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ムシたちの多様性から考える

2024.08.17 08:52

昆虫MANIAC展に行ってきた。

ありきたりの、おおざっぱな言い方をすれば。

たいそう面白くて、展示をみている間中、テンションあがりっぱなしだった。

ムシたちは必死でたんたんと生きている。

喰ひ、交尾・交接し、子孫を残して死んでいく。

「ムシ」というのは大きないわゆる一般的なくくりである。
「昆虫」は6本の足を持つ「ムシ」を指す。

8本の足を持つクモは、昆虫には入らない。

かなりおおざっぱな言い方をすれば、ムシは「動物」という意味では、我ら人間と同じ仲間でもある。

手のひらを太陽に、的な乱暴な言い方をすれば、うちらはみんな生きているのだ。


そして、ムシにはいろんな「生き方」がある。

面白いのは、擬態や、寄生だ。

擬態はほんとうにさまざま。葉っぱや枝、花に似せるものもあれば、他の種にかぎりなく似ている種もある。

また、その目的も、捕食者から身を守るために擬態するケースもあれば、獲物に近づきやすく擬態するケースもある。


一方、寄生は、なんだかせつない。

寄生された成虫は、寄生したムシのマユを必死で守ろうとする。
寄生したムシの敵が来たら追い払う。

思考のなにかが組み替えられてしまうのか。
いわゆる「のっとり」「のりうつり」みたいなものなおんか。

しかしやがて、寄生された側はその役目が終われば死んでしまう。


弱肉強食とは、よくいったものだ。

寄生するムシは悪もののように思えてしまうけれど、彼らは彼らで自分らの生き方をたんたんと営むだけだ。
人間の言葉でいえば知恵を駆使した生き残り策だ。


雌雄についても改めての気づきがあった。

動物である我ら人間はからだの構造上、生殖器をおもな特徴として男女の違いをもって生まれてくる。

医療的措置など、なにもしなければ一生変わらずそのままだ。

一方、ムシたちのなかには、雌雄どちらも備えていたり、一生のうちに変わったりする者がある。

からだの大きさや紋様は、オスだから、あるいはメスだから大きいとか派手ということもなく種別によってさまざまだ。

子育ての方法もしかり。

「雄」が子育てを担い、「雌」が食料調達を担うケースもある。

ほんとにほんとの「多様性」だ。

ムシは多様性の実現を!なんて声高にさけばなくとも皆さんたんたんと、自身の生きるべき、生き残る道としてその性を、性別役割分担を含めて、生きる。

ムシと人間を比べるのは無理があるのを承知でいえば、違いを、ことさらに強調して上下関係をつけようとしたり、単なる「多数派」を「常識」だなんていわない。

少数派は少数派として卑下することなく、多数派をあるときは利用しながら、したたかに生きる。


さらにさらに、われらがムシとして認識しているのはほんの一部らしい。

常に、新たな種がほろんだりうまれたり。

発見されないまま淡々と生息していたり。

人間が、勝手に研究と称して大騒ぎしてムシたちを追い回して「新種発見」なんてやっているのだ。

コロンブスの大陸発見、みたいに、ムシたちからすれば、ただそこに以前からいただけだ。

序列とか、違いの強調とか、それによって、一方が一方を一方的に貶めたり利用したり搾取することがどんなに歪なことか。

女性であるだけで「劣っている」と、長らくみなされてきた人間社会と比べて、ムシたちの世界のなんと公平で清々しいことか。


(追記)

人間社会の照らした見方とは別に、研究者や専門家であるMANIACな方々を、私は尊敬する。

ひとつのことに、脇目もふらずに邁進し没頭して一喜一憂する姿って人間的でとても素敵だもの。