Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

七転び八起き Getting Back Up:A day in the life of cancer survivor MW

248. もんじゃ@月島 -2024.8.18

2024.08.18 12:29

 

"下町" という表現には、"江戸っ子" かどうか、という問いが裏にあるような気がします

3代続けば、江戸っ子のようです


わたしは以前の記事で書いたように、母は新潟の出身です

父は東京ですが、わたしからみた父方の祖父は、やはり新潟です

(父方の祖父は、戦前の話ですが最初は新潟で勤めていて仕事の都合で東京にきました。軍隊にいて、地位のあるいわゆる将校とかではなかったのですが、職業軍人ではあったので転勤のような感じでまだ若い頃に東京の部隊へ転属したそうです。新潟の地元では、そうした東京への転属は栄誉なことだったそうです。)

 

で、父方の祖母だけが東京出身

なので聞かれたら、クオーター江戸っ子(4分の1だけ江戸っ子)と自称しますが、誰にも聞かれません😅..."江戸っ子" も死語でしょうか...今となっては

 

私が生まれた頃は、既に父の生家や父方の祖母の実家は無かったです(いずれも都内でしたが、わたしの生まれ育った地元とは違う場所です)

わたしが育ったエリアは、いちおう行政区域からは下町と称されはしますが、都内でもだいぶ東の方で、住宅地になる前は工場や倉庫だったエリアです

江戸の伝統はありません

  

でも、もんじゃ、はありました

それは、ちゃんとしたお店では無くて、商店街のなかの駄菓子屋に、鉄板があって、適当にやるのです

小学生の頃が、唯一の記憶(私の育ったところだけの超ローカルな話なのかもしれません)

 

お椀にはいったスープみたいなものを、焼こうとします(具のようなものは、ほぼ無かったです)

鉄板の上で、ぐつぐつして、すぐに薄い、おせんべいみたいな感じになります

それを、せんべ、せんべ、といって小さい金属のヘラで、こそいで、みんなでフーフーしながら食べました

普通の食事ではなくて、適当というか、3時のおやつみたいな感じです

 

たぶんそれ(駄菓子屋さんの、もんじゃ)は昭和の終わりから無くなりはじめて、平成には完全に消えたと思います

大人になってから思うと、食品衛生の関係で駄菓子屋さんが鉄板を出して、まがりなりにも食事を出すとかが、やりずらくなったのかな、とか、あるいは

駄菓子屋、というお店自体がだんだん無くなってきた、からかもしれません

 

そんなこんなで、「もんじゃ」を食べに行きましょう、という頂いたお誘いは、不思議な感じでした

それは懐かしさよりも、「もんじゃ」って、もんじゃに行きましょう、といって行くものでしたっけ???な感じでした

あの頃の、何かよくわからない位置づけの、もんじゃが、いまこうして立派に下町の代表選手に...隔世の感です🌊

 

前置きが長くなりました

ブロ友のかたがたと、今日 8/18 のお昼に、もんじゃをいただきに月島にいきました

 

40年ぶりのもんじゃは、美味しかったです🌟

あの頃との違いは、いまは飲むことでしょうか...ついつい飲み過ぎました💦

 

奥の盛られている2杯が、もんじゃです(鉄板で焼かれる前のスタンバイ状態...大きさに圧倒)

お好み焼にも負けない立派な姿です✨

 

明日 8/19 から夏休み明けの出勤です

明日は、また週明けの超早朝です

 

  

P.S. 土日の5年ぶりの対面の JCF (ジャパンキャンサーフォーラム)も楽しみですね

わたし 8/24 土曜日に、おじゃまします

15:30からの(JCFのイベントの1つの)映画の時間まで、ニコット Nicotto 頭頸部がん患者と家族の会のブースにいます

みなさんとお会いできますことを楽しみしています🍀