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浸潤性乳管癌と診断されて 12

2019.01.02 15:33

「癌は誰でもなるもの!でも、まさか自分がなるとは思わないのが癌!」

生検の後はしばらく気持ちに影を残していました。

そんな中、会社で娘より年下の悪友が退社。

何かを伝え話したいが言葉は出なく、病気と同じで受け止めるというか私の横を流れて行く感覚だった。

しかし、そんな私の病み(闇)は沈む事なく

楽しい時間が次々とやって来てくれてました。

それは、私のモチベーションを下げさせないように仕組まれたかのように。

河口湖へのドライブ、冬のBBQ、美忘年会、愛犬ここの誕生日。

そして、日々のオペレーターの仕事。

周りに感謝です。


そうして、次の病院の日を迎えたのです。


この日の病院は検査の結果。

10時半の予約でいつもより早く、患者さんも多かった。

もちろん、予定の時間よりも呼ばれたのは遅かったです。

診察室に入ると担当医の女医の先生が

「おひとりですか?」

少々驚いた感じで聞かれた。

「はい、ひとりです」

最初から誰かと来る気はなかった。

母親には刺激が強すぎるからそのあとのケアを考えると難しい。

子供達ももちろん私が親だからと張ってしまうから難しい。

委ねて慰められるのも面倒に感じていたし

相手(彼氏とか旦那とか)もいない。

「どなたかと一緒に聞いた方が良ければ別の日に変えても大丈夫ですよ」

「いえ、大丈夫です」即答した。

「では、ご説明致しますね」

CTやMRIの画像を見ながら前回の復唱から入った。

「…で、前回の検査の結果ですが、癌細胞が検出されました…リンパ節の腫れや遠隔転移は今のところ認められないとの見解と腫瘍の大きさを考慮してステージは1と思われます」

驚きは無かった。

正直「ですよね。で、今後の展開は?」という事しか頭になかった。

手術は部分切除を進められた。

今の私に全摘はキツイ。

しかし、よく聞くと再建を最初から考えるならば全摘にしないとならないらしい。

術後の凹みは脂肪注入で戻す事もできるが保険が使えないこと。

再建を考えるならば横浜の病院を紹介すると言われました。

横浜辺りだと再建を希望する患者さんが多いらしいが秦野だとほとんどいないとの事だった。

人それぞれ胸の大きさは異なるので腫瘍の大きさが同じでも凹み具合も違うし、できた場所によっても違うから術後の傷や凹み状態も千差万別。

正直、多少の傷は仕方ないが胸の変形を私は受け止める事ができるだろうか?自信がなかった。

今の私が仕事を休む事はほぼ間違いなく元の場所へ帰れない事と

自分の胸が変形する事のふたつが私の中でも大きなショックだったから。

完全に再建するには1度全摘する事、全摘すれば放射線治療はなくなると言われた。

その場で悩んでしまった。

「こちらの病院で手術をお任せいただけるならば空いている日は、12月19日か26日、1月9日になります。乳がんの手術は特別な手術になりますので検査員も必要で揃うのが水曜日しかないのでご了承下さい。」

たくさんの説明が続いた。

その中で私はやってみないとわからない!

もしかしたら変形も少しかもしれない。

とりあえず今はと思い

「今の私には全摘は耐えられないので部分切除でお願いします」と

気持ちの整理つけるのに日にちがなさすぎるのはちょっとパニクりそうと思い

「19日は近すぎるので19日以外で!」

とだけ答えた。

年内か年明けか手術日を決めかねて悩んでいると先生から

「次回、手術の説明等あるのでその時までに決めて頂いて大丈夫ですよ。今答え出さなくても大丈夫です。」

と言われたので次回までに決めてくる事にしました。

「ではこの後、手術に必要な検査があるのでそれを受けてからお帰り下さい。受付で説明しますので」

それだけ言われてから退出した。

いよいよ近づいて来た。

いや、やっとここまで来た。かもしれない。


診察室を出てから胸のX線と肺活量の検査が待っていた。

X線は何度も経験済みである。

肺活量の検査はちょっと面倒だった。

説明をする検査員はゆっくりと大きな声で話す。少し小さな子供に対するかの様に。

私は「あぁ、お年寄りで耳が遠くなった人とか対応しているからかなぁ?」と思ったが

ふと、これって「馬鹿にしているのか」と怒る人もいるかもなぁと思いました。

Dメーカーの空調サービスエンジニアをしていた時の経験からお客様に対する説明では何度となく苦労したので、もうちょっと考えないと面倒な患者さんとか大変かもなぁと思ってしまいました。

そんな事を考えながらも必死に息を吐き切ったり吸ったり指示に従って行いました。

手術する為に肺の大きさやら知る為の検査だと説明受けました。

まぁ、何とか検査を終えて会計へ。

頭の中は年末に手術してギリギリ年越し前に退院か、正月明けてから手術にするかでごちゃごちゃだった。

悔いのない様に仕事納めるか、

そんな事をしても自己満足で結局オペレーターから外されるならば今から投げ出すか、

でも、正月を術後の痛みと共に過ごすのは、、、

定まらない自問自答を繰り返していた。

母に手術することは伝えて、日にち悩んでいるからまた後でと伝えた。

今日病院に来ているのを知っているから早目に知らせないとヤキモキしているかもしれないから早目にその思いから脱してあげようと思って一報を入れた。

その後、姉に連絡して今の思いと考えを話した。

もちろん姉は私がいいと思う様に決めたらいいと言ってくれていました。

仕事はまたその時になったら状況変わってるかもしれないし、今は治療をしないとそこに戻る事も続ける事も出来ないとも言ってくれた。

話す事で自分の答えを導き出させてくれました。

性格上、やっぱりキチンと納めてあと腐りしたくない。

正月も迎えたい。

病院の駐車場から出る頃には答えが決まった。

ほんとうに姉に感謝である。

知り得る情報は姉が調べ尽くして教えてくれ

私の気持ちのクッションにもオブラートにもなってくれていました。

姉がいて良かった。

できる姉故に親の褒め称えに時にジェラシーなどを感じる時もあるが姉の存在は私には大きく感謝でいっぱいである。