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「宇田川源流」 岸田首相9月の総裁選に不出馬

2024.08.19 21:58

「宇田川源流」 岸田首相9月の総裁選に不出馬


 8月14日の突然の発表というのは、なかなか驚いた。何しろ、この夏休み、8月の初めくらいから基本的にはまともなニュースというのはほとんどない。日本の国内では国会がなく、政治は基本的には動いていないし、また国際的にもさっ真ざまな動きはあまり伝えられない。しっかりと動いているが、日本のマスコンは7月の末よりフランスのパリオリンピックに行ってしまうので、ほとんどまともなニュースは報じられないのである。

そのパリオリンピックも基本的には混乱とカオスの中で終わった感じがするが、それまた別な機会に言うことにする。そのような中で、自民党の総裁選に関する話題が、国内の政治では細々といわれるようになっていた。ちなみに9月に代表選挙を行うのは立憲民主党も同じであり、こちらも現職の泉健太氏と、以前から何となく動きている枝野幸男氏が動いている。立憲民主党の中では野田佳彦氏を押す人がいるのと同時に小沢一郎などは、なんだかわからないが何か叫んでいるようである。しかし、小沢一郎氏の発言が取りざたされたのも10年前までのことで、すでにすっかり「過去の人」になってしまった。自分が「過去の人」になってしまったことを自覚できない事を「老害」というのかと、改めて日本の社会の仕組みが見えてきたような気がする。

さて、その岸田氏が8月14日に突然9月の総裁選への不出馬を表明した。ニュースのない日本において実に「マスコミにとって都合の良いニュース」が出たのであろう。本当に何のニュースもなくまた取材もまともに行っていないために、このようなセンセーショナルなニュースしか飛びつくものが無いというところであろうか。もう少し、しっかりと取材をしてもらいたいものである。。

さて、岸田首相は、要するに「再選する可能性が限りなく少ない」ということであり、会見では「自民党が変わったと見せるためには、自分が変わるのが一番」ということを言っていたが、それならば、通常国会が終わったとすぐにやめればよいだけの話であり、このような見え透いた「言い訳」をすることが、国民の信頼を裏切り、支持率をっ低くしている原因という事が、結局最後まで分からなかったということなのであろうということが、なんとなく残念な感じである。

岸田首相、総裁選に不出馬表明 経済界からは驚きと苦言も

 岸田首相が14日、来月の自民党の総裁選挙に立候補しない意向を表明しました。経済界の反応について、東京証券取引所から中継です。

 日経平均株価も首相の不出馬が伝わった直後に大きく下落しました。

 先週の暴落から回復基調にあった株価ですが、岸田首相の不出馬が伝わった直後は、その前に比べて一時500円以上、下落しました。ただ最終的には209円とやや上げて取引を終えています。外国為替市場でも、不出馬が伝わった直後は1円近く円高が進みました。

 お盆ど真ん中の不出馬表明に経済界からは驚きの声が上がりましたが、企業の経営者らからは賃上げを通じたデフレ脱却への取り組みや、AIなどで電力需要が増える中での安定供給に向けた取り組みなど、政権の経済政策について、「やるべきことはやった」との声が聞かれました。

 一方、経済官庁の幹部からは「電気・ガスの補助金を再開した時は再選しようと思っていたんだろう。ただ、防衛増税など、振り回したあげく結局何の落とし前もつけずに辞めるのかという思いはある」との苦言も出ています。

 次の首相・総裁について、ある経済界の重鎮は「全く霧の中、団子レースじゃないか」と話しています。経済官庁幹部からは「誰が首相になっても秋に経済対策を打つという基本路線は、変わらないと思う」との見方も出ています。

2024年8月14日 16時9分 日テレNEWS NNN

https://news.livedoor.com/article/detail/26988145/

 さて、岸田首相に関して何が悪かったのか。現在日本の財政などから考えれば、「官僚的に考えた」政策としては普通のことをしていたという気がする。基本的に日本の政治というのは、「官僚的な政策」と「政治家的な政策」と二種類ある官僚的な政策というのは、まさに日本国の財政ということを考え、そのうえで、まずは日本国そのものの事を国民の生活よりも優先して考えるということである。ある意味で「国体優先」というような感覚もあるしまたは、「共産主義に近い」ということもある。一方で「政治家的」というような政策は、その場その場における国民の意見に左右されるということになる。当然に、その政策は「今」の苦しみから抜けたいということになる。来年の1億円よりも明日の10万円という感じであろうか。まさにその内容がおかしな話になるのである。

本来、その二つの基準をうまくバランスをとるということが政権には必要な能力なのであるが、岸田首相はそのような話ではなく、「すべてを官僚的な政策で行い、それをごまかして政治家的な政策であるかのようなその場の取り繕いを行う」という手法を行っていた。そのことが明らかになってしまってからは、支持率が上がることはなかったということになるのである。そして、岸田翔太郎や岸田派のパーティー券政治資金規正法違反などのことにおいて「しっかりと説明せずにごまかす」というような印象が与えられた。つまり、そのような事が出てきてしまったので、支持率が回復することができなくなった。もっと言えば、「岸田首相を信用することができなくなった」という事であろう。政策が重要であるということは代わりが無いが、しかし、やはり政治は信用である。独りよがりで自分のエゴが出てしまった政治家は、残念ながら国民からの信用が失われるということになるのである。

「電気・ガスの補助金を再開した時は再選しようと思っていたんだろう。ただ、防衛増税など、振り回したあげく結局何の落とし前もつけずに辞めるのかという思いはある」<上記より抜粋>

まさに、このよううなことを言われることが、岸田首相が総裁選で「出馬できない」つまり「勝つことができない」という理由なのではないか。そのことがしっかりとわかっている人がいれば、自民党は変わることができるということになる。同じことをしていても、信用の上で行うのか、または、信用を失って行うのかによって異なる。まさにそのことが政治における大きな違いと憩うことになるのであろう。