているんだ。ちいさな川だけど、きれいに澄んでいたなぁ。 その時、なにか気配を感じて、それで、川の向こう岸を見たんだ。 そうしたら、もう死んでしまったはずの懐かしい友達がいるんだよ。死んだ戦友とか、友人とかが、みんな、こっちに向かって手を振っているんだよ。おれも夢中で手をふってな。川の中に一歩、二歩とふみだしたんだよ。そうしたら、・・・。」父は続けます。

「ひとり、変なやつがいたんだ。どうも、変だ、見おぼえないぞって思って、誰だろうと目を凝らしたら・・・。」「だれだったと思う?ヨシユキ。」

と、運転している僕に突然、父は話をふりました。僕は、「そんなのわかんないよ」と答えました。父は、ふと小さい笑みを浮かべ、

「それがなぁ、赤鬼だったんだよ。角が生えててなぁー。 なんで赤鬼なんだろうって、おれは考えたんだよ。 その時、あっと思ったんだ、『待てよ、赤は、止まれだ!!』ってな。 それで、俺はもどってきたんだ。 なぁ、ヨシユキ、もし、あれが青鬼だったら、おれは、逝っていたよ。青は進めだからな。」

僕は、信号待ちをしながら、吹き出してしまいました。「なんだよ、ジョークかよ!」と、僕は父につっこみをいれ、母は、「やーね、まったく。まじめに聞いて、損したわ」とすねておりました。バックミラーにうつった父は、してやったりといった表情で、にやっと笑っていました。

父のこうした冗談は、日常茶飯事でした。でも、今から思うと、「冗談めかしていたけど、父は、本当に臨死体験をしたんじゃないかな?」なんて思います。もう少しちゃんと話を聞いておけばよかったと思います。もう時すでに遅しですけど・・。

父は、「教えてやらないよ」と、川の向こうのあちらの世界でにやっと笑っているんでしょうね。